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イスラーム史入門 第1課

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって

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میثم شریف

著者:メイサン・シャリーフ師

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خلیل بخشی زاده

著者:ハリール・バフシーザーデ師

はじめての方必見です↓
イスラームの学問 イスラームを知るとは?


第1課

無明長夜なアラブ人の生活状況

目的:無明時代の幾つかの特徴について知る

イスラーム到来以前のアラビア半島

優しく親切な預言者様は、無明長夜の時代に誕生した。無明長夜つまりجاهلیة(ジャーヒリーヤ)は、語根《جهل》を由来とし、意味は無知・無学である。初めてクルアーンにおいてイスラーム以前の時代を示す言葉として使用された。しかし、جاهلیةについての幾つかの節の調査で明らかなのは、この言葉におけるクルアーンの意図は、無知・無学に基づき何かをしなさい、と言いたいのではなく、むしろ、クルアーンはイスラームの秤でもって如何なる不適切な行いも無明とし、それを非難することである※1。

時系列的に、唯一神の御使い様(彼と彼の御一門をアッラーが祝福しサラームなされた)の召命(訳者註:預言者の使命を担うこと)以前、そこから150年程前までの期間を無明時代と呼ぶ※2。
アラビア半島の人々の生活環境※3は、その当時、大部分が水も草もない、居住不能な砂漠であった。しかし、度々、降雨により砂漠の一部に水溜りが生じることで、人々は放牧の為に、家畜をそこへ連れて行き、水が無くなると、また別な場所へ移動した。この地理的状況が、アラブの人々を遊牧民とし、お互いが非常に離れて生活する原因となった。近くで一緒に住む人々もいたが、水や草原地帯をより多く使うために、常にお互いが抗争していた。そして、いずれのグループも他のグループの財産強奪を目論んでいた。

この状況が原因し、その時代の人々は次の特徴を持つようになった。

1. 部族優先主義と無政府状態
2. 倫理道徳の多大な問題と内戦
3. 唯一神信仰の欠如と、虚偽宗教の興隆
4. 知識と文化の欠如


部族優先主義と無政府状態

多くのアラブ人は、降雨を追い求め、あらゆる場所に移動した。彼らの仕事はラクダと馬の飼育であった。幾つかの条件を満たすが為に、彼らは略奪、憤怒、アウトローを常とする人々であった。これに加えて、お互いが大変な距離をとって生活しており、彼らの間には、お互いの交流の可能性を断つほどの広大な砂漠があった※4。これらの諸条件が、アラビア地域の無政府状態、アラブ人の自由で、いかなる法規も持たない生活の原因となった。一方で、気候・天候不順の厳しい状況が、隣国にすらも、この地域を支配し、人々に開放するという気を起させなかった。(訳者註:当時の隣国とは、東ローマ帝国、サーサーン朝ペルシャである)

アラブ人は、このような環境で、灼熱の荒野において多大な生活困難と直面しなくてはならなかった。草原地帯の支配を目的とした紛争のために彼らは自己武装した。彼らは、この困難に勝利するために集団で生活した。;一方で、誰も彼も信用することが彼らには出来なかった。このように、親族・血族関係が裏切りの可能性を最低域に留めるので、自身の出身部族とだけ暮らした。よって、アラブの社会生活は部族秩序を基礎としていた※5。このような秩序において、個人の利益は部族の利益であり、個人が自身を防衛するような範囲で、部族をも防衛しなくてはならなかった。;なぜなら、部族の消滅は、自身の消滅を意味したからである。このために、家族や親族はアラブ人の間で大変価値があり、自身の出身部族の状況に応じて、他の価値も定まったのである。部族内での個人価値も、個人の影響力に応じて部族内で上下関係があった。たとえば、族長は最上級の価値があり、彼がムスリムもしくは不信者となることで、その部族全員がムスリムもしくは不信者となった。それ程、族長の価値は強大であった。一方で、部族の男女奴隷は、個人価値も社会的立場も持たなかった※6

部族生活の最重要ポイント:
① 部族秩序において、個人は族長に従わなくてはならなかった※7
② 各個人が自身の出身部族を防衛しなくてはならず、この中において、圧制者ظالمと被抑圧者مظلومという問題は無価値であった。
③ 如何なる個人も、忠誠の誓いを破る権利が無く、この誓約が正しい土台に基づくか否かに違いはなかった※8

まとめ

1⃣جاهلیة(ジャーヒリーヤ)つまり無明長夜は、イスラームの諸則に適合しない様々な場面で用いられる。無明時代という語彙も、イスラームの勃興150年前を示す。

2⃣無明時代における、アラビア人の最も重要な特徴
1.部族主義と無政府状態
2.倫理道徳の多大な問題と内戦
3.唯一神信仰の欠如と、虚偽宗教の興隆
4.知識と文化の欠如

3⃣アラブ人が部族生活する最重要な理由は、アラビアの地理的条件であった。

4⃣部族生活における最重要な特徴
1.族長への従属
2.部族の人々の保護
3.忠誠の誓いの死守

練習問題

1.クルアーンにおいてجاهلیة(ジャーヒリーヤ)つまり無明長夜は、どんな意味がありましたか?
a).無知の上で何かをすること
b).イスラームの基礎や唯一神の諸規則に反して何かをすること
c).預言者ムハンマド様以前の時代において行われたありとあらゆる行為
d).いずれでもない

2.جاهلیة(ジャーヒリーヤ)つまり無明長夜の時代とは、いつの時代のことを言うか?
a).アラビア人の部族主義の時代
b).イスラーム勃興以前とアラビアにおける中央政府樹立まで
c).預言者様召命前の150年間
d).預言者様誕生以前の150年

3.無明長夜なアラブたちの最重要な特徴とは、何であったか?

4.なぜアラビアの人々は部族形態で生活を送ったのか?そしてなぜ中央政府が無かったのか?

5.部族生活の特徴とは何か?

以上

次回↓
第2課


本文註

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※1.次の章で確認できる、33.部族連合章33節、3.イムラーン家章154節、5.食卓章50節、48.勝利章26節

※2.المفضل فی تاریخ العرب قبل الاسلام،ج1،ص73.

※3.アラブ地域は、大きな半島であり、アジアの南西に位置している。その国土は3百万平方km(イランの2倍、フランスの6倍、スイスの8倍である)。この半島は北から、ヨルダンとイラク、東はペルシャ湾、南はインド太平洋やオマーン海南方、西は紅海の範囲である。この領域は過去において3地域に分割された:1.北方地域でヒジャーズ、2.中央地域でアラビア砂漠、3.南方地域でイエメン(訳者註:海が近く気候に恵まれ、農業や交易が発達し、早くから国家が形成された。より詳しくはイスラーム史凡論で学ぶ)と呼ばれた。この半島の気候は、大変暑く乾燥しており、領域の1/3は居住不能な砂漠で構成されている。

※4.当然、アラブ地域にも諸都市が存在していた。この諸都市は、宗教・崇拝的中心(例:マッカ)であったり、貿易隊商のルートに位置していた。

※5.部族とは、親族的関係を有し、グループ形態で共同生活する集団を言う。各部族は、その名をعمارةイマーラ(訳者註:築く、建物などの意味含む)と言うより小さな諸グループで構成し、イマーラも、その名をبطونブトゥーン(訳者註:腹、内部などの意味含む)から、そしてブトゥーンも、より小さいعشیرةアシーラ(訳者註:家族、親族、部族などの意味含む)を基に成り立っていた。例えば;بنی عباس《アッバース家》とعلویان《アリーに属する者ら》はアシーラであり、بنی هاشم《ハーシム家》はブトゥーン、قریش《クライシュ族》はイマーラである。そして、それら全てはمُضَرムザル(アラブの族)に数えられる。

※6.例として、イランの王ホスローがアラブ人に尋ねた:《アラブ人の間では、他人より優位で栄誉ある者たちがいるのか?》そのアラブ人は:《はい》と言った。ホスローは:《何を優位と見るのだ?》と尋ねると、アラブ人は答えた:《彼の父祖が3代族長を務めていたなら、他者より優位です》

※7.クルアーンの幾つかの節に基づくと、多神教徒の逸脱理由の一つに、自身の出身部族の長老に盲従することを挙げている。33.部族連合章67節

※8.尊きクルアーンは、48.勝利章26節において、この心理状態を不信者の特徴と捉え、それをحمیّة جاهلیّة『ジャーヒリーヤ(時代のような)無知による執着』と名付けた。そして、それをتقواタクワー(訳者註:悪事をしないためのブレーキ)とایمانイーマーン(訳者註:信仰、神様を心から頼りにすること)の対極と教示する。この心理状態は、イスラームの興隆により、障壁の多くが取り除かれた。しかし、その後、第二代正統カリフ・ウマルの時代において、部族優先主義が再び興隆(訳者註:増悪)した。国庫・戦利品・贈物の分配バランスにおける、彼の基準のひとつは、個人の出身部族・家柄であった。ر.ک: الکامل فی التاریخ، ج2، ص502-504

次回↓
第2課

※クルアーン日本語訳は「聖クルアーン日本語訳 澤田達一」より引用

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