Race 人種 感想 異文化理解

Race 人種 感想
 植民地主義がはびこるなか、支配者階級が白人であったことから、白人を優位とする世界を構築するような世界になりつつあった。イギリスを中心とする白人たちは、自分たちの優位性を確立し、世界を支配するために、肌の色で人間を区別するわかりやすい仕組みを発明した。白色・黄色・黒人とする序列を作り、奴隷貿易制度と絡めて、アフリカ系の黒人を最劣等人種として取り扱った。それらを補足するための研究などを我田引水し、イギリス支配の世界を構築しようとしていた。さらに、イギリス周辺においても、同じ白人ではあっても、アイルランド人を肌の白いアフリカ人とみなすような取り扱いや差別をすることで、白人の中でもブリティッシュの優位性を確保していった。
 このことから、地球人という括りで見ると、肌の色の違い関係なく、地球上にいる人間は地球人であり、すべて同列と考えられるが、宇宙に人間のような生命体が地球上のみに存在しているような状況下であれば、必然的に人間相互に序列が生まれたのだろう。たまたま、イギリスが産業革命や植民地支配に成功したがために、白色人種の美意識が優先されたが、これが、例えば、黒人が産業革命に成功し、逆に白人を奴隷として扱っていたら、白色人種が迫害されることになったのではないか。「猿の惑星」という映画があったが、人間が猿を支配するのではなく、猿が人間を支配する世界を扱ったものであり、状況が変われば肌の色による支配は行われるということである。同じ肌の色であっても、出生地や地域で人間の優劣を決めて、ある特定の仲間で世界を支配しようとするのも、仲間意識・身内意識という安心感がそうさせるのだろう。いたって自然なことである。人間は安定や安心を求めるものであり、集団としても同様の心理が働くことから、異分子を排除する遺伝的な仕組みが埋め込まれており、それが、地球で人間が爆発的に増え続けている理由の一つである。現代は、国境の移動が自由になり、さまざまな人種の交流が容易になったことや、経済の自由化が進み、国籍、人種、肌の色などに関わらず、資本主義で成功することは可能となった。かつての差別主義に基づく世界支配の構造ではなく、実力があれば、成功できる可能性が広がっている状況にある。その中でも、かつての人種差別などの名残がまだまだあるものの、表面的にはあからさまな人種差別などを国際社会が排除していく流れになってきている。
 他方、日本国内においても、学歴や地域などの個人が持つ特性によって日本人同士差別をするようなことは表面的には無いが、小集団の学校生活等においてのいじめや異質な存在を集団的に排除するような人間の自然特性はまだまだ存在しいていると実感している。それは、いじめによる不幸な出来事などがまだまだ社会問題として残っていることが証明していると思われる。
個人的には、例えば、2019年4月から2年間沖縄で生活して、その後、北関東に引っ越し、8カ月ぶりに沖縄で食事をしたが、沖縄の方の身体的特徴に気づくようになり、関東の人と体格や顔つきの違いの微差に気づけるようになった。沖縄に住んで、その生活に慣れたころは、それらの感覚がなくなり、体格の特徴があまり気にならなかったが、あらためて感じるようになった。これらの体格的な特徴の差を感じられる集団が、大集団であった場合、大集団が文化的優位性や経済的優位性をもっていたとしたら、例えば、これらの身体的な特徴(小柄、方言)を見下すことや区別するような発想や優越的な行為をすることは、もはや避けられないものであり、自然的なことなのではないかとすら無力感を持っている。肉体的な特徴を差別の対象としないような時代が来るのであれば、それは美容整形などを必要としない世界であり、それらは永遠に来ることはないだろうと個人的には思っている。別に、私は、差別主義者と声高に言うつもりはないが、所属している集団や社会の流れなどが要因となり、時として無自覚に差別的な行動、発言、思想をしている瞬間が全くないかといえば、それは嘘になるだろう。肌の色が白くなりたいとかきれいな肌が良いとか、背が高くなりたいとか、身体的特徴を改善したい、若くなりたいなどの欲望があるということは、自分は自分、人は人という単純明快に生きていけるほど、強い人間ではない証拠だろう。ただ、人間は平等であるという普遍的な価値観を人類が共有できるようになり、まったくもって、人間同士を差別しあわない時代が来るのが、早まればそれは良いだろう・・・・。
以上(1865文字)

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