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「罪を犯してはならない」の意味

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって

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おぉ、アッラーよ!祝福くださいムハンマド様を
そして彼の御一門の人々を
そして彼らの救済を近づけてください

「罪を犯してはならない」の意味

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よく耳にする言葉の1つに「罪を犯してはいけません 」があります。

罪を犯してはならない、この命題は子供でも理解出来ます。罪は悪いこと、だからやってはいけないこと。何故なら、それは禁止されていることであり不幸の源であるから。


ですが、なぜ罪を犯してしまうのでしょうか?

分かり切っているこの命題を、なぜ守ることが出来ないのでしょうか?

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「罪と悪魔と人間」に関してクルアーンは至るところで述べています。

有名な話として、唯一神が天使に向かってアーダム(最初の人間)へ跪拝(サジダ)するよう命令した際、イブリース(悪魔の親玉)だけが跪拝をしなかったものがあります。

イブリースは元々火から創られた幽精(ジン)でしたが、熱心にそして6,000年とも言われる長い期間を崇拝行為に費やしていた為に、特別に天使へと取り入れられ、加えてその頂点に立っていたのでした。

しかし、先の一件でイブリースの崇拝行為の正体が明らかとなりました。イブリースは本質が根本的に異なるモノ同士を比較するという誤りをします。つまり、「火からの幽精」と「汚泥からの人間」を類推(キヤース قیاس)します。それによって、火である自身が優れて汚泥であるアーダムが劣ると自己判断を下します。唯一神からの命令を脇に追いやり、自己判断をあろうことか唯一神の命令よりも優先し、アーダムに跪拝しない行為、つまり唯一神の命令に背く行為をする、という罪を犯したのでした。

話しはここからです。

その後、唯一神はイブリースを忌まわしく呪われているとして追放します。そして、この呪いは最後の審判の日までイブリースの上にあると唯一神は仰いました。それから、イブリースは自分を最後の審判の日まで猶予するよう、唯一神に申し出ます。それが許可されるとイブリースは唯一神に誓いを立てるのですが、これがなんとも強烈な一言なのです。アラビア語が多少分かれば、この言葉が如何に確固な決意で満ち溢れた言葉かを理解出来ると思います。

قَالَ رَبِّ بِمَآ أَغْوَيْتَنِي لأُزَيِّنَنَّ لَهُمْ فِي الأَرْضِ وَلأُغْوِيَنَّهُمْ أَجْمَعِينَ

彼は申し上げた。「私の主よ、あなたが私を迷わせられたために、私は地上で彼らに美しいものであるように思わせ、必ず彼らすべてを、迷いに陥らせましょう。
15.アル・ヒジュル章39節

まず、これが宣誓文であること、次に動詞の強調表現、そして人間のすべてというこれら強調表現から見て取れるように、イブリースは確固とした決意と悪意でもって人間すべてを迷誤に陥らせてきます。本質は地獄の業火でしかない美しくないモノを美しいと錯誤を仕掛けてくるのです。しかも、執拗に様々な手を尽くして何が何でも迷誤に引きずり込んで来るのです。

ですから、すべての人間は望まずに抵抗すれどもイブリースによって迷誤へと引きずり込まれる運命にあります。それほど、イブリースの決意は確固で揺るぎないのです。

しかし、続けてイブリースはその例外を述べます、

إِلاَّ عِبَادَكَ مِنْهُمُ الْمُخْلَصِينَ

彼らの中で純粋に保たれているあなたのしもべたち以外は。
15.アル・ヒジュル章40節

人間のうちでも、純粋に保たれているしもべたちはイブリースの行為が及ばない、そうイブリース自身が宣言しています。このالْمُخْلَصِينَ が誰を指すのかが大変重要です。これはاسم مفعولの形で述べられている通り、・・・された、という受動態の形式ですので、唯一神によって純粋にされてその状態で保たれている人々を指します。それが述べられている節が清浄節です。

إِنَّمَا يُرِيدُ اللَّهُ لِيُذْهِبَ عَنكُمُ الرِّجْسَ أَهْلَ الْبَيْتِ وَيُطَهِّرَكُمْ تَطْهِيرًا

家の者たち(アフルルバイト)よ、アッラーはあなたたちから不浄を取り除かれ、あなたたちが完全に清浄であることのみを望まれる。
33.部族連合章33節

上の2つの節から、アフルルバイト様たちこそが、唯一神によって純粋に保たれているしもべたちالْمُخْلَصِينَだと理解出来ます。ここで述べられている不浄الرِّجْسَですが、物質・非物質の両方を含むあらゆる類の不浄を指します。

当然ですが、まだこの時点でアフルルバイト様たちは肉体を伴って現世に生まれていません。しかし、幾つもの伝承が、この一件が起こった時点で既にアフルルバイト様たちが光の状態で存在していたことを示しています。イブリースもアーダムもこの時点で純粋に保たれている存在、アフルルバイト様たちの存在を唯一神によって知らされていた、そう伝える伝承があります。ですから、先の発言がイブリースから出たのも頷けるのです。

この話題はクルアーン解釈学や信条学、イスラーム神学でも重点的に扱うので詳細はそちらを参照してください。

話しは戻りますが、イブリース自身が、アフルルバイト様たちだけは迷誤に陥らせることが出来ないと宣言しています。イブリース自身が唯一神に猶予の許可を申し出たり、アフルルバイト様たちだけは迷誤に陥らせられない、と宣言するところは実に滑稽です。自身が唯一神に背いていながら唯一神に許可を求めたり、唯一神の権能を認めているからです。

15.ヒジュル章40節に続いて41節で唯一神は仰られます、

قَالَ هَذَا صِرَاطٌ عَلَيَّ مُسْتَقِيمٌ

かれは仰せられた。「この道が、われらに課せられた正しい道である。
15.ヒジュル章41節

分かりましたか?

この道が正しく揺るぎない道であり、それは唯一神の叡智と公正さ(حکمة و عدل)において位置づけられていると唯一神が仰られています。

1.開扉章6節でムスリムたちは毎日何と言いますか?

اهدِنَــــا الصِّرَاطَ المُستَقِيمَ

私たちを正しい道に導いてください。
1.開扉章6節

そうです、正しい道とは唯一神から純粋に保たれているアフルルバイト様たちの道なのです。そうすれば、イブリースの魔の手から逃れられるのです。イブリースの魔の手から決して人間は逃れられませんが、例外としてすべての人類が救われる唯一の手段として、唯一神は純粋に保たれているアフルルバイト様たちをクルアーンと共にすべての人類へと供されたのです。

さて、

では罪を犯してしまう訳ですが、
どのように罪から遠ざかればいいでしょうか?

まずは何が罪なのかを知らなくてはなりませんが、それはクルアーンとアフルルバイト様たちからの伝承から学ぶことが出来ます。そして、どのような方法で罪から遠ざかればよいかも学ぶことが出来ます。一番強調されて繰り返し言われるのは、死を想起することです。


ですが、

問題はここからです。

頭で理解していても、欲求が抑えられなくて、つい罪を犯してしまうことが多々あります。悪魔は人間をたぶらかすことに長けているので、いくら頑張っても、罪を犯さないと決心しても、執拗に迷誤へ引きずり込んできます。

罪は数多くありますが、主だって2~3個どうしても繰り返してしまう罪があれば、それを犯さないよう日々努力していくのが良いです。

ゴミ屋敷でも、粗大ごみから片付けるわけで、目立たない壁の細かなシミから綺麗にする人は誰もいないでしょう。まずは、大きなゴミを自身の行動パターンから排除すること、諦めることを習慣づけましょう。

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煙草を吸っていた方なら分かると思いますが、禁煙は最初の3日間が一番きついです。私は元喫煙者ですが、最初のうちは数分でギブアップしてしまいました。しかも、あれほど固い決意で臨んだにもかかわらずです。気がついたら煙草に火がついてしまっているのです。そして、また意を新たにして臨む訳ですが、また直ぐに失敗します。

ですが、失敗しながら続けていく中で、ある時を境にタバコが一切気にならなくなりました。2009年12月からチャレンジを始めて紆余曲折を経ましたが、最後に吸ったのが2013年1月上旬頃ですので8年間1本も吸わずにいることになります。ほんと、最後に何ら変わったことは起きませんでしたが、禁煙状態を今日まで維持できています。

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ですから、罪のうち2~3個の粗大ごみを決めて捨て続けることです。この粗大ごみは捨てたつもりでも、また執拗に現れては溜まります。ですから、最初は大変でも、失敗したらすぐに改めて、気持ちを新たに粗大ごみを運び出す作業を続けることです。

そのうち、粗大ごみが溜まっても直ぐに、楽に捨てることが出来るようになります。粗大ごみが無い間に、床やその周囲を片付けて綺麗にすることが可能になります。暫くすれば、粗大ごみも汚れも無くなった綺麗な空間が長く続いていることに気づく筈です。そうすれば、自然と新しい家具やインテリアが欲しくなります。せっかく綺麗になった空間に、わざわざ中古で汚い家具を置こうとも思いませんし、まさか汚くて臭う生ゴミを拾ってこようなど誰も考えないでしょう。

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唯一神の叡智はこの綺麗な空間に注がれます。いくら神学や哲学、クルアーン解釈学、ハディースを頭の中で知っていても、それらが自身の心の中に注がれなくては全く意味がありません。

それらを我々の心に注いでくださるのが唯一神であり、私たちがやることは部屋の掃除と、何をどう置くか、必要なものは何かを知ることです。いくら神学校で知識を学んでも、それらが自身の心に注がれていなければ、完全な失敗者です。

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死んだ人をمتوفيと呼びますが、これはそのヒトがそのままそのヒト自身として完全に成り果てた、という意味があります。死んだ際に、そのヒト自身が完成する、という訳です。そのヒトとはそのヒトの心であり、心がゴミ屋敷や空っぽなのは完全な失敗者です。せっかく頭で分かっていたことが心に注がれていない事ほど滑稽なことはありません。頭では唯一神の権能を認めながら、心が全く追い付いていないイブリースと同様なのです。

ですから、知ることはもちろん大切ですが、同時に心の中の片づけをしなくてはなりません。心が片付き清らかになったことで、今までに知ったことや唯一神から直接伝わる叡智が心に注がれ、初めて自身に変化が訪れ、自身が良い方向へと変わっていくのです。

一方で、部屋の片付けばかりしていればよいか、
というとそうでもありません。

片付けても何も入れない、空室もまた意味がないことで、何が必要で、どう置くか、どう飾り付ければより良いかを知り、場合によっては部屋を改築、改装もしていかなくてはなりません。それには知識が必要です。

ですから、本来は粗大ごみで手こずっている場合ではないのです。やることはたくさんありますが、まずは第1歩、それが「罪を犯してはいけない」、それは心の部屋の粗大ごみを出し続けることから始まります。

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