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2021/4/21
西洋哲学の分類 6つ
① 古代哲学
④第1期:創始期の哲学 
⑤第2期:アテナイ期の哲学
⑥第3期:ヘレニズム・ローマ時代の哲学)
② 中世哲学
③ 近世哲学

創始期の思想 2つの流れ
  A宗教的(ギリシャ神話・神秘主義) B思想的(神秘主義・自然学的)

<ギリシャ神話>の宗教的特質
(1) 多神教
自然神 火・海
抽象神 美・豊穣・戦い
(2) 霊魂観 死後みじめ
(3) 現世主義的傾向
(4) 人間 死ぬもの 、 神 不死
(5) 英雄的人生に価値観
<神秘主義的潮流>
(1) ディオニソス信仰
葡萄樹・葡萄酒、植物、動物の力
ギリシャ人・・・精神的願望から全土に普及 不死へのあこがれ 
みじめ克服 女性
人間と神の合体
(2) オルフェウス教
ディオニソス信仰から独立+東方諸宗教の影響
民間信仰・・・ギリシャ全土・イタリア南部
     輪廻の思想
     肉食の禁止
(3) ピタゴラスの思想と死生観
博学・輪廻転生・数論・音楽・天文学・建築学
前世の力、現世で表現と主張 
肉体は牢獄 魂は肉体に宿る 魂は神の近くにいる
魂の在り方が大切

<自分の見解>
ギリシャでは生きているうちに楽しんでおけという価値観が今もなお存在しているような印象を受ける。余談であるが、あるギリシャに赴任していた外交官から伺った話だが、ギリシャ人の名前は~スということで、最後にスがつく外国人はギリシャ系であるとおもっていると、たいてい当たることが多い。
 
・死んだあとは、何もできないということから、今を生きよ、楽しめということである。非常に共感できる。あえて哲学にする必要もなく、当たり前のことではないか。そこまで哲学することなくても一部の人間にとっては普通のことではないか。
どちらかといえば、自分の価値観に似ており、来世のために禁欲するようなことは、よほどのことがない限り刹那的な行動原理で生きることとしている。
 そもそも、なぜ人間が死ぬとか神が死ぬとか思考する必要があるのか。生と死を分けるのはどこから来たのか、そのことについては、哲学的見解はどうなっているのか、気になるところである。
 また、神の定義についても、授業では詳細が述べられていなかったが、人間ではないものはすべて神となりうる解釈もでき、さらに人間そのものが神と同一化するような信仰もあるようである。評価軸が、生きることは良いことで死ぬことは良くないこととして優劣があるようであるが、ギリシャの信仰においては、評価軸がぶれることはなかったのか不思議である。
 古代ギリシャ人が、生きるのに困っていた時、哲学によって生きることから解放されたとすれば、それはたまたま解放されただけで、物質的な豊かさ、食欲が満たされることにはつながらなかったのではないか。
 例えば、現代においては、本当はスーパーカーに乗りたい車好きが、いわゆるギリシャ哲学を引用すれば、禁欲することで来世は良い車に乗れるということを信仰することで、スーパー化に乗ることを積極的にあきらめるというケースが考えられるのではないか。
 別に、来世を持ち出さなくても、哲学を持ち出さなくても、本人の欲望が満たされに事には変わらない。その点、冷静になれば、哲学というのは、欲望を抑えることに効果はあるかもしれないが、無力であると思うところである。
 
以上(約1300文字)

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