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サルチネス

息子から強く推されて読んだサルチネス。正直よくわからなかった。良さが。粒々描くの気持ち悪いし。でもある日これは強迫症の人の話じゃん!と思った。小さいころに愛ちゃんと二人置き去りにされて、愛ちゃんが泣いちゃうと小さいお兄ちゃんはもうどうしていいかわからなかったんだ。だから愛ちゃんが泣かないように万引き(強奪?)もしたし、神様にお願いもした。その引き換えに修行を一心にしたんだねえ。しかも自分で考えたよくわからない修行を。なんかそう思うと悲しくて悲しくて愛ちゃんはもちろん、お兄ちゃんもどうか幸せになってねと思った。という感想を息子に伝えたところ、彼の考察は以下の通り。皆さんはどちら寄りですか。
 本人がそう思っていることは実際感じることと違うということかなと思った。例えば結婚することが幸せだと思って結婚したけれど実際は違ったとか。幸せとか満足がそもそも他人の価値観であって自分の価値観ではないし、そもそも幸せって概念もふわふわしていてはっきりしない。つまり自分がどう納得して生きていくか、幸せがなんなのかってことを言いたかったんかなと思った。他人の定義した幸せの概念で生きている人はあれこれ言うけれど、納得した人は他人の定義した価値観で生きていない。正しさとは逆側から見ると過ちであるように、多いほうの意見が定着してしまうから仕方ないんだけれど、それがもしかしたらニーチェの言う超人という概念かもしれん。

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