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計画が立てられない人が劇的に立てられるようになった話 ⑤: (思想編)「”頼む”の難しさ」と実行のための心得

計画の崩壊っぷりに関して「誰かに頼む」ことにした私であるが、私はかねがねこの「頼む」の難しさを自分だけでなく、周りを観察する中で感じていた。
上司や部下、あるいは金銭で結ばれた契約関係があると、「頼む」のハードルが下がる。なぜならこの関係性にはあらかじめ「頼む」が折り込まれているからだ。
しかし、そうでない関係性の時におかしな「頼む」をすると関係性自体を壊しかねないし、実際に壊れることがある。

例えば、私は以前、友人に突然、それなりに重そうで大きな箱を、宅急便に出しに行って欲しいと頼まれ、言葉を返せなかったことがある。「ちょっと、さすがに、それを頼むのは違うんじゃないか」と思ったからだ。その私の雰囲気は相手に伝わったらしく、その箱を私が運ぶことはなかったのだが、「頼む」は言い方と、タイミングと、依頼の重量を間違えると関係性をおかしくする。

また「頼む」ことが、自分の弱みを開示することにつながる場合、「頼む」はより困難になる。なぜなら相手がその弱みを聞いて、自分に対する見方をネガティヴに変えて遠ざかってしまったり、ひどい場合は付け込んできたり、理不尽なマウントをとってくることがあるからだ。実は私は後者の経験が過去に一度だけあり、それが結構痛かったので、それが「頼む」へのハードルをあげていた。

私たちは関係性に規則性を求める生き物である。コミュニケーションに安心できるのは、目の前の相手がどんな人で、その人がどんな行動がとるかをある程度読めるからである。ところが「頼む」はその定式をしばしば崩しにかかる。

「ビューティフル・マインド」という映画に出てくる統合失調症の主人公が、終盤で”Is he real?”と同じコミュニティ内の共有する人にさらっと聞くシーンがある。これは自分の目の前にいる人が幻覚でないかを確かめるための質問だ。
これはいっけん何でもない質問であるように見えるが、この質問ができるようになるまでの彼の壮絶な人生を知ると、このさりげなさはその中で得られた技であるとわかる。
こんなふうに「頼む」ができたらかっこいい。でもすぐにはできない。「頼む」には練習が必要なのだ。
と、私は「頼む」に関するあれこれの考察を経た上で、以下のことを決めた。


頼む時の心得

・「頼む」を分散させる
自分が頼み慣れていないことを頼むときにやらかしがちなのは、「1(いち)頼む」の重量を推し量れず、とんでもなく重すぎる量を相手に投げてしまうことである。とはいえ問題は、頼み慣れていないと「1(いち)頼む」の重量をどのくらいにすればいいのかがわからないのである。
加えて問題が切実だと、その切実さが重量に加わってしまうので、余計に扱いが難しくなる。そしてこの時点で私は結構切実に悩んでいた。
なので私の場合、誰かに重すぎる量を投げるリスクがあることは引き受けた上で、間違った時にはすぐに撤退できるよう、ヘルプを出す人数を増やすことにした。とにかくなんか仕事ができそうで、かつ助けてくれそうな人にいろんな形で困っていることを伝えた。今ざっと数えたら8人いた。

・関係性がおかしくなるリスクを引き受ける
「頼む」をいろんな人にぶつけてみることで、最悪関係性がぎこちなくなる可能性がある。しかしこれも仕方ないので引き受けることにした。人間関係なんて最後はご縁である。こちらがその時の精一杯の慎重さと思い切りでやったことが失敗したら、反省できることは反省し、あとは相性が悪かったと諦めた方が良い。
それがどうしても怖いなら、お金を払って「頼む」を契約関係の中に折り込めば良い。

・卒業する
8人に「困っているから助けて」と頼んだ結果、そのうちの何人かは本当に助かる形で手を差し伸べてくれた。
実際に何をしてもらったかというと、単発のイベントの準備に着手するよう声をかけてくれた人、ミーティングのリマインドを出してくれた人、年間計画を驚くほど鮮やかな手つきで作ってくれた人、私でなくてもできる作業を引き受けてくれた人、などである。

が、事前に決めていたのは、それを当たり前のことにせず、そこからできるだけ早く卒業することである。最初の1、2回なら大丈夫でも、それがずっと続くと大変になってくる。だから助けてもらっている間に、自分で持てる分と、他人に預けられる部分を早めに見極めることが肝心と考えた。

この辺りのことを決めた上で、私は頼むを複数回実行し、計画に関する諸々に変化を加え始めた。


次回:今回は、計画を立てられるようにするための思想編。明日は実践編となります。

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