第4回講義課題について(20211028)
・課題
皆さん、今日は。担当の〇〇〇です。本日の講義は知識について学びましたが、本日の課
題は、西洋における「知識とは何か」について纏めて、それに対する自分の見解を添えて
下記の期日までに提出して下さい
・締め切り 11/4 PM 8:00
(1)文字数1000~1500字。
(2)講義で使用した資料か或はその資料と同等の信憑性のある資料に基づいて書くこと。
(3)出典は必ず挙げること。
(4)唯纏めるのではなく、最後に自分の見解も書くこと
(5)担当の指示する日時に提出すること。
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【知識とは何か】
・哲学では、知識には真なるものでなければならない。
・実践的/理論的知識の2種類に分類される。
・古代西洋では、知識は知識を持とうとするものとの間の同一性・類似性の問題に帰着する。
・プラトンの知識論では、知=魂の問題となる。
・アリストテレスの知識論
 感覚→記憶→経験→知識→技術
・ヘレニズム時代の知識論(紀元前232年~300年間:アレキサンダー大王~)
ギリシャ風の文化/コスモポリタン的な見方  
 内容的な視点を共有した。
キュニコス派のディオゲデスは「商業主義や官僚主義に抵抗する生き方を貫いた」。
エピクロスは「人生において最も重要なのは個人の快楽と幸せの探求である」。
ストア波は「各個人が内なる神聖さを秘めている」と説いた。(把握的表彰の同意承認)
・中世における知識論
 実在論と唯名論
・近世・近代における知識論
 事物の世界の知識は方法論的知識として確実性を要求するようになる
 人間の理性重視→人間中心主義
 ガリレオ(分解的方法)(合成的方法)
 カント:新たな認識論の枠組み(人間は物自体を認識することはできず、人間の認識形成が現象を構成する)
 (見解)
 知を人徳に教えた孔子も「天災はなく、すべて人災」と主張し、いわゆる天災が起きるのは悪政の証拠としている。 という一文から、書き出してみた。西洋哲学とは何かを漠然ととらえようとしていて、本棚にあったものから適当にめくった箇所にあったものだ。最近は地震や火山活動が活発となっており、これらも人災であり、悪政の証拠とするのだろうか。西洋哲学において、天災(自然現象)捉え方は、どのようなものだったのだろうか。知識は、真なる知識とされる西洋では、人災に天災が含まれるとする孔子の考え方については、真かどうかを判断することができないのではないかと想像される。なぜなら、天災は理論的知識と実践的知識の中間にある事象、もしくは、まったくの自然現象であることから、実践的知識・人間の行為に関わらないところで発生するものと考えられるからである。主観的信仰(ドグサ :臆見・思惑・思い込み)でないことを、証明できるかどうかにかかっているのではないか。天災→悪政の証拠は、臆見であるような気もするが、日本においては、2011年の東北地震の際には、悪政の状態であったということになるのだろうが、その時の政権が悪政であったかどうかについては、プロの政治家に判断を伺うこととしたい。主観的信仰を自分の考えから完全に分離することは、かなり難しいのではないか。では、このレポートにおいても、見解を述べているのであるが、それが主観的信仰を表現する場であることもあり、西洋哲学的に見解を述べようとすると、ドグサなしの論文になるのではないか。論文とて、自身の見解を述べる場でもあり、客観的知識・事実の精度を高めて、表現することが基本といえるのだろう。アリストテレスは経験主義といえるのだろうが、自分に経験があると思っていること自体が過信であり、経験を重ねれば重ねるほど、感覚を大切にすることが必要なのではないかと思うところがある。経験に頼り判断することを癖にすると、物事の本質を振り返り、立ち止まってじっくり思考することを避けて、合理的な判断となりがちであるが、人間理性の自己確実性から離れていくのではないか、哲学的反省を省略することになるのではないかと思うところである。
以上(1,458文字)

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