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月収-66,900円生活 [ネオポゴのシステム]

5月26日、昼間の12時半に目を覚ます。朝の7時に眠ってこの時間に起きるというのは、自分自身のこれまでの生活からは考えられず、半ば興奮気味に「よし、早起きできたし市役所にでも行ってやろう!」とスケートボードを片手に颯爽と家から飛び出す。
しかし、まともに目も開けられないほどの日差しが即座に市役所へ行く事を諦めさせる。
根性がないと言われてしまえばそれまでだが、僕は眩しい光が苦手なのだ。

なので、太陽から避難するため、日陰を辿りながらネオポゴタウンへスケボーを転がした。


怒りの看板

ネオポゴタウンは中央パークアベニューという名の商店街にあるのだが、最近気になっている看板の写真を撮った。

すごい文面である。明らかにゴミを捨てた人が悪いはずなのに、この看板を掲げた人の言葉が強すぎて擁護も同調もできる気がしない。こわすぎる。
しかも、よりによってこの商店街の通り会員であることをアピールしているが、この看板の存在は商店街にとってマイナス効果の方が大きいのではなかろうか。
だって、めちゃくちゃ治安の悪い地域にしか見えるもの。

一応、念のためにもう一度言う。
確かにこの看板があった場所には信じられない量のゴミ袋が捨てられていたことがあるので、ゴミを捨てていた人に非があるのは間違いない。
それに対する怒りも充分に理解できる。それなのに、この看板の主に全く味方できないのだ。

[キチガイ]という言葉を投げかけているはずのこの主こそが狂人的に感じてしまうのは不思議であるが、どのような正当な怒りであれ、感情に任せて出た言葉や行動次第では、他者からは共感を得られず、時に被害者ですら加害者的に捉えられてしまうことがこの看板が身を以て教えてくれている。

実際、"怒り"という感情は決して悪いものなわけではない。ただ、間違えてはいけないのはその怒りの振るい方である。

言いたいことを言って、相手をボロボロに傷つけて自分の気がすむのならおめでたい事この上ないが、反発を生んで、より怒りを増幅するややこしい事態にもなりかねない。
どのような正論をぶつけても、その言葉が侮蔑的であれば、相手は受け入れられるものも受け入れられなくなるし、周囲で見てる味方ですら離れていくかもしれない。
これはインターネットの世界でも充分に当てはまるので、昨今のSNSにおける"問題の本質を置き去りにした罵倒合戦"を目にすることが多いので、どうかこれを読んでいる読者もそうはならないように気をつけてほしい。

言葉や行動は大事にしたいものだ。


ネオポゴ到着

そうこう考える間もなく、店に到着。店の前にたくさん植えられている野菜の鑑賞をする。キュウリとトマトが信じられないくらい密集して育ってきている。植物の生命力はすごい。早く実がなるのが楽しみである。路上野菜解放戦線の人たちは日々の小さな喜びも与えてくれている。

店の中に入るが、それにしても今日は暑い。キンキンに冷えた炭酸飲料でも飲みたいところだが、ネオポゴタウンは不必要な電気代を節約するために冷凍庫の電源を切ってしまったため氷がない。
この冷凍庫に電源を入れるのはいつ頃になるだろうか。

ちなみに、世の中は、なにやら自粛解禁ムードになってきているが、そんなこと我々ネオポゴタウンの住人にとって知ったことではない。我々はどうしたってまだ店を閉め続けなければいけないのだ。
なぜなら、全く改装が終わっておらず、店がひどいありさまだからである。

3月に大量に仕入れていたドリンクやお菓子を売ることもできず、賞味期限が切れる前にと自分たちで消費しているが、それも尽きはじめ、今後の買い出しを考えると面倒くさそうで憂鬱だ。

考えるのも面倒になってきたので、昼寝をした。
起きたら、ネオポゴメンバーみんなが揃っていた。ずいぶん前にマリに貸していたお金1万円が返ってきた。臨時収入みたいでありがたい。
そんでもって、それぞれなにかやったりやらなかったりで、気づいたら夜も更けていた。


WiSH

GEZAN主催のレーベル十三月のYoutubeチャンネルで公開されたドキュメンタリー映像をみんなで観た。

出演する人々が自分の考えを丁寧に言葉して伝えていく中、明らかに子ザルのような人間も映っていた。
僕とヤマちゃんである。
マンガで例えると、7頭身の登場人物の世界観に、3頭身のキャラが混ざりこんでしまったような謎のゆるさに加え、何を喋ってるのかいまいち頭に入ってこない割れた音質と知能指数が8くらいしかない僕のグダグダのトーク。
ヤマちゃんは上手に話していたため、まとまりが生まれていたが、もうちょい僕もなんか良いこと言いたかった。
みんな真剣な答えの中、なんで崖から落ちた話とかしてしまったんだと見返すと少し恥ずかしい。あらかじめ喋ることを考えて、他の人たちみたいに格好いい言葉とか言ってみたかった。

(映像は1時間近くあるので、この日記の最後に貼り付けておく。)


NEO POGOTOWNのドリンク代システム

上に書いたドキュメンタリー映像内で喋る僕の話が絶対に伝わりにくかったように思うので、もうあえて文章で説明する。
時間があれば、以前書いた日記のクエストリストとの部分と共に読むと理解も深まるかもしれない。

ネオポゴタウンのドリンクには値段が決められていない。
決められていないというのはお客さんが自由に値段を決めて良いということである。投げ銭とは少し違う。
自分にとって負担のない金額で一杯ごとにドリンク代を決めるようなシステムだ。

このシステムを採用したのにはいくつかの理由がある。

一つ目はライブハウスに行くと、「お金はないがお酒は呑みたいしバンドの物販も欲しい」という欲求はつきもので、ただ、店のドリンクの設定額によってはイベントの合間を縫って近隣のコンビニで缶チューハイを買うなんて事がざらにある。
多くのライブハウス側の立場としては、コンビニで酒を買う客はきっと「ライブハウス客の困る行為ベスト5」に入る部類だろう。

でも、僕は店の立場を置いても、そんな客の気持ちは充分に分かる。
自分たちの遊び場を残したい気持ちと、思いきり遊びたい気持ちと、財布の中身の折り合いが付けられないのだ。その気持ちが分かるからこそ、ネオポゴタウンでは飲食物の持ち込みすらを許すことにしている。

でも、わざわざ150円の缶チューハイを買いに離れたコンビニまで出るくらいなら、そのお金でウチから酒を買って良いから、今日という日を思う存分楽しんでくれた方が嬉しい。
当然その値段で酒を買われ続けると、店としては赤字ではあるが、またいつかお金があるときにでも来たその人が、少しだけ多めに払って帳尻を合わせくれるかもしれないと希望は込めている。
また、ドリンク代を節約できれば出演者の物販を買うお金になって出演者のサポートにもなる。

二つ目は「上記のように、お金のない人の事も考えて最初から価格設定を安くしたい。けど僕自身の生活が苦しくなるのも避けなければいけない」という葛藤もあり「値段をお客さんの都合に合わせる」というのは僕としても都合が良かった。

三つ目は価値基準は人それぞれで、それを見つめなおす場が日本にも一つくらい必要だと感じていたからだ。これは説明が少し長くなる。

僕は資本主義社会や社会主義、共産主義など、それぞれに良さもありながら、それぞれに弱点や問題点もあると思っているのだが、僕らが身を置いているこの資本主義社会の弊害としてはあらゆるものの価値基準がどうしても数値化されてしまう事が避けにくい事だ。
もちろん、それ自体はなにも悪いことではないし、利便性も高い。
ただ価値を数値化して提示するということは、一見、誰にでも均一で平等のようにも感じるが、本来価値とは、数値で表せるものではないし、数値化するにしたって同じものでもその価値は、人や状況によって変動するはずである。

たとえば、月収10万円の人と月収40万円の人では1万円の重みは違うだろう。
たとえば、給料日後にライブハウスで飲む酒に当たり前に払える500円と、給料日前で節約しなければいけない時のドリンク500円は、間違いなく自分の中で価値基準が変動しているはずでもある。

僕らはどうしても誰かに決められた価値観の中で生きなくてはいけない社会に身を置いている。
それは楽である反面、このまま能動的に人に決めてもらう事に慣れていけば、気づかない内に何か良からぬものにも追従していく危険もはらんでいる。

だから、面倒なシステムかもしれないがNEO POGOTOWNは自発的な思考の場として値段をお客さんに設定してもらうことにした。

最初は500円で呑んでいた人が「もっとたくさん呑みたい」と後から200円や300円にすることもある。そういった流れがあるとコミュニケーションは発展し、イベントの際には出演者だけでなく、様々なお客さんとも会話の糸口にもなって、なんだかんだこのシステムのおかげで僕らもお客さんも特別楽しく過ごせているような気がしている。

もちろん、経営的なリスクは付いて回るが、3年近く経ってもなんとなく今のところはうまいこといっているので、他にも同じようなシステムの店が出てきてほしいと思っている。


以上がNEO POGOTOWNのドリンクシステムである。他にもいくつか新しいシステムを色々試しているので参考まで下記のnoteも読んでみて欲しい。

▼要参照▼


それと、さっき書いた僕とヤマちゃんが映ってるドキュメンタリー動画も下記に。
僕だけずっとずっこけてる気がする。

【十三月ドキュメンタリー #WiSH (2)】


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