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2021/7/21
キリスト今日の核心をなすもの

 ナザレのイエス・・・ 地中海東部 出身 ユダヤ人
 ユダヤ教から独自の教え
 ローマ宗教・ユダヤ教とも対立し、迫害受ける。
 処刑後に弟子たちが、その教えを広めていった。
 主の教義は、「愛」「人」のとらえ方
 パウロが物語を創造した。いわばストーリーテラー。脚本家。ドラマ作家。それがキリスト教の普及の原動力となった。その結果として、古代哲学がキリスト教的にゆがめられた。
 汎神論・・・神も人間が自然を支配しているということを認めている。人間の優越性あり。
      人間が自然を探求することによって、神の顕現につながる。自然の本当の在り方、法則が求められる。自然を支配している法則にたどり着く。
ベーコン 先入的偏見
     4つのイドラ(idola:幻想、偶像)
     数学を軽視もしくは敵視
ガリレオ 汎神論的自然哲学から自然研究の方法論の哲学への展開へ
     数学を重要視
<見解>
前提として、単純に哲学するということで、概念を文字化している。決して、神を冒涜するとか馬鹿にするとかそういう意図はありません。そこで、神という定義次第で、諸々の方向性が変化してしまうのが、愉快である。なぜなら、例えば、ガリレイさんもベーコンさんも、神の存在を疑うことをしたかもしれないが、在る前提で、自然研究をされた、もしくは神を探すために、自然研究に没頭してしまったといえるのではないか。彼ら二人が、現代にトランスポートしたら、原発問題やコロナ等の社会的な集合知の異変に対して、自然研究の力を存分に発揮して、高度な知能でAIをも凌ぐもしくは活用し、問題解決方法を編み出してくれるに違いない。一方で、日本は神頼み的な発想や精神論的に政治や行政運営がされているような状況もあり、日本の集合知がidola取りつかれたかのように、合理性のない意思決定や行動をするカオスな社会情勢が続いている。現実を正しく把握せよというベーコンのような一部合理的な集団に人間はすべてなるとはいえないが、時に人々は、イドラにまみれている状況を温泉にでも行って洗い流すことが大切なのではないか。古代ギリシャにも日本にも温泉は好まれた文化であった共通点があるのではないか。
さて、ベーコン氏は数学を否定的にとらえようとするセンセーショナルな行動で、注目を浴びようとしたかもしれないが、賢いが故に彼は自己矛盾に耐えきれなかったということが想像できる。一方、ガリレイ氏は、数学を重要視し、自然を数学で記述するということに試みた代表者である。彼は、もやもやとしていた、自然と神と人間の関係性が宗教的にゆがめられたものを整理したと理解したが、それはそれと天才過ぎて周りが追いつけず、持ち上げられただけだったのではないか。実際には、私が思うに、資本主義や貨幣経済の弊害から、かつてのあいまいさを上手に商売に結び付けて、人間のidolaに付け込みつつ、何か救われる可能性をお金で解決できます的な宗教が今でもはびこっている一面があるのではないか。このような宗教の歴史は一般教養として国民全体が正しく持つことで、上手に生き抜ける人が増える社会になるのではないかと夢想しているところである。

以上(1274文字)


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