【人間とは何か】
 三省堂国語辞典、哲学辞書、西洋における人間それぞれの定義がある。例えば、辞書的に言えば、「ひと」となる。哲学辞書では、生物学上の分類概念や、規範的・価値的意味の区別がある。古代ギリシャでは、ソクラテスが、人間は理性的動物とし、プラトンが、政治的、社会的生活のうちに外側から規定し、アリストテレスが人間を社会的動物として定義された。キリスト教においては、人間は自然を支配する者として神によって示された者と理解されている。近代における人間の解釈では、自然科学知識が広がるにつれて、無限の空間の片隅にあるただの一個の点にすぎないとされているが、宇宙が無限であることで、人間の知性の無制限な力への確信を刺激している。いわば、神から人間中心主義へと移行している。
進化論における人間の概念として、人間の行ってきた仕事であったり、人間活動の組織であるとされた。現代における人間として、機械と人間を区別が困難になるほど、科学技術が進んでおり、新たな人間観の定義が求められている。東洋における人間として、古来より中国では「じんかん」とよみ、人の間、世間という意味で使用されていた。また、人も人間と同じく、複数を意味する言葉であった。
<見解>
人間に理性にあるかないか、理性的な人であるかどうか、など、理性という概念を人間と組み合わせたときに、理性の定義に注意が行きがちであるが、実は、人間の正体は何か、そもそも人間の定義は何かによって、多様な解釈が可能である問題提起の一つとなるということが講義から得られた知見である。例えば、なぜ女性と男性が世の中にいるのか。人間には女性と男性がいるが、女性は人間なのか、男性は人間なのかということが、当たり前のことととらえるか、まてよ、実は女性/男性は人間ではないのではないかということが古代ギリシャ等の解釈から、証明できそうな気がしてならない。例えば、ソクラテスは、人間は理性的な動物であると定義されたが、そこの女性/男性が理性的でなければ、人間と言えないのではないか。錯乱状態の女性/男性がそこにいたときに、それは、人間と言えますか?という話である。世界中の人間が錯乱状態に陥った時、例えば、キリストから見れば、世界に人間は存在しないということになり、自然の一部でもなくなっている、宇宙論から言えば、無限の空間の片隅にある一個の点に過ぎないということになるのだろう。半年間、現場事務所にて、一人で事務作業を行っていたが、今週から、フィリピン国籍の派遣職員が派遣されて、空間をともにすることとなった。今までは、空間の中に生命体が1体であったが、2体になったことで、私(私とフィリピンの方)はヒト・人・人間という定義されるものに進化し、人間・人にまつわるあれこれが起こるということになるのだろう。人は一人では生きられないという意味の人は、ある意味、ヒトが集合体であるということを示しているのだろう。

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