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計画が立てられない人が劇的に立てられるようになった話 ⑨: 嫌な思い出といかに手を切るか

「嫌な思い出」と「計画」になんの関係があるのか、と思う人もいるかもしれない。だが私にとって、嫌な思い出との決別は計画に馴染む上で決定的に重要であった。繰り返し去来する嫌な思い出は、無尽蔵に私の今と未来を奪って潰していくからである。

嫌な思い出か、掃除か

いったん嫌な思い出の沼にハマると、そこでかけられた言葉、そこで見た仕草、その後の結果、などが頭の中を埋め尽くしてしまい本当に抜けられなくなる。寝る前とか、朝の布団の中とか、時には日中とかまでその思い出に襲われ、そうなると疲労感満載になってしまい、計画は完全に狂うのである。

年初に、この状態は流石になんとかしないといけない、大学を出たのに大学の思い出に苦しめられるのは意味がないと、かなり強く意識し、これらの思い出たちと手を切る術を考えた。
その結果、何をし始めたかというと

部屋の掃除

あまり面白さはないのだが、自分の生きる場所はどこであるかを身体に意識させ、思い出に飛んでしまった心を今に戻すため、掃除は結構威力があった。かつ、部屋は実際に綺麗になるから一石二鳥。
「嫌な思い出、忘れ方」とググるよりはずっと効果的である。

今でもこれら思い出に苦しめられることがないわけではない。が、それは以前に比べるとずっと減った。


計画と回復

とはいえ、掃除は今やりだしたから効果が出たのだと思う。
大学を出ると決意してからの1年、多くの人との出会いがあり、その中で新しいことに挑戦していく中で、自分が心地よく泳げる泉が少しずつ広がってきた。その泉を面白がって共有してくれる人たちも増えてきた。そうではなさそうな人と丁寧にすれ違う術も身についてきた。だから「掃除」みたいなありふれた方法が効果を発揮した。

嫌な思い出と私が手を結び続ける限り、私は、手を離す決意をした世界とともに生き続けてしまうことになる。でもそうしないためには、それとは異なる世界で生きるしかない。私の身体はこっちにあるべきだ。

振り返ると、計画をなんとか立てられるようにと模索したこの半年のプロセスは、回復の最終段階だったんだと思う。

私は去年の春から夏にかけて「どうぶつの森」にハマっていた。そのハマり方は、ずっと前にそれをやり始めた6歳の子のレベルを一瞬にして抜いてしまうほどだったのだが、そんな中、私は自分のある特徴をすっかり忘れていた。

病みが深くなると単調なゲームにハマる

前回病んだ時は、「ガチョウ(いやアヒル?)の卵を拾い続ける」みたいな、名前もよくわからないゲームをやり続けていた。なぜもっと早く気づかなかったのか。川で”Big Koi”を釣って感動している場合ではなかった。

私は2019年に受けた好書好日のインタビューでこんなことを言っている。
――宮野さんに出会った偶然について、どうお考えでしょうか?

 凄く難しい質問ですね。宮野さんと出会う前の数年間は、学問に対する信頼がガラガラと崩れ落ちるような出来事が続いていた時期でした。表面上は美しく、勇ましい言葉が溢れる一方で、それとは正反対と私には思える出来事を目撃することがなぜかしばしばありました。

 そのような中、「あなたとの信頼があるから、死なないことを約束する」と、それほどまでに自分を信頼してくれた研究者がいたという事実。その人と微塵の遠慮もなく、強固な信頼関係の中でまっすぐな言葉のやり取りができ、一つの作品が仕上がったということ。私にとって宮野さんとの出会いは学問に対する信頼を取り戻すプロセスでもありました。

「急に具合が悪くなる」 早世の哲学者・宮野真生子さんと全力投球で交わした末期の日々の言葉

ここで私が言っている信頼を取り戻すプロセスは、今考えるとその「始まり」に過ぎなかった。

私個人の意見であるが、私が以前いた世界で生きていくためには、研究の力に加え、別のスキルも必要だと思う。それは私から見ると跳び箱6段飛べる、みたいなスキルだ。私は実際の跳び箱6段は余裕で飛んでいたし、なんならその上で、でんぐり返しをしちゃったりもしていたが、こちらの跳び箱はおそらく3段も難しい。頑張って練習してもせいぜい4段レベルである。

他方で、元々6段が余裕で、練習すれば8段軽々、みたいな人たちもいる。それが技術だとも思わず、呼吸するみたいにそれができちゃう人もいる。そういう人たちから見たら、「なんであなたは4段しか飛べないの」って話だろう。だから、「それができないのは、あなたの努力不足」、「人格の問題」みたいになってしまう。この回路は飛べない人間には地獄だ。
でもこうなっちゃうのは仕方がない。他人の目線に入り切るなんて不可能だし、社会には共感を呼ぶ「できなさ」と、そうでない「できなさ」があるから。
だからこそ、後者を共感を呼ぶ「できなさ」に変えていこう、という選択も存在するし、それは素晴らしいことなのだが、今の私は残りの人生をそこに使いたいとは思わない。

振り返ると、私は相当に病んでいた。ようやく、ずいぶんと、そこから抜けることができた。嫌な思い出と生きるのではなく、自分が心地よく泳げる世界とともにあるために、「計画」という技を使っていきたい。


次回(明日3月9日)は「あとがき」となります。

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