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中観派の空性説・・・・最も難解な領域 
前提
有部の法有論(三世実有論:潜在、顕在、過去、現在、未来)
瞬間的存在 生じた瞬間に消滅する
どんな仏教でも守らなければならないルール:三法印、四法印
諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃静寂
我:バラモン教のアートマン
自己同一性を保ちながら変化するにはどうすればよいか。

因縁生起
龍樹の説く縁起を理解するには「無自性空」を理解すべし
モノを見ているということは、実質的にはまぼろし・残像であると考えた場合には、例えばモノがあるとは言えない。モノは確かに残像を与えているモノ自体は存在している。一方ではあり、一方ではない。よって、中道という概念が生まれる。
最後は沈黙するしかない。
言語の対象は観念である。外界対象そのものではない。

<見解>
課題がwebクラスにアップされない状態がしばらく続いたため、勝手に課題が無いものだと判断して、今日にいたる。課題提出の期限が遅れたが、これもまた、残像としてとらえ、中観派思考を先週授業から影響を受け生活をしている。タレントのイッコウさんが、「まぼろし~」というのは、あるいみ中観派の伝道師的な活動をされているといえるのではないか。すべては幻と考えると、感情に流されそうになった瞬間に冷静になれる気がして、とても気に入っている。また、人間は観念から言語化に至り、状況は理解しているが言語化できない出来事を客観的にとらえる(メタ認知的)瞬間を意識的に作り出していこうと思っている。先日、別の授業で琉球語の先生が、言語化できないというような事例の話をされており、また、新しい考え方について、受け入れられないというようなお話をされていたが、その際に、観念が混乱して、言語化できない状況で思考停止されているように見受けられた。また、別の授業では、オンラインのグループワークで、失礼で攻撃的なラインメッセージをするメンバーがおり、その失礼さについて、ご本人が理解されていなく、正直にお伝えしてよいものか迷ったが、これも自分が作り出した幻であり、相手にしない、幻を消し去るという選択をした。その結果、幻からのネガティブな観念を増幅させることを抑えて、わだかまりも徐々に収まって今に至っている。中観派の思想をうまく活用することによって、混乱を避けて、良い観念状態にいられるテクニック・経験を積むことができた気がしている。
 人間も含め、幻の集合体であると観念化した場合・・・・、はて、観念が先なのか、幻(残像)が先なのか、目を閉じて生活した場合、何を見ているか、など、もやもや感は残るが、ざっくりと、残像といえば中観派であると観念化したところである。別例として、昨日、英語の通訳を業務で行ったが、英語を聞いて、観念化したものを脳にイメージし、まずは発話者の発言を英語で聞いたものを観念化する必要があるのだが、それがうまく機能せずに、日本語化できなかった。また、逆もあり、日本語の発話者の内容を正確に観念化できないため、そもそも英語で伝える状況にはいたらず、これも全体の打ち合わせとしては、幻な感じで終了してしまったのかもしれない。関係者にはご迷惑をおかけしたという残像を持っている。なにか、すべての責任が外に向かうように中観派の残像パターンを使い倒していく気がしてならない。
以上(1352文字)

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