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イスラーム史入門 第2課

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって

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著者:メイサン・シャリーフ師

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著者:ハリール・バフシーザーデ師

はじめての方必見です↓
イスラームの学問 イスラームを知るとは?

前回までのおさらい↓
第1課


イスラーム史入門
第2課

無明時代の倫理道徳と諸宗派の特徴

目的:無明時代の特徴について理解する(続)

前回では、無明時代の人々の特徴の一部を述べたが、今回はその時代の別な特徴を調査する。

倫理道徳の多大な問題と内戦

アラビア半島の住人は、粗暴な性格で、生業は略奪、何の縛りもなく自由に、法規を持たずに生活していたのは既に述べた通りである。厳しい気候下での部族生活は、実際に、狂信や蛮行の慣習に価値を見出す要因となっていた;例えば、他の部族らを略奪する際、彼らの娘たちが捕虜にされないよう、また栄誉が傷つかないように、予め彼女らを生き埋めにして殺した。そして、これを自身の勇敢さとして誇示していた※1。また彼らの一部は、貧困や飢餓の恐怖から、自身の子供たちを殺害していた※2。勇気や勇敢さとは、彼らにとって大変価値があるものであった;一族の勇者らは、族長に次いで至高の階位を持っていたようにである。しかし当然、その勇敢さの基準とは、無明時代において、無慈悲さや一個人で殺害した人数の多さであった。アラブ人の間では、裏切りや約束を破ることは大変醜く、恥かしいことであった。このため、彼らは如何なる条件においても、自分たちと約束を結んだ人々を守り抜いた;だが、正当性や不当さというものは、彼らにとって無価値であった。

生活物資が大変制限されたこのような地理的状況において、生活物資の公正な配当のための如何なる法規則や道徳も、彼らの傍には無かった。水や草原地のために争うこと、他人の物資を略奪することすら慣習化することは自然なことであった。

アラブ人たちの間で起こる戦争の理由の1つに、当然、地理的な状況もあったが、他にも幾つか理由があった。ときにアラブ人たちは、単に名誉を得ること、そして自身の優位性を示す為だけに他人と揉め事を起こした。そして、ときに何も理由が無いのにも関わらず何年も互いに戦争した;同様に、部族の娘たちへの色欲もまた、大きな戦争を引き起こす原因となった※3

唯一神信仰の消滅と虚偽諸宗教の勃興

尊きクルアーンは、イブラーヒーム(アブラハム)様が自身の息子、イスマーイールを伴ってマッカの地へやって来て、唯一神信仰(タウヒード)でもってカアバ神殿を、アラビアの人々に想起させるために築き配した、と述べている※4。しかし、時間の経過を伴って、法令規則(アフカーム)があったこの唯一神信仰の信条は、アラブ人たちによって多神教(シルク)へと変わった※5。無明時代に多くのアラビアの人々が多神教徒だったように。当然、表面的にはイブラーヒーム様の慣行は残っていたが、その内容は完全に覆っていた。例を挙げると、彼らはカアバ神殿に過剰な敬意を払っていたが、その内部を偶像で埋め尽くしていた。もしくは、イブラーヒーム様の宗教に追従した人々は、禁じられた月々には戦争をしなかったが、禁じられた月々の時期を自分たちの好みで変更していた。

無明時代のアラブ人たちの間で流行していた、最重要な諸宗教

1)多神教と偶像崇拝
無明時代において、多くのアラビアの人たちは多神教徒と偶像崇拝者であった。彼らは幾つかの様々な信条を持っていたが、彼らすべてに共通する最も重要な特徴は、偶像崇拝であった※6。彼らのあるグループは、木や石を崇拝し、また別なグループは天使を唯一神に必要な仲間、パートナーと考えていた。若干の者たちも星辰崇拝者や火炎崇拝者、そして幽精(ジン)崇拝者であった※7。石や枝の神々を持っていたグループは、自分たちの大きな幾つもの偶像、たとえばフバル(هُبَل)をカアバ神殿内に置いていた。そして、次の序列に、自身の部族や家特有の偶像らも持っていた。彼らが家に入るときは、偶像らの周りをタワーフ(周囲を回る崇拝行為)して、自身の無病息災をお願いし、旅行に出かける際は偶像らとお別れをしたのであった。殆どの多神教徒たちは来世の信仰を持たず※8、部族の長老たちが彼らの宗教の法規・規則を決めていた。このために、其々の部族が自分たちに特有の法規・規則、ルールを持っていて、自分たち自身のやり方で神を崇拝していた※9

2)ユダヤ教
自身をムーサー(モーゼ)様に追従する者と自認していたユダヤ人らは、ヤスリブ(マディーナ)周辺で生活していた。彼らの多くは農家や鍛冶屋で、経済状態は良好であった。一部の書籍には、ユダヤ人たちは最後の預言者がアラビアの地に出現することを知っていて、このために彼らのグループは、自身の地域からこの地に移住した、とある※10
当然、ユダヤ人たちは長期間アラビア地域に居住していたにも拘らず、多くの人々を自身の宗教に引き入れることが出来なかった;何故なら、彼らは民族主義者で、他の人たちが彼らの宗教に入ることを許可しなかったからであった。これに加えて、暴利を貪り、約束を破ることはユダヤ人の明確な2つの慣習であった。そして、このことは彼らの周りからアラブ人たちが離れる原因となった※11

3)キリスト教
いかに無明時代であっても、キリスト教の追従者たちもアラビアで生活していた。しかし、かれらの数と影響は他のグループの規模ではなかった。アラブの多くのキリスト教徒たちは、《ナジュラーン》や《ヤマン(イエメン)》の地域で生活し、ローマ帝国に保護された。イスラームの勃興以降も、キリスト教徒は、ユダヤ人のような聞く耳を持たない頑固さや敵意・復讐心に満ちた人々ではなかった※12。そして、ムバーハラの出来事(訳者註:キリスト教徒らと預言者様らが、お互いにどちらが真実を述べているかを証明するために、お互いに唯一神の呪いを望んだ事件 3.イムラーン家章61節を参照)を除いて、彼らとムスリムたちの間で特段の争いは起こらなかった。

4)ハナフィヤト=預言者イブラーヒーム(アブラハム)様の宗教
アラブ人たちは最初、唯一神信仰者で、イブラーヒーム様の宗教に追従していたことは既に述べた;しかし、時が経過して彼らは多神教徒となり、偶像崇拝をするようになった。この中で若干の者たちは、生まれ持った感性(天性)が清浄であったために、逸脱した偶像崇拝を受け入れられなかった。彼らは自らの過去・祖先から情報を入手していて、唯一神信仰の信条を持ち、偶像崇拝をしないよう努力していた。この人々を《フナファーحُنَفاء 》と呼んでいた。イブラーヒーム様の聖法から残っていた法規・規則を実行し、彼らの多くが清浄で道徳的であった※13。シーア派は、預言者様の先祖、皆全員がこのやり方を選択していたと信じている※14

無明時代における知識と文化

無明時代において価値が無かったものとは、知識と文化だけであった。アラブ人たちの文化は、戦争と略奪と部族の値打ちだけであった。この主張を裏付ける最も良い証拠は、彼らが読み書き出来なかったことである※15。即ち、社会の人々の能力とは、常に読み書きにおいてであり、彼らの知識と文化の指標と直接的な関係がある。読み書きの能力が無い人民は、先祖代々からの過去の経験や多様な人間科学について利益を享受することはなく、この程度の情報量に留まる人民は、結論的に彼らの周囲の人々へ害をもたらす。

その当時の別なもう一つの問題とは、彼らの無知や白痴が原因のデマや根拠のない信条であった;例えば、荒野で迷子になると、シャツを裏返しに着たり、あるいは、自分の健康のために街の入り口にある城壁に向かって立ち、10回ロバの鳴き真似をしたのであった!同様に、旅に出発する前には紐を木に括り付け、帰った後にもし紐が解けていなければ妻が貞操を守り裏切らなかったと確信を抱いた。しかし、もし紐が解けていたら、彼女を不貞であったと誹謗中傷した。また、もし部族で長老や栄誉を得ていた者が亡くなると、お墓の傍に、彼が死後に歩かなくても良いようにとラクダを生き埋めにした。もし、雌牛が水を飲まなかったら、雄牛を殴った(訳者註:雄牛の角の間に悪魔が居座ることで、雌牛がその悪魔に魅了されて水を飲まなくなるため、雄牛を殴ることで悪魔を追い払えると信じられていた)。もし、ラクダが病気に罹ったら前足と後ろ脚に焼き印を押し付けた※16

至高なる唯一神は、尊きクルアーンで、預言者様を遣わせた目的の1つに、人々の迷信の手錠や鎖を取り外すことと述べており※17、決して預言者様に、自身の目的を推進するにあたって、このような無知蒙昧な考え方を利用することを許可されなかった※18

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まとめ

1⃣気候の悪条件と規則法令が無いことが原因で、アラブたちは粗暴な性格で、略奪を生業とするに至った。

2⃣いかにイブラーヒーム様(彼にサラーム)が自身の宗教をアラビアの人々のために残したとしても、時間の経過を伴い、この土地の人々は多神教徒となった。

3⃣جاهلیة(ジャーヒリーヤ)つまり無明長夜時代におけるアラビアの最重要な諸宗教
1.多神教と偶像崇拝
2.ユダヤ教
3.キリスト教
4.ハナフィヤト預言者イブラーヒーム(アブラハム)様の宗教

4⃣アラビア半島の人々の無知や白痴が、迷信の流行と読み書きが出来ない原因となった。


練習問題

1.جاهلیة(ジャーヒリーヤ)つまり無明長夜時代に存在していた宗教はどれか?
a).火炎崇拝
b).ユダヤ教
c).キリスト教
d).ハナフィヤト預言者イブラーヒーム(アブラハム)様の宗教

2.預言者様の祖先はどんな宗教を持っていたか?

3.なぜイスラーム勃興以前、アラブ人たちは性格が粗暴で、略奪を生業としていたのか?

4.なぜイブラーヒーム様は自身の宗教をアラブ人たちのために残したにも拘らず、アラビアの人々は偶像崇拝者となったのか?

5.جاهلیة(ジャーヒリーヤ)つまり無明長夜なアラブ人たちの迷信を幾つか例示せよ。


本文註

―――――――――――
※1.この信条が生まれた理由について、アラブ人たちの間ではこう言われている:アラブたちとイラクの君主との間で勃発した1つの戦争において、アラブの女性と娘たち若干名が捕虜となり、その後、彼女らはイラクで結婚した。しばらくの時間が経過して、ひとつのグループがアラブからイラクへ向かい、彼らの女性と娘たちを返すように要請した。しかし、一部の女性たちは自身の夫(訳者註:イラク人)とイラクで暮らすことを好み、アラビアに帰らなかった。この女性たちの1人が、カイス・ブン・アースィムの娘であった。カイスは自身の娘の行為に悲憤の鬼と化して、それ以後、自身の娘たちを生き埋めにして殺すと自身に誓ったのであった。それから、徐々にこの慣習が他の部族にも広がった。

※2.至高なる唯一神は、6.家畜章151節の一部において、この醜い行為を禁止されている。《وَلاَ تَقْتُلُواْ أَوْلاَدَكُم مِّنْ إمْلاَقٍ نَّحْنُ نَرْزُقُكُمْ وَإِيَّاهُمْ وَلاَ تَقْرَبُواْ الْفَوَاحِشَ مَا ظَهَرَ مِنْهَا وَمَا بَطَنَ وَلاَ تَقْتُلُواْ النَّفْسَ الَّتِي حَرَّمَ اللّهُ إِلاَّ بِالْحَقِّ》
;困窮するのを恐れて、あなたたちの子どもたちを殺してはならない。われらは、あなたたちも彼らをも養うものである。また公然とでも隠れてでも、醜い事に近付いてはならない。また、アッラーが敬意を表する生命を、不当に殺害してはならない。

※3
العقد الفرید، ج2، ص273 و ج5، ص252، الغائی، ج5، ص34-40
これに加えて、サアーリークصعالیکという名の者たちが、アラブたちの間に若干名いた。彼らの仕事は、窃盗と略奪、そして殺人であった。サアーリークとはこれらの者たちか、或いは犯した多くの犯罪のために自身の部族から追放されていた人々、或いは誰も子供として引き取らなかった黒人女奴隷の子供たちであった。都市や街頭における、これらの人々の存在は、無明時代における戦争の重要な理由の1つであった。

※4.2.雌牛章124-127節;المیران فی تفسیر القرآن، ج3، ص358
その主がイブラーヒームを御言葉によって試みられたとき、彼がそれを完全に実行したことを想い起こしなさい。〔アッラー〕「まことにわれはあなたを人々のイマーム(指導者)とする」とおっしゃった。彼は「私の子孫をもですか?」と申し上げた。〔アッラーは〕「われの約束は悪行をした人たちには及ばない」とおっしゃった。 2.124
われがこの家(カーバ)を人々のために帰りくる場所、安全な場所として設けたときのことを想い起こしなさい。イブラーヒームの立った場所をあなたたちの礼拝所としなさい。われらはイブラーヒームとイスマーイールに「われの家をタワーフ(巡回)する人たち、イィテカーフ(お籠り)する人たち、ルクー(立礼)、サジダ(叩頭)する人たちのために清めなさい」と命じた。 2.125
イブラーヒームが「私の主よ、この町を平安な場所にしてください。その住民で、アッラーと最後の日を信じる人たちに果実をお与えください」と申し上げたとき、かれは「信じなかった人たちもなお、少しの間、楽しませる。その後彼らを業火の懲罰に追い立てる。彼らの帰り場所は何と悪いことだろう」とおっしゃった。 2.126
イブラーヒームとイスマーイールは、その家の礎を建てたとき、「私たちの主よ!私たちから〔この奉仕を〕受け入れてください。ほんとうにあなたは聞き、知っておられる方であられる」〔と申し上げた。〕 2.127

※5.アラブたちが偶像崇拝者となった理由について、多くの説が唱えられている;例えば、こう言われている:マッカから出立する旅人は、カアバ神殿への崇敬のために、神殿の石のかけらを持ち合わせて出発した。そして、立ち止まる場所では何処でも、その石のかけらを置いて、その周りをタワーフ(周回する崇拝行為)した。これが、徐々に時代が経る中で偶像崇拝へと変遷していった
;البذایة و النهایة، ج2، ص 237
同様に伝承されていることとして、《アムル・ブン・ルハイعمرو بن لحی》という名の人物が《フバルهبل》という名の偶像をシャーム(ダマスカス)からマッカに運んできたことが、アラブたちの偶像崇拝化を招いたとする。
;السیرة النبویة، ابن هشام، ج 1، ص 50 ; تاریخ الیعقوبی، ج 1، ص 254
同様に部族間で不和が様々存在していた。各々の部族は自分たちだけの神々を好み、漸進的な偶像崇拝化において多くの役割を果たした。
;تاریخ الیعقوبی، ج 1، ص 254 و 255
これに加えて、尊きクルアーンはアラブたちが偶像崇拝となった根本的な原因を、かれらの無知と無学にあるとしている。
; حج:71ハッジ章.71節
彼らはアッラーをほかにして、何の権威も授かっていないもの、またそれについて何の知識もないものを崇拝している。不正を行う人たちには援助者もいない。 22.71

※6.無明長夜のアラブたちの集団は、如何なる創造主も存在しないという信条を持っていた。
;  طور:35 و 36 山章.35-36節
彼らは無から創られたのか。それとも彼ら自身が創造者なのか。 52.35
それとも彼らが、諸天と大地を創造したのか。いや、彼らは確信していないのである。 52.36

他のある集団は、唯一神を世界の創造主と考えていたが、偶像らも創造における唯一神の同位者である、という信条を持っていた。
;رعد: 16  雷章.16節
言いなさい。「天と地の主は誰であるのか?」言いなさい。「アッラーであられる。」言いなさい。「あなたたちはかれのほかに、自分自身にさえ益も害ももたらさないものたちを保護者とするのか?」言いなさい。「目が見えない人と見える人は同じであるのか?また暗黒と光明とは同じであるのか?彼らはアッラーが創造なさったように創造したとして、同位者たちをかれと同位に配するのか?それで彼らには、これらの創造が似て見えるのか?」言いなさい。「アッラーこそすべてのものの創造者であられ、かれは唯一にして全能であられる。」 13.16

また、別な集団は、唯一神のみが彼らを創造したが、偶像らはこの世の運営における唯一神の同位者である、という信条を持っていた。
;زخرف: 9 و 87 金の装飾章.9節87節
もしあなたが彼らに向かって、「諸天と大地を創造したのは誰ですか。」と尋ねれば、彼らは必ず、「偉力ならびなくよく御存じの御方が創造なされたのです」と言う。 43.9
もしあなたが彼らに、「誰が彼らを創ったのですか」と問えば、必ず「アッラー」と言う。それなのに、彼らはどうして〔真理から〕迷い去るのか。 43.87

そして、最後の集団は、偶像を仲介として唯一神に近づくために、唯一神に加えて偶像らも崇拝していた。;زمر: 3 集団章.3節
مروج الذهب، ج 2، ص 102
見なさい。純粋な教えはアッラーのためにある。だがかれをよそに〔他に〕保護者を求める人たちは、「私たちが彼ら(神々)に仕えるのはただ私たちがアッラーの御側に近づくためのみである。」〔と言う〕。まことにアッラーは彼らが違える点について、必ずその間を裁決なされる。アッラーは、嘘つきで恩を忘れる人を御導きになられない。 39.3

※7.انعام: 100;سبأ: 41;نجم: 19 و 20;شوری: 21.
6.家畜章100節;34.サバア章41節;53.星章19節20節;42.相談章21節

彼らは幽精〔ジン〕をアッラーと同位に置く。だが彼ら(幽精)はかれが創られたもの。また彼ら(不信心者)は知識もないのに、愚かにもかれに息子や娘がいるとする。かれに称賛がありますように。かれは彼らが形容するものの上に、高くおいでになられる。 6.100

彼ら天使たちは〔答えて〕言う。「あなたに讃美がありますように。あなたは私たちの守護者であられます。彼らではありません。いや、彼ら(人々)はジン(幽精)を崇拝していました。彼らの多くは、彼ら(ジン)を信じていました。」 34.41

あなたたちは、ラートとウッザーを見たのか。53.19
それからほかの3番目のマナートを。 53.20

それとも彼らに〔主の〕同位者があって、アッラーが御許しになられない宗教を彼らのために立てたのか。決定的〔猶予の〕御言葉がなかったならば、彼らのことはとっくに裁かれていた。まことに不義を行う人たち、彼らには本当に痛ましい懲罰がある。42.21

※8.ر.ک: جائیه: 24;یس: 78;نحل: 38;اسراء: 98 و 49;هود: 7.
45.ひざまずく章24節;ヤー・スィーン章78節;17.夜の旅章49節98節;11.フード章7節

彼らは言う。「私たちには現世の生活だけしかありません。私たちは生まれたり死んだりしますが、私たちを滅ぼすのは、時の流れだけです。」しかし彼らは、これについて何の知識もなく、ただ臆測するだけである。 45.24

また彼は、われらにたとえ話をもちだし、自分の創造を忘れ、言う。「誰が、朽ち果てた骨を生き返らせるのでしょうか。」 36.78

彼らはアッラーにかけて、強く誓って、「アッラーは、決して死者をよみがえらせません」と言う。決してそうではない。これはかれが、真理によって、ご自分に課せられた御約束である。だが人々の多くは知らない。 16.38

彼らは言う。「私たちが骨になり砕けた土になった後、本当に新たな生き物として甦るのでしょうか。」 17.49

これは彼らが、われらの徴を信じないための報いである。また彼らは言う。「私たちが骨と砕けた土になった後、本当に新たな被創造物としてよみがえるのでしょうか。」 17.98

かれこそは玉座が水の上にあった時、6日の間に諸天と大地を創造された御方。それはかれが、あなたたちのうち誰が、最も行いに優れているかを、明瞭にされるためである。だがあなたがもし、「あなたたちは、死後必ずよみがえるであろう」と言えば、不信心者たちはきっと、「それは明らかな魔術に違いない」と言うであろう。 11.7


※9.تاریخ الیعقوبی، ج 1، ص 258.

※10.これに加えて、ユダヤ教徒らは預言者様を自身らの子供たちのことよりも、とてもよく知っていた;2.雌牛章146節
われらが書物(啓典)を与えた人たちは、その子供たちを知るように、彼(ムハンマド)を知っている。まことに彼らのうちのある集団は知っていながら、真理を隠す。 2.146

この主張を裏付ける他の証拠もある;たとえば、ヤスリブ(マディーナ)周辺のユダヤ教徒らは、ヤスリブの人々と揉めていた者らに、近いうちにこの地域において預言者様が出現し、我々は彼を手助けしてお前たちを、アードの民の如く滅ぼすだろうと脅していた。
;ر.ک: السیرة النبویة، ابن هشام، ج 1، ص 137;تاریخ اسلام، ج 1، ص 122
;ر.ک: مجمع الزوائد، ج8، ص 230-241

※11.5.食卓章42節;2.雌牛章83節;9.悔い改め章34節;4.女性章161節
彼らは、虚偽ばかりを聞く。また禁じられたものを貪る。そこで彼らがもしあなたの許に来たならば、彼らの間を裁くか、あるいは相手にしないようにしなさい。もしあなたが相手にしなくても、彼らは少しもあなたを害することは出来ないであろう。またもし裁くならば、彼らの間を公平に裁きなさい。アッラーは公平に行う人たちを愛される。 5.42

われらがイスラーイールの子らと、アッラー以外には仕えてはならない、両親には善行を無し、親戚、孤児、貧しい人たちにも善くし、人々と良い言葉で話し、礼拝し、ザカート(宗教税)を払うように契約をしたときのことを想い起こしなさい。しかし、あなたたちの少数の人たちを除いては背いたのである。 2.83

おお、信仰する人たちよ!律法学者や修道士の多くは無法に人々の財産を貧り、〔彼らを〕アッラーの道から妨げている。また金や銀を蓄えて、それをアッラーの道のために施さない人もいる。彼らに痛ましい懲罰の〔吉〕報を伝えなさい。 9.34

禁じられていた利息(高利)をとり、不正に、人々の財産を貪ったためである。われらは彼らのうちの不信心な人たちのために、痛ましい懲罰を準備している。 4.161

※12.5.食卓章82節
あなたは、人々のうち、信仰する人たちをもっとも強く敵視するのが、ユダヤ人と多神教徒であることを知るであろう。またあなたは、信仰する人たちに一番親愛の情を抱いているのは、「私たちはキリスト教徒です」と言う人たちであることを知るであろう。これは彼らの間に、司祭と修道士がいて、彼らが高慢ではないためである。 5.82

※13.2.雌牛章135節;بلوغ الارب، ج 2، ص 196 و 261.
彼らは「ユダヤ教徒かキリスト教徒になりなさい。そうすれば導かれるだろう」と言う。あなたは「いやいや、純粋なイブラーヒームの教えを信じます。彼は多神教徒ではなかった」と言いなさい。 2.135

※14.نهج السعاده، ج 3، ص 76;بحار الانوار، ج 15، ص 117;الاعتقادات فی دین الامامیه، شیخ صدوق

※15.イスラームが顕現した際、クライシュ族からの17人のみが、読み書きの能力を有していた。また、ヤスリブの人々の間でも、読み書きの能力を有している人々は希少であった;《ハンザラ・ブン・アビー・ラビーゥ حنظلة بن ابی ربیع》は一度、預言者様に手紙を書き、それからは筆録者としてハンザラは有名になった。;ر.ک: فجر الاسلام، ص 142

※16.شرح نهج البلاغه، ابن ابی الحدید، ج 19، ص 384;موسوعة التاریخ الاسلامی، ج 1، ص 138

※17.7.高壁章157節
彼らは文字を知らない預言者、御使いに従う人たちである。その人は彼らの許にあるトーラー(律法)とインジール(福音)の中に記され、見出される人である。彼は正義を彼らに命じ、邪悪を彼らに禁じる。また善い(清い)ものを合法〔ハラール〕となし、悪い(汚れた)ものを禁忌〔ハラーム〕とする。また彼らの重荷を除き、彼らの上の鎖を解く。それで彼(御使い)を信じる人たちは、彼を尊敬し、彼を助けて、彼と共に下された御光に従う。彼らは成功する人たちである。 7.157

※18.イスラームが顕現した後、預言者様の唯一の息子イブラーヒーム様が亡くなり、預言者様を大変悲しませた。その日の出来事によると日食が起きたために、太陽が唯一神の御使いの悲しみの中で服喪しているのだ、と人々は思った。この報せが唯一神の御使いの耳に入った時、彼は人々を集めて仰った:《太陽と月は唯一神の力の徴です。決して誰かの生死のために泣くことはありません…。》
ر.ک: المحاسن، ج 2، ص 313;صحیح ابن حبان، ج 7. ص 75 و 76.

※クルアーン日本語訳は「聖クルアーン日本語訳 澤田達一」より引用

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