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正統派の思想を視野に入れつつ原始仏教における思想的特質についてまとめ

人間と哲学の知 第9回講義課題(2021_1209)
*はじめに
皆さん、今日は。担当の〇〇〇です。今回は原始仏教について学びましたが、今回の課題は正統派の思想を視野に入れつつ原始仏教における思想的特質についてまとめて頂き、それに対する自分の意見を書いて下さい。
*締め切り
 12月16日(木)PM8:00

(1)文字数1000~1500字。

(2)講義で使用した資料か或はその資料と同等の信憑性のある資料に基づいて書くこと。

(3)出典は必ず挙げること。

(4)唯纏めるのではなく、最後に自分の見解も書くこと

(5)担当の指示する日時に提出すること。

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2021/12/09

<原始仏教における思想的特徴>

六師外道の後を承けて、アジア地域に影響を与えたのが仏教であった。

仏教は仏陀によって生み出された。仏陀の出生年については、諸説がある。およそ紀元前566~383年である。16歳で結婚し妻子を捨てて、29歳の時に出家した。各地で修行の後35歳の時に悟りを得た。その後、80歳で亡くなるまで、伝道して各地を廻った。バラモンの出征による身分の確定などを否定し、すべての人は能力と努力によってのみ救われるという普遍的な理解を生み出した。

認識論としては、議論のための議論に終始する哲学的課題を取り上げないという姿勢が特徴である。捨置(無記、置答、置記、十四無記)という。諸行無常であり、すべてのものは変化しているとする捉え方である。

形而上学としては、物事についての実体性を否定していることから、形而上学を必要としない。しかし、事物が現前していることは否定しないので、事物についての哲学的認識・形而上学的思考は営まれる。釈迦の説教として「五蘊説」と「十二縁起説」がある。

 

<自分の意見>

 無記という概念(解答を得ることが不可能な問や、肯定・否定いずれの回答も可能となる問いに対して、解答を拒否保留するという態度)は、女性から浮気を追求された男性の態度の一つだろうと想像している。個人的には、そういう状況を経験したことがあり、解答を拒否保留することで、事態をやり過ごし、すべてなかったことにしようという心境である。それが、無記に近いものかどうかはわからないが、解答を拒否保留する態度という点では同じだろう。捨置という技を本能的に男性は持っているのではないか。通常人は、自分のものの見方、認識の仕方を意識することは日常生活では少ないだろう。また、認識・認知の歪みや差分を他人から指摘されない限り、自分が正常であるという感覚で生きているものである。あらゆるものを自分の好きなように認識している。仏陀は物の見方、その認識の仕方の手法を定式化・概念化し、普遍的思考まで昇華させたと認識している。結局、世の中は「無」であると結論を得たが、その過程で、何もないという仮定から思考を出発したが、それは自分自身が在ることで、「無」ではないという実態を乗り越えて、累々修行・思考し続けて、「無」にたどり着いたのかもしれないということなのだろう。よって、仏陀的生き方を取り入れることによって、ピンチの際には、無記の技や多くのストレスを抱えた瞬間には「無」を意識的に意識するという技を駆使するのも一案だろう。

 

以上(1,048文字)

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