ジェンダー・スタディーズの諸相
第9回(12月8日)異文化理解 課題と授業予定 gender and sexuality (2)
課題
1.「第II部 ジェンダー・スタディーズの諸相」の下記の課から3つ選び、1課につき350字程度の感想を書く。ただし、同じグループから2つ以上選んではいけない。
目的:ジェンダー・スタディーズの諸相を知り、特に興味のある事柄を深く考察する。
個人的に生き方のスタイルとして、繁栄に目を向けることで繁栄を呼び込むように癖をつけているところであるが、お題目の諸相の多くは、繁栄とは逆相関の高いものばかりではないだろうか。貧困に目を向ければ、貧困が引き寄せられるという非常に簡単な原則である。貴重な人生の、貴重な時間である。貧困に目を向けているほど、暇ではない。さらにこれらのことを深く考察することで、人間的にどのようなメリットがあるのだろうか。明日から給料が増えるわけでもなく、収入が増えるわけではない。これらを研究してきた方からの、学生に対してのメリット提示などの一例を解説して頂ければ幸いです。
第1グループ(7課)
【文化とジェンダー】A 育つ・育てる
1.ジェンダーと社会科 3.隠れたカリキュラム
【文化とジェンダー】B 多様な文化・多様なくらし
3.性別分業
【文化とジェンダー】C ‘his story’を超えて
2.近代家族
【文化とジェンダー】D 想像と創造
3.西洋美術とジェンダー:つくられた身体 5.女ことば・男ことば
7.言語の男性支配
言語の男性支配
「女のくせに」などの表現も、女に対する暴力と同じ行為となるということである。果たして本当にそうだろうか。差別表現をいうこと自体が差別する行為だとみなされるからとのことである。男性にとって非常に生きづらい世の中なのだろう。自分の認知に関わらず、あほな発言してしまったら、暴力とみなされるということである。あまりにも乱暴な議論ではないか。このロジックを本気で主張しているとするなら、正気なのかと問い返したい。「社長」がミスをすれば本人のせいだと言われるが、「女社長」のミスは「おんなだから」とされる傾向を助長しているとある。いちいち、日本人が構築してきたふわっとした文化を破壊するような野暮なことを言うなと言いたい。また、電車内でちかんされた女性が、「ふざけんな、このやろう!」というのは、爽快であり、電車内の同情を一気に失う恐れがあるという状況も、かなり的をえているといえる。これには同意したい。男性側からしたら、男性支配の世の中が続いたほうが、都合が良いわけである。政治・経済等において、能力が高い人間でよろしくやっていればよく、あるHP[1]によれば、男女の脳(能力)の差(IQ差)に優位な差はないだろうというものもあるようである。よって、肉体的に体の大きい男性が優位の社会をつくっていくのが生物として自然な状態であるということではないか。それを、大っぴらに表現すると、女性蔑視ということで、国際社会やマスコミ等からの餌食にされる世の中である。盗聴などされて、政治家が宴会や講演会の席で、自由に発言して、失脚するなどよくある話である。フェミニズム等のこの手の団体の格好の餌食になってしまっている。本来は、女性の解放や差別のない世界ということを目指している団体(ジェンダー研究界隈)だとは思われるが、本来の目的を忘れて、自分たちの存在意義を拡大する行動に出てはいないだろうか。
第2グループ(8課)
【社会とジェンダー】A 社会システムを考える
2.メディアとジェンダー 5.社会階級論・社会階層論
【社会とジェンダー】B 心のなかを見つめる
3.ジェンダー・ステレオタイプ 7.性差別主義
【社会とジェンダー】C お金と労働の間
8女性の貧困 10.ワーク・ライフ・バランス
【社会とジェンダー】D 人間という存在を問う
4.ポストモダニズム/ポストコロニアリズム
【社会とジェンダー】E 法というシステム
2.民法
ジェンダー・ステレオタイプ
結論的には、人間の情報処理能力に限界があり、他者を把握する際に、より楽なシステムを選択することや社会常識・経験則などを採用することで、認知のゆがみが生じることをステレオタイプというのだろう。結局のところ、人間の90%なのか多くの人が、同様の行動特性を基に、性別による認知のゆがみを無自覚に行動していることから、自分だけまっとうな認知行動をしたところで、不利益を得るばかりということになるのだろう。よって、認知のゆがみを利用しながら、戦略的に行動することが合理的な生き方といえるのではないか。例えば、リップサービスをジェンダーに絡めることで、相手に納得感を与える確率があがるわけであり、商売繁盛や好意を得るための基礎とえるものとなるだろう。男性にとっては、女性は料理するものというステレオタイプは、ありがたい産物であり、このようなメリットを積極的に用いていこうと思っている。(386文字)
第3グループ(3課)
【身体とジェンダー】A 生物としての人間
1.自然科学とジェンダー 8.性同一性障害 5.ケアと労働
5.ケアと労働
「女性のとってのケア」という表現自体に、ジェンダー研究側のご都合主義が垣間見える。「愛の労働」なる新しい概念を生み出しているが、労働と愛を結びつけるべきではない。単なるすり替えだろう。男性も平等にケアを担うことが求められているのであれば、女性も平等に賃労働を担うことを求める議論や視点が不足しており、かなりジェンダー研究側の原稿であり、不快である。
介護することについて、純粋に労働と捉えるだけの話である。それをジェンダー研究側が目くじらを立てて、女性の解放運動等につなげているような論調である。冷静に記述してほしいところである。そもそも、生産性(経済的付加価値を生み出すこと)とは違う方向の介護について、高度経済成長時の日本において、女性が主としてその役割を担っていたのは、「女性が自然にすること」とされていたわけではなく、女性の働く仕組みが整っていなかったことや、女性側のしたたかな戦略であったのではないかと推察している。有能な女性は、封建的な日本においても数多く存在していただろうし、多くの女性が男性の庇護を受けながら生活したほうがお気楽な人生を歩めるということにメリットがあったからなのではないだろうか。この手のロジックにはデータが不足しており、ふわっとした記述内容なので、正確性に欠ける。
授業予定
1.読書範囲の説明
2.課題シェア、グループ討議
3.まとめ
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