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琉球諸語の音声的な特徴や諸現象/沖縄はロシアからも爆撃を受けた?!

手順
設問1 琉球諸語の音声・文法に関する基本的な知識
次の(1)(2)の課題から1つを選び,800字以上で回答してください。
(1) 琉球諸語の音声的な特徴や諸現象について、方言変種をふまえながら、かつ、方言例をあげながら具体的にまとめてください。その際、必ず次の用語をすべて使用して説明してください。
    喜界島、与那国島、北琉球諸語、南琉球諸語、子音、母音

<回答>wikipedia等で定義を検索し、参考文献から、以下にまとめた。

喜界島(きかいじま)は鹿児島市と沖縄本島の間に連なる奄美群島の内で最も北東部に位置する島。同群島内で最も鹿児島市から近い島とも言えるがそれでも約380km離れており、フェリーで11時間かかる。 全島が鹿児島県大島郡喜界町に属し、7千人弱が暮らしている。
与那国島(よなぐにじま)は、南西諸島八重山列島の島。日本の最西端に位置する島で、国境の島と呼ばれる[3]。
北琉球方言(きたりゅうきゅうほうげん)または奄美・沖縄方言(あまみおきなわほうげん)は、奄美群島と沖縄諸島で話される琉球語の方言の総称。琉球語の下位区分として南琉球方言と対をなす。北琉球方言の下位に位置する各方言を「言語」とみなす立場からは、日琉語族、琉球語派の北琉球語群(きたりゅうきゅうごぐん)あるいは奄美・沖縄語群(あまみおきなわごぐん)と呼ぶ。下位区分は議論中であり 確定していない。
南琉球方言(みなみりゅうきゅうほうげん)または先島方言(さきしまほうげん)は沖縄県の先島諸島で話される琉球語の方言である。宮古方言、八重山方言、与那国方言から成る。これら各方言を言語とみなす立場からは、日琉語族琉球語派の南琉球語群(みなみりゅうきゅうごぐん)と言い、下位言語に宮古語、八重山語、与那国語を置く。エスノローグではSakishima languages(先島語(群))としている[2]。3言語とも危機に瀕する言語であり、このうち与那国語と八重山語は「重大な危機」、宮古語は「危険」とされている[3] 。
琉球方言の連続音声 の規則合成 によれば、音声的な特徴は以下である。
 「琉球首里方言には,東京方言 とほぼ同様に発音される5種の母音があり,そのうち短母音としては/a,i,ロ/のみが使用される。東京方言の/e,o/は首里方言では,それぞれ/i,u/となる。首里方言の多数の単語は,この規則で東京方言の単語と対応づけることができる。これが上記の音韻法員則(6)の典型例である。また、母音および審母音の前の声門破裂音/?/の有無が区別されること(3×4)も首里方言 の特徴である。文献(2)に 首里方言のモーラの表が示されているので,他の音素 について参照できる。
 首里方言の単語のアクセント形には,平板形と下降形の2種がある。各アクセント形の特徴 は以下のとおりであるといわれる(1)。〓平板形 アクセント:この単語のピッチは,初め中 程度,あるいはやや低い高さ.で始まり,終りまでほぼ同じ高さで続く。 ①下降形アクセン ト:この単語のピッチは,平板形単語よりも高く始まる。2モーラ単語の場合は,第1モーラだけが高く,第2モーラは低い。3モーラ以上の単語では,通常第2モーラまでが高く,以後のモー ラは低く,終りまで平らに続く。各アクセント形に対応するピッチ ・パターンについ では,文献(5)で詳細に検討されている。ここでは以下の説明のため,各アクセント形の平均的 ピッチ ・パター ン(5)を図1に示す。」
 ということであり、琉球首盤方言音声の法則が明らかにされている。
 
また、琉球諸語研究の現在 によれば、
「日本で話されている言語で危機度が「大丈夫(safe)」なのは標準語だけで、「確実に危ない」も のは沖縄語、国頭語、奄美語、宮古語、八丈島語(八丈語)です。「非常に危ない」のは八重山語、 9 琉球諸語研究の現在 与那国語です。ただ実際には、これらの中にも方言がたくさんあり、たとえば八重山語の中でも 一部は「非常に危ない」、一部は 60 代以上は皆が話しているということがあります。与那国語は、 現在私の仲間が調査に入っていますが、活性化の運動があり、場合によっては一つ上の「確実に 危ない」に移るかもしれません。アイヌ語は「瀕死状態」のカテゴリーに入っていますが、ひょっとしたらもう六つ目の「消滅」に入ってしまっているのかもしれません。現在はフィールドワークができない状況になっています。アイヌ語以外は、一般的にはすべて日本語の方言であるとされていますが、UNESCOはこれらを別の言語だと考えています。日本の研究者でも方言ととらえるか、言語ととらえるかで揺れています。」との記載があり、確実に危ないものに分類されつつある。
 具体的な方言事例として宮古の事例が述べられている。
  宮古ではもう少しややこしいことが起こります。宮古では「シラミ」のことを[ssam]と言い ます。これを聞いてシラミを思い浮かべるのは、想像力と言語学の知識が必要となります。同じ く、「雲」は[fumu]になり、「こども」は[ffa]、「笑う」は[bara:ɿ]、「売る」は[vvi]あるいは [ur]、あるいは[vv]。「月」は[tsɿks]となります。現在私は宮古島の池間方言が話される地域に 調査に行っています。先ほど相互理解性テストで聞いていただいた池間の方言は、宮古の他地域 の人にもよくわからないようです。なぜか宮古では/p/で残っている発音が、池間ではほとん どの語で/h/に変わっています。その理由は学者によってさまざまな意見があり、謎の一つと なっています。たとえば宮古では人のことを[pstu]と発音しますが、池間では[hitu]と発音し ます。また、「起こす」という日本語は宮古では[ukus]と発音しますが、池間では[ukasɨ]とな り、[uCu]2 が[uCa]と[a]になってしまいます。これも謎の変化です。宮古市街の平良地区 では足のことを[pagɿ]と発音しますが、これが池間では[hazɨ]に変わります。「頭」は平良で は[kanamaɿ]、池間では[kanamai]、「網」は平良では[am]ですが、池間では[aN]です。ち なみに、平良では海と犬は違う発音です。海は[im]と[m]で終わりますが、犬は[iN]と、日 本語で書いた際の発音と同じです。これが池間では語末の/m/と/n/の区別がなくなるので、 海も犬も[iN]で区別されません。このような変化が生じることにより、平良でも通じないよう な池間方言ができあがります。 

 以上(2261文字)

(2) 標準語のテンス・アスペクト、日本語諸方言のテンス・アスペクト、琉球諸語のテンス・アスペクトに関して、用例をあげながら具体的にまとめてください。その際、必ず次の用語をすべて使用して説明してください。
    動作動詞、変化動詞、2項対立型アスペクト体系、3項対立型アスペクト体系、複合型アスペクト体系


設問2 琉球諸語の記録継承に関する理解と考え方

次の(3)(4)の課題から1つを選び,800字以上で回答してください。

(3) 琉球の動植物と方言について,講義内容をふまえた上で課題を設定し,その課題について論述してください。

(4) 琉球列島の地名について,講義内容をふまえた上で課題を設定し,その課題について論述してください。

課題:琉球列島における糸満の地名について、島外の移住者が馴染めなかった感覚

① 喜屋武(キャン):糸満の南にある字。
  地名からくるイメージよりも、その音に特徴を受けた。英語のCanそのものであり、容易に音で覚えることが出来た。音は簡単に覚えられたが、漢字で書けと言われたら、なんだっけとなる。

② 北波平・南波平:両字は隣接していない。市町村合併の前に波平地区が2地区あり、北にあったのが北波平、南にあったのが南波平となった。読み方のナミヘイではなく、「なみひら」である。
③ 古波蔵(こはぐら):こちらは、波平(なみひら)にならって、こなみくらとならず、波を「は」と読む。

④ 阿波根(あはごん):「あなみね」ではなく、あはごんである。根を「ごん」と読むのは、全国的に少ないのではないか。

⑤ 濁点:地名に濁点の有無が重要であり、間違えたりすると指摘されたり、島外の人ではないことが一発で判明されてしまう、まさにジライ・地雷の一つである。また、逆に現地に馴染んでいる気持ちになると、濁点の有無が気になったりしてしまうように自分自身に変化が生じていることに気づく。

⑥ 名城(なしろ):愛知県出身であり、名城大学(めいじょうだいがく)があったりすることや、名古屋城(なごやじょう)を「なごやしろ」と読む人は皆無であり、こちらの地名は、特に名古屋出身の人々は、かなりの衝撃を受けるのでないか。糸満人が名城大学を「なしろだいがく」と読むのかどうか気になるところである。最初は違和感があったが、みながみな「なしろ」「なしろ」というので、「なしろ」がしっくりくるようになるのは不思議である。

⑦ イントネーション:文字でイントネーションを表現するのは困難であることから、感覚的には、通常の気持ちで読むと、独特のイントネーションがあり、間違っていることが多い。

⑧ 摩文仁(まぶに):たしかに「まぶに」と読めるが、初見では、「まぶんじん」と読める。

⑨ 豊原(とよはら):サハリンにユジノサハリンスク があり、日本統治時代は樺太庁が置かれていたが、漢字表記は豊原であり、糸満にユジノサハリンスク(Южно-Сахалинск)があるのか!とロシアについて少々興味があるものとしては、大変びっくりした。ソ連が日ソ中立条約を破棄して侵攻したソ連軍(赤軍)が豊原を爆撃後、占領されたが、糸満(豊原)は、地名的にはアメリカにもロシアにも爆撃されているといえる。

<参考:糸満の字>
阿波根あはごん 新垣あらかき 伊敷いしき 糸洲いとす 糸満いとまん 伊原いはら
宇江城うえぐすく 大里おおざと 大度おおど 賀数かかず 兼城かねぐすく
北波平きたなみひら 喜屋武きゃん 国吉くによし 小波蔵こはぐら 米須こめす
座波ざは 潮崎町しおざきちょう 潮平しおひら 武富たけとみ 束里つかざと
照屋てるや 豊原とよはら 名城なしろ 西川町にしかわちょう 西崎にしざき
西崎町にしざきちょう 福地ふくじ 真栄里まえざと 真栄平まえひら 真壁まかべ
摩文仁まぶに 南波平みなみなみひら 山城やまぐすく 与座よざ

 【調査】沖縄の地名を漢字にあてたのはどの時期だったのか。
グーグルで検索 したところ「沖縄では琉球王朝時代から仮名(平仮名)が一般的に使われ、地名も仮名表記だった。 それが1609年の島津氏の侵攻で薩摩藩が琉球を支配するようになり、漢字の使用が広がり始めた。2016/02/13
・我如古(がねこ): =宜野湾市
・保栄茂(びん): =豊見城市」
 と検索された。琉球王朝じたいから平仮名が使用されていて、1609年の薩摩藩支配により、漢字の使用が広がり始めたとあり、江戸時代から地名に漢字表記がされたものと推測される。
 以上(1,478文字)
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