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スポーツマンシップとは?

第12回(12/23)「スポーツマンシップとは?」を視聴し、A4用紙1~2枚で添付提出してください。

1.今日の講義を聞いて、“スポーツマンシップとは?”のあなた自身の考えを、体験・経験・周囲環境を踏まえながら論述して下さい。(※一般的な模範解答を望んでいるのではありません)
 スポーツは多くのものがあるが、実際に基本的には楽しいものである。やらされている感の練習は、面白くなく、うまくなるために訓練などは、つらいがやりがいのあるものである。日本には流鏑馬・武術(各種武道)・相撲・など歴史のある競技があるが、儒教並びに儒教から発生した陽明学や朱子学などの影響を受けての教義に対する心構えのようなふわふわした価値観をともなったものが、日本式のスポーツマンシップなのだろう。スポーツから、スポーツに関わる人々を束ねるための思想・観念と認識している。

 その他大勢から抜きんでるためには、ルールを無視してゲームに勝つことである。例えば、ドーピングなどの薬で肉体強化することや、女性の競技に元男性が性転換して出場するなど、多くの事例がある。

 世の中の構造として、ルールを作る側がルールを無視していることが多く、群集にそのルールを守らせておいて、強者(ルールを変更できるもの)が利益を総取りする仕組となっているだろう。

 

2.授業に対する質問・意見や感想コメント

 スポーツマンシップから逸脱する事象があると、それについて非常に不愉快な気分になるので、そもそも、スポーツマンシップ教に加担しすぎるのは、あまり賢くないのだろう。自分を不愉快にさせるために、なぜ、スポーツマンシップを強要させられるのだろうか。個人的には、スポーツマンシップなどという人を操るような思想であり、逃げ道の無いものではないかと認識している。スポーツは好きであるが、スポーツマンシップを強要させられるのは、あまり好きではない。自ら、ルールをもって個人的に取り組むのは、特段問題ないが、団体競技などで、スポーツマンシップの傘の下、いろいろ理不尽なことをされる仕組みが残っており、日大のラグビー問題なども、スポーツマンシップという呪詛のなかで発生した悪例だろう。スポーツマンシップを金儲けにつなげている事例などありそうであり、美談はあまり記憶にないが、実際のところそんなものなのだろうという感想である。

 

以上

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