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ウクライナ国際航空752便撃墜事件は、何故イラン航空655便撃墜事件と比較出来ないのか?

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって


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ウクライナ国際航空752便撃墜事件は、何故イラン航空655便撃墜事件と比較出来ないのか?


はじめに


イラン航空655便撃墜事件とは

1988年7月3日にホルムズ海峡に停泊していたアメリカ海軍の巡洋艦ヴィンセンスからのミサイル攻撃で、撃墜された民間航空機イラン航空655便

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犠牲者は搭乗者290人全員であった。巡洋艦ヴィンセンスはアメリカのサンディエゴに帰港した際、民間機を撃墜したにも拘らず、英雄として歓迎された。

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「彼らは『52』を言うが、『290』も考えた方が良い。#IR655、如何なる時も偉大なイラン国民を脅迫するな」

前に、トランプ大統領が「イランが米軍基地などを攻撃した場合、イランやイラン文化において、とても重要な場所を含む52カ所を標的にする」とツイートしたけが、『52』は1979年発生したイランアメリカ大使館人質事件で米国側人質の人数である。決してトランプだから52と言うのではない。


殉教者ニーキー・マレキー(イラン航空655便撃墜事件の犠牲者)の息子ジャヴァードは、この2つの事件の疑惑と相違点について考察している。

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♦イラン航空655便撃墜事件とウクライナ国際航空752便撃墜事件に共通する点は;いずれも大変痛ましい災難であることです。

31年間に経験したことを基に申し上げると、この災難の驚愕と衝撃は、何年が経とうとも、遺族たち家族の襟元を締め付けて離すことはないでしょう。遺族となられたご家族の皆さんに哀悼の意を表します。そして、彼らのために唯一の神様へ忍耐をお授けくださいますよう祈ります。


一方で、2つの事件で異なる点は:

1.アメリカの措置は故意的であり、イランの態度を変えることを意図して戦争の終結間際の月日に計画されました。しかし、ウクライナ国際航空752便撃墜事件は、ヒューマンエラーで起こったのです。

2.イランとは反対に、アメリカは長期間に渡って責任措置を受け入れませんでした。このことが我々の悲嘆を更に痛ましいものとし、我々残された者たちの心と魂をヤスリの如く削ったのです。

3.31年が経過しましたが、アメリカは犯した行為に一度も謝罪しませんでした。一方で、イラン政府は一週間も経たずして公式に謝罪しました。

4.イランでは直後に裁判調書が作成され、有罪無罪のための、責任措置が取られる運びとなりました。一方で、イラン航空655便撃墜事件の実行者と指揮官らは、一度たりとも訴追措置を受けなかったのです。

5.毎年、父の殉教日には、アメリカが自らの犯罪行為を否定し、殉教者らが流した血から、アメリカの行為が潔白であるために本気となった記事が流布される事態が起こります。一年に一度、傷口に塩を摺りこまれ、父の殉教の悲痛を新たにします。しかし、ウクライナ国際航空752便撃墜事件については、このようなことにならないでしょう。

6.唯一の神様に目を背けた、アメリカのミサイル巡洋艦ヴィンセンスの船長ウィリアム・クライド・ロジャース三世が受勲したとの報せを聞いて、それはまるで、我々の目の前で、彼らにもう一度、父を斬首されたかのような酷い苦痛でした。


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終わりに:今日、私やイラン航空655便撃墜事件の殉教者の家族たちのように、誰一人として、服喪する我々のような家族を目にすることはありません。親愛する皆さん、心からあなた方のお気持ちをお察し申し上げます。

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―――――本文はここまで―――――

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