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二重人格ごっこ

男はある会社の部長を務めている。娘がいるが、上京してしまったため、妻との二人暮らし。妻が厳しいということ以外はなんら変哲もない中年男だ。

 若い頃の自分は、中間管理職に憧れをいだき、向いていると信じていた。働くことが好きだし、人間関係も得意な方だからだ。
 いつか人の上に立ち、自分の部下を持ちたいとも考えた。部下を時には叱り、時には実力を認める。部下との信頼関係を大事にするが、上司への期待にも応えなければいけない。それが重役の務めだ。上司と部下の考え方が異なり、板挟みになっても、自分なら上手くやれると思った。

 しかし、いざ部長になるとひどいストレスだった。
 部下の期待に応えようと気負いすぎ、空回りすることが多かった。最近の若者は自分の意思がなく、会社に従えさえすれば、それでいいという考え。男の仕事への熱も冷めていた。すると上司からは努力が足りないだのと嫌味を言われ、気分も落ちる。ストレスは溜まる一方だった。

 心も身体も限界になり、投げやりになっていたある日の帰り道。背の高い女にすれ違った。というより、女の格好をした男である。ハイヒールを履いたその男はウインクをし、去った。
 気味が悪いと感じたが、そこでふと思いついた。二重人格ごっこをしよう。うんざりした日常も、少しは刺激的になると考えた。 
 月、水、金曜日は、部下に厳しい頑固な部長。火、木は、人情味あふれる親しみやすい部長になる。正反対の性格を交互に演じることに意味があった。

 男はすぐに行動にうつした。やるからには真剣にやった。中途半端ではかえってストレスが溜まるだけだ。
 男は雰囲気にもこだわった。厳しい上司役の日はオールバックに柑橘系のクールな香水。心優しい役の日には、前髪を下ろして、少し甘い香り。性格もたった一日で、まるっきり変わる。まさに別人だった。努力もあってか、社員も違和感なく接していた。

月曜日。
「花瓶の水はいつになったら変えるんだ。誰かが気付いたら変えたらどうだ」
出勤とともに、なにかと部下を叱る。朝は基本ピリピリしていた。

火曜日。
「皆おはよう。君の昨日の資料。なかなかのできだった。次の会議は君のでいくとおもう」
部下を褒め続け、一日を終える。

水曜日。
「何度言ったらわかるんだ。大体君は、、、」
昨日とのギャップが最も現れる曜日だ。

木曜日。
「君が日本酒好きとはね。よし、いい店がある。今度連れて行こう」
雑談も挟みながら、肩の力を抜いて仕事ができる。

金曜日。
「君、集中しているかね?今、よそ見をしていたろ」
一週間で最も厳しくなる。皆、死力を注いで仕事に取り組む。

 そして気がつけば、二重人格ごっこをはじめて半年が経った。やり始めると早いもので男もすっかり慣れていた。もはや、ごっこ遊びではなく、男のアイデンティティとなっていた。昨日怒鳴りつけた部下を明日は褒めちぎる。昨日飲み屋で語り明かした同僚を次の日には罵る。男はこのスイッチの切り替えに快感を覚え、クセになっていた。

 そして、社内での評価も上がった。

「私、火曜日の部長が好きだわ。休み明けの月曜日で気を抜けている私をたっぷりと𠮟ってくれる。普通なら次の日は会社に行きたくないって思うけど、明日は確実に褒めてくれると思うとウキウキで出勤できるもの。怒られた分、次の日が楽しみになるわ」
「僕は金曜日がいいね。休みに入る前に喝が入る。それに、部長は理不尽には怒ったりしないからね。金曜日の部長に怒られなかった今日の俺は、偉いぞってなるわけ」
「そういえば、休みの日の部長はどっちの性格なのかしら」
「土曜日は穏やかで、日曜は厳しいんじゃない?」
「それだと厳しい性格が連続してしまうわ。月曜日に優しかった試しはないもの」
 休日の部長の姿に疑問を持つ社員もいたが、誰も知る由もなかった。

 土曜の朝、男は妻より早く起き、朝ごはんを用意する。金曜日は、残業の日であり、夜遅くなったが、それを理由に土曜日を寝てつぶすことは一度もない。
 男より遅く起きた妻は、男の稼ぎに文句を言いながらすぐに横になる。
 男は朝から昼過ぎまでぶっ続けで家事をこなす。一週間溜まった洗い物やら洗濯物が山ほどあるのだ。部屋の掃除はもちろん、庭の手入れも定期的に行う。あっという間に一日が過ぎ、倒れるようにして寝る。次の朝も早いのだ。
 日曜は朝から一週間分の買い物をしに行き、午後は資料の準備やら、持ち帰った仕事を終わらせる。やるべきことを終わらせなければ月曜日からの日々に支障が出るのだ。家にも、会社にも。妻は相変わらず、横になったまま一日を過ごす。

 逆らえない妻へのストレスは、たしかにあった。しかし、この密かな楽しみさえあれば、どんなに辛い家事でも、仕事でも乗り越えられた。タスクを終え、妻が寝静まった頃、男はなにやらごそごそと動き出す。化粧をし、かつらを被り、隠してあった女物の服を着る。そして鏡に映る、生まれ変わった自分の姿を見て、少しニヤついてみせる。男はハイヒールを履いて夜の街へと向かった。
 
そしてたまにすれ違う、心身ともに疲れて、投げやりになっている中年を見かけると、パチリとウインクをしてやるのだ。


              (2092文字)

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