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これぞ「理想の教育」では? 教師が教えるスタイルでは、グローバル時代に対処できませんね~。

私は愛知県立大学で小学校と幼稚園の教員免許を取得しました。
教員採用試験は受けませんでしたが、約35年前の時点で試験を受けても受かるかどうか? だった記憶です。

つまり教師は子ども時代から成績がある程度、良かった人の集団になるのか? 
それでは勉強がサクサクできない子の気持ちが、わからないのでは?
と考えて、大丈夫かなあと思ったものです。

そして実際、もう”限界”ですよね~。
学校に行くのを拒否する児童・生徒が増えている背景には、教育現場の仕組みに問題があるからだと考えています。

また、グローバル人材を育てよというなら世界を旅行した経験がある人が教師にならないと、リアリティがない。
学力以外の魅力、胆力がある方に教師という職業に就いていただきたいですねえ。

下記記事の
「こうしなさい」と指示はしない。方針は示すが、やり方は任せる。校長は「壁打ち」の相手役だ。壁打ちとは、話を誰かに聞いてもらい、考えを整理すること。言われた通りにやるのではなく「自走できる人」を求める。

というスタンスに、深く共感します。
こういう学校が増えて欲しいですね(^^)。

定員割れの商業高校に赴任、わずか1年で国公立大合格者を0人から20人に増やしたら、校長に抜擢(ばってき)された。当時30歳で「全国最年少」だった柴山翔太さん(33)。目指したのは進学校ではない。日本一おもしろくてワクワクする学校だ。「挑戦を、楽しめ。」と生徒や教職員の先頭に立ち、旗を振り続ける。

定員割れ校に赴任、進学で実績
高校球児だった。出身は北海道砂川市。甲子園を目指し、札幌市内の強豪へ進学した。が、3年の夏、地方大会決勝で負けた。かなわなかった夢は「監督、コーチとして実現すればいい」と思い直し、教員に。

人生を変える出会いがあった。3校目に赴任した私立高校で、経営立て直しのため民間企業から転じた校長は「何のために」が口癖。授業、部活動、行事、何事にも「目的」を考えることが求められた。前例踏襲で漫然と行えば「手段が目的に変わる」と覚った。

校長は「自分が校長になったつもりで働いてください」と言った。人ごとにせず自分で考え、動く。学校のビジョンに沿ってさえいれば自由に創造していい。「やり方次第で学校は変えられる」と確信した。

(略)

進学実績にとらわれることに疑問を感じ、新たな挑戦の場所を求めた。

それが福岡女子商業高校(福岡県那珂川市=以下女子商)だった。もとは公立だったが、経営難から平成29年に学校法人八洲(やしま)学園に移管された。「公立にできない教育の実現」を目指し、発展途上にあった。が、赴任早々衝撃の事実を知らされる。募集定員240人に対し入学者は94人。校長は定員割れを解消するため、定年を延長、奮闘していたが「経営が行き詰まるのは時間の問題」と思った。

生徒に会うと自己肯定感が低いことが分かった。多くが学力に自信がない、家庭に経済力が足りないことを理由に大学進学をあきらめていた。保護者も就職や専門学校への進学を前提としていた。大学進学の強い動機づけが必要だった。進学説明会では学歴フィルターや生涯賃金など社会の現実について話し、奨学金と返済に関し個々の家庭の事情に即して説明した。

「国公立大に15人合格」を公約、自分にプレッシャーをかけた。前の学校の実績から「生徒が信じてついてきてくれたらできる」と自信はあった。結果、20人が長崎大や北九州市立大など国公立大に合格した。

手に入れた成功体験。これを土台に新たな挑戦が始まると思った矢先、校長の退任が明らかになる。定年延長が打ち切られ、理事長が校長を兼務するという。理事長に直談判。温めてきたアイデアを提案し「自分の思う改革ができないなら辞める」と訴えた。4時間を超える話し合いの末、理事長が放った一言は―。

「じゃあ君が校長をやればいい」

「こうしなさい」と指示はしない。方針は示すが、やり方は任せる。校長は「壁打ち」の相手役だ。壁打ちとは、話を誰かに聞いてもらい、考えを整理すること。言われた通りにやるのではなく「自走できる人」を求める。

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