ISONO Toshikatsu

ISONO Toshikatsu

最近の記事

心書 603頁 「8月」

8月は1年の中でも特別な月と感じています。 自身の誕生月でもなければ、何かの記念日月てでもありません。 広島、長崎、終戦。 母親は広島の原爆の体験者。 母方の祖父は英霊。 今があるのは先達の方々がおられたから。 特にそのような気持ちを感じさせてもらえるのが8月。 お盆で親戚と会う機会がありましたが有り難いと、 今この歳になって遅ればせながら特に感じるようになりました。 今目の前にあるものは当たり前ではない。

    • 心書 602頁 「そり」

      そりが合う合わないと言う話になりました。 さまな人がいるからそう言うこともあるかもしれない。 ただそうだとしても態度や言葉に出す必要はないと考えます。 知心会で学んでいる距離を置けば良い。 ひょっとしたらその人のご先祖に何か恩を受けたかもしれない。 またその人の子孫に自分の子孫がお世話になるかもしれない。 そう捉えたらそのような態度を取ることはなくなると感じました。

      • 心書 601頁 「どうあるか」

        どうありたいかが曖昧だから、 人と接した時に軋轢が生じる。 相手から見て自分がその時々で見え方や感じ方が変わるから。 在り方が定まっていれば、 寄ってくる人、遠ざかって行く人が明確になる。 そうすれば他人とのストレスは一気に減ると感じました。

        • 心書 600頁 「求められる」

          求められる=必要とされる 求められるようになるにどう生きるか。 求められてないのに自我を剥き出しにしては世間に受け入れられない。 求められるようになるには、 求められたら今の自分の最善を尽くして応えること。 また求められている人を観察し、見倣うこと。 商売の上でも求められることを忘れないように。

        心書 603頁 「8月」

          心書 599頁 「不思議な縁」

          ただいま武漢熱以来、3年半ぶりにベトナムに来ています。 仕事関係で会う方だけでなく、 仕事とは全く関係なく、 今までで偶然にベトナムで出会って、 今も関係が続いている方々とお会いしています。 事前に私が訪越することを伝えるとすぐさま会いましょうと言ってくださる方ばかり。 ベトナム人の方ばかりなので、 満足にはコミュニケーションは取れませんが、 10年以上もお付き合いのある方がほとんど。 岡本代表の心書でも綴られていましたが、 私にとってはベトナムが運命的な国なのかなとも思えま

          心書 599頁 「不思議な縁」

          心書 598頁 「慣れ」

          慣れると今までよりも効率よく進められる。 労力も少ない。 ただ裏側では油断、緩みが頭をもたげてくる。 表があれば見えない裏側の存在を常に意識しておかないと足下をすくわれる。 それを指摘してくれる存在がいることが有り難いなと感じた最近でした。

          心書 598頁 「慣れ」

          心書 597頁 「粋」

          先日、よく行く立ち飲み屋さんで久しぶりにお会いした70代の常連さん。 ご挨拶をして、別々に飲んでいました。 その方が先に帰られたのですが、 私にビールをご馳走してくれました。 お礼を言うことも出来ず。 しかも私の好みの銘柄のビールを。 素直に粋やな、かっこいいなと感じました。

          心書 597頁 「粋」

          心書 596頁 「視野、視界」

          先日ふとした時に感じたこと。 自分の為に動いている時は考えやアイデアがとても単一的に感じますが、 人の為に動いたり考えている時は考えの視野や視界が広がる感覚がありました。 もっとこうしたら上手くいくかも、 喜んでくれるかもと考えていたらワクワクする感覚も。 それに基づいて行動していったら、 確かに上手くいくことが多くなるなと感じました。

          心書 596頁 「視野、視界」

          心書 595頁 「自分か周囲か」

          昨日、参加させていただいた夜の定例講。 同じ月で2度同じ内容を伺うと、 自分の場合ではどうなのかという考えがいつも以上に頭の中をぐるぐると駆け回る。 自分の為だけにやっていたから他人から羨ましがられることはあっても満たされることはなかった。 この満たされるという感覚が幸福感なのかなと。 周囲のために動いてこその満たされる感。 これは損得で計ったら動けない。 満たされる感覚、幸福感を感じるために動いてみる。 他人の為にやってることが自分が一番求めるものと繋がってると感じました。

          心書 595頁 「自分か周囲か」

          心書 594頁 「求める」

          松尾芭蕉の言葉を教えてもらいました。 「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ。」 偉大な先人のやり方真似るだけでなく、 何を理想としていたのか、 何を目指していたのかを理解し、見極め、 そこに向かう努力をする。 自分がどう在りたいか、自身の在り方。

          心書 594頁 「求める」

          心書 593頁 「不具合」

          システムの不具合、物事での不具合、人との関係での不具合。 様々な不具合があり、それに遭遇した場合はほとんどの場合イライラしたり、落胆したりでした。 ある方とお話しした時にその方は不具合にあったら、「当たった!」と感じると。 不具合があるから改善しよう、工夫しよう、何とかしようという思考になるからラッキーだと。 何事も捉え方一つ。 知心会で学んでいることと重なりました。

          心書 593頁 「不具合」

          心書 592頁 「終わり」

          いつか終わりが来ることを知っているからこそ、 今をもっと一生懸命になれる。 その終わりは誰しもがある。 自分も周りの全ての人も。 だからこそ大切な時間をお互いに過ごしていること忘れないように。 そうすればもっと時間を大切に出来るはず。

          心書 592頁 「終わり」

          心書 591頁 「幸運」

          行動して訪れた苦労は経験という名の幸運でしかない。 この言葉を教わりました。 確かに行動しないと苦労は来ない。 何もしないと何もない状態。 それがずっと続いてくこともなく、 なだらかに下がっていく。 この言葉を聞いて、 心の持ち方教室で教わったことと重なりました。 行動することの大切さ 捉え方一つで大きく変わること やったかやらないか。 知ってるか知らないか。 これで人生は大きく変わる。

          心書 591頁 「幸運」

          心書 590頁 「思い通り」

          思い通りにならないことがある。 イライラ、ヤキモキしたりする。 不快な不安な気持ちになる。 ただ見方を変えて思い通りにいかないことが良いことなんだと捉えてみる。 思い通りにいかないから、 自分で考え、行動してみる。 また他人にも自分にも優しくなるために必要なことが学べる機会だと感じます。 思い通りにいかないから試行錯誤してみる。 それを楽しんでみる。

          心書 590頁 「思い通り」

          心書 589頁 「良い悪い」

          完全に悪い時と思ってもその中には良いことがある。 逆もまた然り。 先日の知心会の定例講での代表からのお話の「雲」を聞いている時に、 少し前に他の方から伺った話と重なりました。 完全に悪いと感じてもその中には必ず良いところがあり、 そこに焦点を当てれば良い。 言葉は違えど今までの知心会で学んだことと同じこと。 やはり真の理は普遍的。

          心書 589頁 「良い悪い」

          心書 588頁 「初めて」

          人選では初めてのことはたくさんある。 若い時はなおさら。 ただ多くのことは慣れてくる。 苦手、気が乗らないこともなんだか繰り返していると慣れてくる。 慣れているように見える人は場数を踏んでいるから。 初めて、不慣れは経験を通して慣れるようになる。 初めて、不慣れは自身の1番の勉強になる。 特に年齢を重ねていけば初めては人生で面白いことの一つ。 今回の高野山でのこともそうでした。

          心書 588頁 「初めて」