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京都はなぜ、都になった? 田村元参議の考察が興味深いです。( ..)φメモメモ

以下、シンガポール在住の元参議院議員 田村こうたろう氏のFacebook転載です。

京都にて地政学を考える

京都にいてボーッとして色んなことを考えた。場所を変えてぼんやりと色々と考えることが旅のだいご味です。

なぜこの地に都ができたのか?平安京は794年に桓武天皇が遷都して始まった。1185年に平安時代が終わるまで391年の長きにわたり都として栄えた。

平城京、奈良が首都であった期間は、710年から784年までの74年間。

784年に桓武天皇が長岡京に遷都したため、平城京はその役割を終えた。その後、794年にさらに平安京に遷都された。

平安時代には「日本国」という概念はすでに存在していた。ただ、その領土は本州、四国、九州であった。中国に倣った律令制度のもと、中央集権的な統治がされていた。

そういう環境で桓武天皇が今の京都を都として選び、その後400年近く都として続いていた地政学的背景は何であろうか?

一つは

・当時の日本国の中心に位置する

ということであろう。中心から中央集権的に統治しやすい。

・盆地であった

これも地政学的利点だ。四方を山々に囲まれ天然の要塞で防御力が高かった

・水資源の豊富さ。

京都盆地には鴨川や桂川などの河川が流れ、農業や生活用水の確保が容易だった。

気候が比較的温暖で、四季折々の変化があり、農業にも適していた。

・交通の要所であった

陸路と水路の結節点に位置し、交易や交通の要所としての役割を果たした。東海道、中山道などの主要な街道が交差する地点でもあった。

淀川水系を通じて大阪湾へアクセスが可能であり、海運も利用できた。

・風水

中国から伝わった風水思想の影響もあった。風水によると、平安京の位置は良好で、山々に囲まれ、南には鴨川が流れるなど、理想的な配置とされていた。

では一方で平城京の問題点は何だったのか?

・水害と衛生問題:

平城京は湿地帯が多く、水害のリスクが高かったため、住環境として不適切な部分があった。衛生環境の悪化も問題となり、疫病が頻発するなどの健康問題が生じていた。

・政治的不安定性

平城京には有力貴族や寺社勢力が多く存在し、これが政治的な安定を脅かす要因となっていた。桓武天皇はこれらの既得権益から離れ、中央集権を強化するために新しい都を求めた。

というようなことを調べながら記してみました。訪れた地で、そこの地形から歴史まで、ヘンタイ的に妄想を巡らすのも面白いかもですね。

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