1. 今日の講義を視聴して、“健康について”あなた自身の考えを「大学生として恥ずかしくない内容」で、論述して下さい。

1. 今日の講義を視聴して、“健康について”あなた自身の考えを「大学生として恥ずかしくない内容」で、論述して下さい。(正しい答えは存在しませんので、感じたことを自分の言葉で表現してください。)
まずは、私なりの健康の定義を以下に述べる。その定義は、幸せである状態を指す。何か幸せを感じられる状態であれば、それは健康であるといえるのではないか。それは、講義でもあったが、疾病や障害に関わらず健康を定義される考え方もあるようであるし、例えば、食べ物においしさを感じられた場合は、脳が幸せを感じられるということにつながるからである。ある種の幸福状態に気づけるもしくは外部から刺激をうけて幸福を感じられることが、健康であるという状態と定義したい。
 実際にフィジカルやデータで健康を分析することも可能であり、それは、人間ドックや血液検査などで、身体そのものの状態を科学的に分析評価する手法である。毎日、健康診断している人が健康かと言えば、そうではなく、健康であろうとすること、すなわち、幸福を追求している状態、楽しいことを思い浮かべられる状態・実際にしている状態になるために、健康診断・人間ドックを受けるものである。
2.授業に対する質問・意見や感想コメント
 人間が生きていくうえで、健康を犠牲してまで強制的に労働し、理不尽な労働環境に捕まってしまった場合などに、身体的・内面的に疾病化していくのだろう。半年で、10kg体重が増加しており、腹が出てきて、醜い体になっているところであるが、一日4000円の食事代が会社から支給されることから、とにかく使い切ろうという、4000円分食べようという状態が一因である。人間は、好きなものを好きなだけ食べてよい状態になると、幸福度は増すが、不健康になることもあり、幸福を追求することで不健康になる状態もありうることから、自分の定義は、全体を包含しているとは言えないのではないか。
 盲目の方に対して、大学が運動科目を必修にさせる必要があるのだろうか。結果的には、良い話のような終わり方であるが、本人の意思を反映したうえで、判断されたと思われるが、直感的に、日本の国立大学というのは、柔軟性にかけ、何か恐ろしいものを感じる瞬間である。いわゆる社会的弱者への配慮に欠ける行為である。目隠しして、プールサイドから飛び込ませる行為などは、いじめか虐待行為であり、それを授業で行ったということは、とても悲しい話ではないか。また、こういうことは沖縄だからなのか、その点が、気になるところである。

○「大学生として恥ずかしくない内容」とは、
3~4行くらいで、『健康とは難しい・・・』という、提出すればいいでしょ、という中学生のような考え方で書かれている内容を指しています。ここ2回のレポート内容を振り返った場合には、上記のような人は数人でしたので、あまり心配していませんが、今回のレポートを書くには少し頭脳パワーが必要になると思いますので、頑張って下さい。

以上

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