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Log_2023.12 Part.2

↓ コレのつづきです

・12/17 at 新宿

 新宿BLAZEでの群青の世界。数ヶ月前に自分の気持ちに深い楔を打ちこんだ最後の瞬間。閉じ込めていたビデオテープを巻き戻すかのような気持ちで入ったのを覚えている。

 何度もライブを観てきたグループにいくつかある、フォーメーションについた瞬間に全てを察する曲。そのうちのひとつだと分かった瞬間、「ああ、ここに幕を引き直して、本当に良かった」という気持ちが溢れて止まらなかった。一度目の幕引き、この場所に居たいと望むようになった日、二度目の幕引きの始まり、そして最後。自分のなかの節目を迎えるたびに必ず「青い光」は一曲目に置かれていた。

「この願いがどうか、君に」

 4月14日の一曲目の「ステラ」。
 会場中の一点に視線を集めて光を放ったあの人と同じ場所で、同じように自分の見せ場を全うしたふみかちゃん。紆余曲折ありすぎたけど、自分が注げる好きの総量が過不足なく終われるはじめての人になれそう、という確信を作りきるのにはこの一曲で充分だった。あと、この日出せる涙の総量を枯らすのにも。

 そのあとの「カルミア」からは、どこか気持ちに余裕ができてずっとニコニコしながらステージを観ていた気がする。
 息が絶え絶えのなか最後のMCをするふみかちゃんの姿も、「え、好きだな」くらいの軽さで見届けるくらいには。終わった瞬間に喪失感に襲われたあの日と全く違う穏やかな気持ちに浸れたのは、独りよがりだけど、少し前に進めたな、と思った。

 ここで25分ほど時を戻す。

 周辺の拗らせ共の「君たち好きなんだか好きじゃないんだかハッキリしてよ」ってレベルの感想と、”特定のメンバー”のSNSアカウント情報しか渡されないので観て判断するか〜と思って観た透色ドロップ。想像の数段階好印象だった。特に9ヶ月前に観たとき、ぼんやりと片隅に残っていた「アンサー」が運良く聴けたのが→→↑ポイント。

もはや既に懐かしい

 こちらが"特定のメンバー"ことかまろん。
 ここから少しいろいろ起きるとは思わずにご挨拶程度のノリで。

萌え声/萌え顔

 はじめましてカードその2、ミラミラ多動部楽しすぎるので今後ともふらっと立ち寄らせてくださいの意を込めて。

 自分にとってこれ以上ないラスト対バンを終え、穏やかな気持ちでメンカラ黄色要素を濃くした一日、思わずBLAZEの外でアンコールするくらい最高のジエメイを浴びて退場。名古屋でいちばんアツいフロアの名に違わないライブ、素晴らしかったね。

・12/18

 この日、ライブとかはなにも無かったんだけどトピックスが結構あった。

 終わりを抱えて走っている最中って、良くないニュースが連鎖する。

 一年で「送り出される側」、「全てがなくなる側」、「送り出す側」の全てを味わうことになるなんて思いもしなかったし、Quubiというグループのひとりひとりが占めるウェイトはバンドの楽器ひとつが欠けるのと同等だと思ったから、ものすごく揺らぐ出来事だった。

 ただ、この先も続けるという意思が残された3人からすぐに発信されたのは救いだったし、「ツアーの最後は観るべき」とKolokol、tipToe.のステージから触発されて既に大阪行きを決断していたのは気持ちの切り替えに良く作用したように思う。

 終わりに加え、区切りを背負うことになったこの日。


 その裏で1週間、少しだけ早起きをすることになったんだけど……

 完走したから言っちゃうけど、「人を知る」って観点からはものすごくよい機会だったし、すごく感覚的なんだけど「割と合ってそう」なのがなんとも言えない気持ちになっちゃった。この話は深く掘らない!

・12/20 at 赤羽

この数日後火事が起きる
良番感謝

 「残り3回」を宣告された今のQuubi、それを追いたいという決め手となった日と同じ下手柵の景色からまた見届けられる幸運。

 折角だし音に身を預けながらじっくりと目に焼き付けよう……→初手「The voice you saved」→おかしいおかしいwww多動止まらん!www結局柵があっても後ろにいるときと全く変わらない動きで25分終了……本日もごちそうさまでございました。

 そのまま柵に居座ってミラミラまで鑑賞。
 横にやって来たSHAKAみたいな見た目のオタクがものすごくたくさん踊っていたので釣られて騒がしい動きをした。セスナも流星も無いセトリにはじめて当たったけど一生遊べるMirror,Mirror、速やかに次が観たいという気持ちになった。


 この日くらいしかないなと思って全員(+みきちゃん)と。
 特にりさちには楽しい場所をありがとうと伝えられたので良し、としましょう。

・12/21 at 下北沢

 いつもの……なんだけど記憶がない。この直後の別件で緊張していたので。クリスマスライブでカラオケ大会が始まって万里菜上手いな~と思ってShazamしたら反応してすげぇ!ってなったことと人種問題に発展しそうなmixを打ったことだけ覚えてる。あとカリブーのコスプレ

 カリブー(ばく)

 その別件。

この絵文字ちょっと見返すとムカつくな

 下北沢の路上で繋いだら大笑いから始まった、ひとり切り離されたかのようだったけど、さっきまでいた職場やライブハウスよりずっとあたたかな時間。あの看板があった道を通るたびに、思い出す出来事が積もる音と、この2日後に迫る最後の足音が聞こえていた。

・12/23 at 横浜

 この日のこと、何から、どこから書けば良いんだろうか。未だにずっと考えている。
 この場所との出会いとか、自分の中で起きたドラマとか、それをひとつにまとめる作業もとっくに終わっているつもりだったのに、思い出そうとしてセットリストの一曲一曲と向き合うたびに言葉を紡ぐのが難しくなってくる。だからこの日味わった気持ちだけをここには簡潔に置いておく。

 「グループのラストライブ」というもの、目の前で起きている光景にプラスして「ありがとうしか浮かばないフラッシュバック」というか、「その曲の自分のなかで最も印象深かった瞬間」が一生波状攻撃を仕掛けてくるものすごい時間だった。良かった記憶だけじゃなく、面影に焦がれて苦しんでいた記憶も一緒にやってきてかき乱してくる。
 一度味わった「コンテンツの死」と感覚的には似ていた、似ていたからこそ、苦手な比較論を持ち出して「比にならない」くらいのつらさと、役割を終えようとしている目の前の対象に対する祈りにも似た気持ちでステージを見つめていた。その祈りのような気持ちがつらさを一時的に超えてくれたから、すべてが終わってしばらくは笑顔だったし、気丈に振る舞えていたんだろうなと思う。

 「群青の世界の、横田ふみかというアイドルが、大好き」

 この気持ちに辿り着いて、直接目を見て伝えることができた。
 それくらい大好きなものと、思い出の中でしか生きていけない。その思い出の再生ボタンの1プッシュ目。レンズ越しに笑うだけで手が震えた最後の一枚を撮った直後の決壊は、引き出しにこれから何度か手をかけるたびに思い出すんだろうな。

こんなに笑ってるの、すごいな

・12/24 at 渋谷

ほんしか

 全てが終わって家にたどり着いたのが朝9時、そこから1時間で見てくれだけは整理して、自分の足で歩きながらも、立ち止まる気持ちを介護人(勝手に転がり込まれたけれど、勝手に転がり込んできてくれてホントに助かった、ありがとう)に引っ張られて向かった渋谷。

 会場に着いたらなんとかなる、そう思っていた。なんとかならなかった。ホールのような会場、滅多に無い椅子の配置。呼び起こされるにはあまりにも新鮮すぎる光景が鈍器を抱えて胸の奥深くを殴り続ける。このグループのファンである以前に、客ですらない、道化としてこの場に存在していた。ライブ中にミニチュアのツリー振り回しておきながらなんだお前、と言われても仕方ない、精一杯の道化としての空元気があれなので……

 ドラマとか失恋ソングの歌詞でいう「クリスマス、誰もが幸せそうなのにひとりぼっちなわたし」の擬人化と言えばいいのか。笑っている人の顔が見れない。「笑顔」という彼女が大切にしてきたキーワードで靄がかかってそれ以上何も考えられなくなり、笑顔を振り撒くのがある種仕事の、アイドルの口角が上がるのを感知した瞬間に目線を逸らしてしまうのが自分でも分かるくらい苦しかった。
 特にこの日のイベントはメンバーそれぞれが、誰かを幸せに、笑顔にさせるために練った出し物を持ってくる時間が用意されているのが分かっていたから、その幸せを割り切って受け止める余裕すら持ち込めなかったことの申し訳なさばかりが積もっていく。

 その申し訳なさが最も積もる対象、どうしてもこの場所でいちばん好きな人になってしまう。人を笑顔にさせるための選択肢として彼女が用意したのは「ダンス」。
 こんなとき、同じ選択をした人を僕は知っていて、ちょうど今、思い出の中に閉じ込めようと動き出したばかり

 そんな状況だから、ステージの上にいるのは全く違う出会い方をした別の「好きなアイドル」なのに、8月、SEとともに現れた別の人の映像が鮮明に流れ込んできて、消えてくれない。
ここにいるべきじゃない、だけど、ここで起きている景色は見届けたい。目を離しても離さなくても積もっていく負の気持ちの消化に終わってからまるまる30分くらいかかった。ステージから彼女がよく見せる安堵の表情を浮かべて去った以降の記憶が全くない。気づいたらめみちゃんがギターを持って目の前で歌っていた。真剣な表情で譜面に向かう姿、笑顔とはほど遠いけれど、笑顔じゃない、それがかえって救いだったことを覚えている。

 こんな状態でまともに話ができるわけない。

 そう思ったんだけど、「どこか様子がおかしい」ことには勘づかれていて、意外と目を見て話すことはできたから、こんな後ろ向きな気持ちで来てしまったことに対する絞り出したようなごめんなさいと、この気持ちにたどり着くヒントを渡したところで、ちょうど24時間動き続けた身体と同時に心も限界を迎えることになった。

 スキップというか、気絶から2時間後。
 私は、どうしてここに?

WWW Xってこんなに椅子あったんだ

 Quubi Japan Tour 2023 前哨戦こと(この場でそんなこと言ってたヤツ俺以外に絶対おらんだろ)、すきいろクリスマス2023。

 どうしてあんなメンタル負荷の高いイベントのあと、息つく暇もなく動きまくっているのか全く分からなかったけど、ライブ会場に似つかない椅子という存在の偉大さとともに、このライブが自分の期待以上にとても良いものだったことは覚えている。特に印象的だったのは「雪のカケラ」。ちょうどどこかぽっかり穴が空いたタイミングに仮止めの接着剤としてぴったりな歌詞と曲調、思わず「良いなぁ」とため息が漏れた。現場の勝手は分からないけれど、それがかえっていい湯冷めになったのかもしれない。

・12/29 at 白金高輪

この紙いつも撮り忘れるんだよなあ

 興味が沸いてきた場所にはとりあえず行っておくべし。その教えに従い、最近電波が入るようになった空間に吸い込まれるように向かったら出会って2週間も経っていないアイドルに感謝された回。感謝はこちら側がするべきです、聴いたことのない曲がガンガン聴けた&意外と手札が充実していることを知れたので……と思い感謝の整列……

 「外ハネショートは好きか?」
 「()」

 このときの絶妙なライン越えが面白かったので心を開いたらしい。
↑チョロすぎ いつもこんくらいチョロくていい

・12/30 at 渋谷→下北沢

 一日に3現場を回す人類はバカ、そう言ってた時期もありました。2023年最後の最後で自分もバカの仲間入り。しかも自分の手札の中でもだいぶカロリーが必要な現場だらけ。ホントにバカだった。

気合い入ってた

 まずはsituasion。ワンマンライブが告知されると日程を空けて行こうとするのはこのグループの音に麻薬が練りこまれているから。直前にリリースされたコンセプトと趣味がだだ漏れのEPをどう絡めたライブになるかも気になるポイントだった。いざ始まるとそこにはいつも通り最高のsituasionがあった。新EP、ゆんゆちゃんの見せ場がたくさんあって良い。

 そしてメインイベント、Quubi。

苦しかったWWW Xが、最高の場所に変わった

 りさちの手紙から始まったこの一日、センチな気分を一撃で「最高な、Quubiのフロア」に返す「Dear my…」のSEから、突き上げた拳が下がるヒマもないライブ。「Change my life」でステージと同じ景色に立って浴びる音の気持ちよさを味わえたのは語り継ぎたい出来事かもしれない。
 感情が揺れに揺れたこの数か月間、Quubiだけは変わらず聴き続けて、絶えず足を運び続けたから、聴いているときは負の感情と無縁になれるという唯一無二の場所を自分の中に築いたような気がする。

シャツも買っちゃった

 次の大阪も楽しみにしている、そう伝えて次の場所へ。

 余韻を引きずり向かったのは下北沢、入った瞬間、おつきの「セッツ……」で切り替わるスイッチ。東京下北沢、さとりモンスター、はじめます……

今年ラストのシモキタ

 見れたのは3曲だけだし、なんか知らない子がステージに居て面食らった(失礼)けど、バカみたいな回ししてアンコールから突っ込んでも騒ぎの輪に飛び込めるさとりモンスター、やはり必要な場所なんだな、一年間いろいろな場所に踏み込むきっかけとなったチームを見つめながら思っていた。

 常人ならありえない回しをしたあとにこのツイ廃と話すのもなんだか懐かしいな、あの時も現場違いのシャツでゲラゲラしながらやってきたっけ。そういうちょっとセンチな気持ちになったことは勘付かれてないでしょう。たぶん。

・12/31 at 渋谷

 大きな別れを経て、そのなかでも楽しめそうな場所を選んで足を運んでいたけれど、そのなかで、どうしても心の中に渦巻いていたモヤモヤがあった。それが24日のこと。
 誰もが幸せになりに来たはずの場所に入り込んだ異物のせいで、少しでも幸せじゃない気持ちにさせてしまったことを、少しでも清算したいと思った。

 そんな日のセットリスト、tipToe.から突き付けられたのは「そんな簡単に行くと思うな、もっと悩め、苦しめ」と言わんがばかりの激情だった。前日、「僕が行けなかった」代官山に居合わせたフォロワー曰く、「前日を凝縮した」30分。終わりに向けて駆け足で進んできた一か月の自分の歩みの縮図を見せつけられ、「My Long Prologue」で「次の終わりに向けたスタート地点」に置かれた気分になった。その一歩目を踏み出すには、まだ乗り越えないといけないものがある、そう感じた。

 初手謝罪からはじまる会話。
 渡したヒントを辿って、あの日どうして自分が元気じゃなかったのかまでたどり着いたのもそうだし、この日のセットリストを浴びてつらい気持ちがぶり返したことまで見透かされていた。来年、いや、来月の目標は、この人と笑って再会することにしようと決めて、今年最後の腐るほど観た坂道を引き返した。2023年、営業終了。

帰ってから近所のオタクと初詣に行った、一年お疲れ様でした

・あとがき

 全てがはじまったときは、こんなに濃い1ヶ月を過ごすことになるとは思っていなかった。終わりが目の前に近づいているとき、どういう気持ちを得て、どう立ち振る舞うのかという、試金石のない終わりとの対峙。
 最優先で向き合うべき人と、最後の瞬間を笑って、持ちうる「好き」の総量をぶつけ切ったことは間違いなく良かったこと、だと思う。

 【ふみか推しのみんなへ】

 二枚目の写真、彼女がこう見出しをつけて綴った言葉を、自信を持って「その中のひとり」として受け取れる人になれたこと。とても嬉しかった。ただ、その気持ちに辿り着くのも「終わりあるからこそ」なんだと身をもって感じたこの期間。その気持ちを別の何かに向けて動かす難しさも知った。

「幸せだから笑うのでは無い、笑うから幸せなんだ」

 すごくハッとした。つらい、難しいと記した日のライブには笑顔を浮かべた記憶がないことを、1年間の自分の記録を見返して思った。12月もそう。幸せだな、良かったな、楽しかったなと思った出来事の端々には笑っていた記憶がある。ここ最近足しげく通っているQuubiのライブのときはずっと笑っているし、ご無沙汰気味になってしまっているタイトル未定とかを観終わったあともすごすぎる余韻で笑っていたし、自分からフロアをぐちゃぐちゃにしにいくさとりモンスターもそうだし、いま、つらさを伴っているtipToe.だってバンドセットの日は笑顔で帰った。この月はじめて接触した人たちですら、会話の端には笑顔があった。幸せの裏には笑った思い出がある。このことに気づけて良かった。

 あの日笑えなかった自分は、この言葉を思い出す余裕すらなかった。いまなら少し口角を上げていられるんじゃないかな、と思う。

 どうしても色濃く残った思い出によったまとめになってしまうけれど、こう締めくくらせてほしい。

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