計画が立てられない人が劇的に立てられるようになった話③:指導教員からメール返信は奇跡
*このブログは、ルーチーンが苦手な私がルーチンを練習するために、土日祝をのぞいて毎日更新しているポストです。30まで続けて終わります
最後に引っ越しをした3年前、業者さんに「業界の方ですか?」と聞かれたことがある。きちんと梱包され、かつ多くの人が忘れがちな物干しなども回収されてまとめられていたことが原因だ。業者さん的にものすごく助かったらしく、いたく感謝されたことを覚えている。
でも振り返ると、私は荷物をまとめるのがそんなに得意であったわけではない。母に言わせると、幼少の私は、そういうことはどちらかというと苦手だったようだ。
引っ越しを繰り返すうち、私の荷造りスキルは知らぬ間に、業者さんから絶賛されるレベルにまで上がっていたのである。
さて、ここからが本題の計画の話だ。昨日書いたように、私は計画を組むのが苦手で、予定をすっ飛ばしたり、日にちを間違えるという事件をしばしば起こしていた。なので私はずっと元々の素養として、計画を立てる能力が低いのだと思い込んでいた。
でも、振り返ると足りなかったのは能力ではなく、計画への敬意と練習であったのではないかと思う。
院生時代、指導教員からメールが返ってきたのは多分10回もない
私が博士課程の院生だった頃、私のゼミにおいて指導教員からメールが返ってくることはちょっとした事件だった。というのも、メールをしてもまず返信がなかったからである。だから教員からすぐに返信があったりすると、それは院生をざわつかせるニュースになっていた。これは個別指導の時間も同じであった。約束をしていても研究室に彼が現れないこともよくあった。なので時間通りに会えることもニュースであった。
私は彼のことがとても好きだし、大変感謝もしているので全く恨みはない。しかしこの経験は、私のどこかに「予定をそこそこ邪険にしても良い」という感覚を作ってしまったのは間違いない。
念のため言っておくと、こんなふうに解釈してしまったのは私だけで、他の院生たちはちゃんとしている。あくまで私だけの話ということは付け加えておこう。
元々いい加減だったところに、指導教員もいい加減だったので都合よく解釈してしまったのだ。
とはいえ、である。
私の院生時代や、教員として大学で働いていた10年を振り返ると、正直いい加減な人はそこそこいた。書類が締切に出てこない、メールが返ってこない。発言が朝令暮改で院生が混乱。仕事をギリギリで丸投げし、下にいる人が困る、などなど。
端的にいうと、そんなに私と変わらないんじゃないか、という人がそれなりの数存在したのだ。
知らない間にフォローされていた
この状況を考えるため、私の経験をもっと引いた視線から見てみよう。なぜ院生たちは、教授からメールが返ってこなくても、約束の時間に彼が研究室にいなくても、「まあ、仕方ない」と笑って引き受けていたのだろう。
もしこれが友達だったらちょっと嫌じゃ無いだろうか?約束は守って欲しいと思わないだろうか。
あまりにもこれが普通になってしまっていたので、院生の時は大学の先生なんてこんなもんだろう、としか思っていなかった。でもよくよく考えると、このいい加減さを可能にしていたのは、やはり圧倒的な力関係なのである。
我々院生は、指導教員がいないと論文も出せず、博士は取れない。指導教員を簡単に変えることなんでできない。その意味で指導教員というのは圧倒的な力を持つ。だとすれば、指導教授の人格や傾向を読み取り、それを引き受けて研究を続けていくしかない。その意味でそこにはいい加減さを許容する利害関係が存在する。
この力学は他でも同じだったんじゃないか。
なぜ私の友人は、夜中突然来るメールにも丁寧に対応していたのか。祝日に呼び出されても出校していたのか。全く書けていない研究費の申請書を教授のため、締切前に代筆していたのか。自分とは全然関係のない、でも時間だけかかる名簿の作成を嫌な顔ひとつ引き受けていたのか…
アカデミアというピラミッド組織では、そうしていた方が利益があるからだ。これは教授や院生の人格とは全く関係がない。みんな愛すべき人たちだ。でも構造がそうさせている。
それを踏まえ、私が大学の常勤教員になってからのことを振り返ってみる。
よく考えると私の元にはリマインドのメールがよく来ていた。あれを出してください、これに記入してください、この会には出席されますか、などなど。
つまり私は種々の書類などの締め切りをほとんど気にせず、リマンインドがきたら対応するといった形に慣れてしまっていたのである。
なぜそれを問題とも思わず、慣れてしまったのか?
それは私が「先生」だからだ。
学生・院生、事務職員の人たちは「先生」には敬意を払う。(大学によっては事務職員の方がよっぽど強いところもあるらしいが)
だから書類が出ていなくても、何かを忘れていても、それが困ったことであることは明確には表出されない。学生や院生との約束に遅刻しても、彼らは下の立場だから、先生にあからさまに文句は言えない。
事務職員の人たちは、一部の教員から締め切り通りに何かが来ないことは慣れっこになっていて、機械的に対応していただけかもしれない。
でもそんなことはどうでもいいのである。問題の本質は、私が自分のスケジュール管理の甘さを、色んな人にフォローされていたことを自覚していなかったことだ。引っ越しの荷造りが知らないうちに上達していたように、スケジュール管理だって練習すれば上手になっていたかもしれない。
でも地位と加齢がその機会を損失させていた。
地位と加齢は、問題を問題でなくすことがある。
次回(3/1. 月):振り返りの機会が2日連続で降ってくる
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