【エンタメ note Weekly】花取り踊り(高知県佐川町)/アン・ハサウェイ/ジョン万次郎
こんにちは。おでかけ先生エンタメ英語塾代表のケンジです。
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それでは、今週の主な出来事をピックアップして解説していきましょう。
【行事】花取り踊り(高知県佐川町)
花取り踊りは、日本の伝統的な祭りの一つで、特に高知県佐川町で毎年11月12日に開催されます。この祭りは、豊かな自然環境に囲まれた地域ならではの歓喜と感謝のイベントであり、地元住民と観光客が一堂に集まり、賑やかな雰囲気に包まれます。
この祭りの特徴的な要素は、「花取り踊り」と呼ばれる踊りです。参加者たちは、美しい花々を手に取り、音楽に合わせて踊ります。花々は地元の豊かな自然を象徴し、その優雅な舞は地元の文化や歴史と深く結びついています。
祭りの前には、地元の花々や植物を集め、それを使った花取り踊りの練習が行われます。これは地域の結束を深め、若者から年配の方までが一丸となって祭りに臨む準備を進める機会となっています。
当日、祭りの本番では、地元の伝統的な音楽が響き渡ります。参加者たちは花を手に、楽しみながら練り歩き、踊ります。その様子は見る者に生気と和やかさを与え、地元コミュニティの活力を感じさせます。
また、地元の食べ物や伝統工芸品が販売され、地元の特産品や文化に触れることができるブースも設けられています。これにより、祭りは地域振興や観光促進の一環としても位置づけられています。
花取り踊りは、季節の移ろいと共に咲く花々を通じて、地域の誇りや文化を称える素晴らしい行事です。地元の人々と一緒に参加すれば、その地域ならではの温かい雰囲気や伝統に触れ、日本の地域社会の魅力を感じることができるでしょう。
【誕生日】アン・ジャクリーン・ハサウェイ(Anne Jacqueline Hathaway, 1982年11月12日 - )
アン・ハサウェイは、アメリカの女優として11月12日に生まれ、その生い立ちから幅広い活動により映画界で著名な存在となりました。ニューヨーク市ブルックリン区で生まれ、家族は父親が弁護士で母親が舞台女優という芸術と法の家庭でした。名前の由来は劇作家ウィリアム・シェイクスピアの妻、アン・ハサウェイからきています。
アン・ハサウェイは、アイルランド人、フランス人、ドイツ人、アメリカ先住民の血を引く多様な家系に生まれ、カトリックで育ちました。修道女になりたかったが、兄がゲイであることを知り、そのために宗教には属せないと感じ、家族全員がカトリック教会から離脱しました。
高校時代にはオールイースタン高校選抜合唱団の一員としてカーネギー・ホールの舞台に立つなど、芸術に親しむ一方で、俳優の道に進むことを決意。高校卒業後、俳優養成学校に進学し、舞台に出演しながら英文学を学びました。その後、ニューヨーク大学に編入し、俳優業と学業を両立させながらキャリアを築いていきました。
彼女のキャリアの中でも特筆すべきは、2005年以降の活動です。『恋の手ほどき』などの舞台に出演しながら、映画『プリンセス・ダイアリー』での演技が注目を浴び、その後も『プラダを着た悪魔』や『レ・ミゼラブル』など多くのヒット作に出演しました。その演技力と幅広い役柄でアカデミー賞を含む多くの賞にノミネートされ、数々の賞を受賞しています。
アン・ハサウェイのキャリアはその多様性と深み、そして芸術的な表現力に裏打ちされています。彼女の誕生日である11月12日は、彼女の才能あるキャリアを称え、今後の更なる活躍に期待を寄せる日と言えるでしょう。
【命日】ジョン万次郎(1827年1月27日〜1898年11月12日)
ジョン万次郎は江戸時代末期から明治時代初期にかけての重要な歴史的人物であり、その多彩な功績は日本の近代化と国際的な発展に大きく寄与しました。
歴史における3つの功績
日米和親条約の尽力: ジョン万次郎はアメリカ合衆国を訪れ、日米和親条約の締結に尽力しました。彼の異国での経験と外交手腕が、当時の国際的な状況において日本の地位向上に寄与しました。具体例として、彼の交渉力がこの条約の成立に不可欠であったことが挙げられます。
教育制度の近代化: アメリカで学んだ経験を元に、ジョン万次郎は日本における近代的な教育制度の確立に尽力しました。彼の提案やアイデアが後の明治時代の教育制度整備に影響を与え、国内の教育の近代化を促進しました。例えば、彼が実践した西洋の教育手法が、後の日本の学校制度に組み込まれました。
翻訳活動の推進: ジョン万次郎は翻訳家としても優れた役割を果たしました。彼は西洋の文学や科学書を日本語に翻訳し、これによって国内に新しい知識やアイデアをもたらしました。例えば、彼の翻訳により、日本は世界の文化とつながり、国際的な情報交流が進展しました。
万次郎が漂着した無人島に立ち寄ったアメリカ合衆国の捕鯨船ジョン・ハウランド号との出会いが、運命の分かれ道だったのですね。
ジョン万次郎の活動は日本の歴史において不可欠であり、彼の功績は国内外で高く評価されています。その多面的な貢献は、日本が時代とともに進化し、国際舞台で一層存在感を示す基盤を築く過程において重要な一翼を担いました。
【参考資料】
じゃらんnet:花取り踊り
まつりと:私たちの祭り探検 #29 高知県・佐川町 斗賀野花取踊り
11月12日の誕生日データベース
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