観音裏の迷宮 第35話 昭和12年・浅草千束町の男

「鶏の頭ともみじを100匁ずつ」

 またあの男だよ。
 目くばせしつつ囁き交わす、奥さんたちのひそひそ声が聴こえてくる。
 鶏肉屋に来ては、肉ではなく目をつぶったまま切断された鶏の頭と、モミジと呼ばれる鶏の足首を買っていく若い男。
 何だろうね、薄気味悪い。
 吉原へと続く通りに面した浅草千束町。その商店街には様々な店が軒を連ねている。
 その中でも老舗中の老舗、明治の初めから続く鶏肉屋に、目深に帽子をかぶった男が訪れるのだ。
 週に2・3度ふらりとやって来ては鶏の首と、爪の付いた足しか買わない。
 はっきり言って不気味くんだ。
 古臭い形の丸眼鏡をかけ、青白い顔に汗じみの着いた浴衣姿で、竹製のかごを下げている。
 下駄はカランコロンと軽快に鳴らすのが粋なのに、この男はずるりずるりと引きずってだらしなく歩く。
 顔には時々血のような赤いしぶきが飛び散り、眼鏡の下の目はやぶにらみでじろりと鋭い。

 余り関わりにならない方がいいかもしれない。
 きっと他所からの流れ者だよ。

 先祖代々の住人が多い浅草の中でも、奥浅草と言われるこの地域は観光地・歓楽街の浅草寺や六区とはやや離れているため、『浅草』なる軽い語感から感じるよりは閉鎖的なところがある。
 そんな住民たちの中で、男は第一級の要観察対象であることは間違いなかった。

 鶏屋の前に佇んで、足と頭を包んでもらっている男の耳にも、奥さん方の噂話は聞こえてくる。
 わざと耳に入るように話しているのだから当たり前だ。
 だが男は風が吹いているくらいにしか感じない様子で、無言無反応である。

「へいお待ち」

 紙で包んでひもで縛った足と頭の包みを受け取り、銭を払う。
 そして男は、ずりずりと下駄を引きずり去って行った。

「あの人随分変った買い物するんだねえ。いつもでしょう。日本人じゃないんじゃないかねえ」
「いや、確か三代続いた鷲神社の氏子で、生粋の浅草っ子のはずですよ」

 鶏屋の主人がやんわりと庇った。

「でも正肉を買わないんだね」
「汁ものにでもするんじゃないかねえ。鶏のくびつるや脚はいい出汁がとれるって、中国人の子が言ってたから」

 奥方たちは肩をすくめた。

 男は通りを真っ直ぐ、吉原方面に歩いて行った。
 相変わらず底を擦りながら足を引きずって歩く下駄の音は、ズリラズリラと耳障りだし、埃っぽい帽子と垢じみた浴衣という汚らしいいで立ちに、すれ違う人たちは軽く身を引く。
 男はそんな他人の態度は慣れっこで意にも介さない。
 細い横町へ入り、角をいくつも曲がった先の崩れかけた長屋に入って行った。

「うーん……」

 座卓に置いた版絣の板の上で、髪をかきむしりながら、男は悩んでいた。
 板の上には両端に細い爪がびっしりと突き立ち、ギターの弦のように、否、もっと細かく1ミリ以下の間隔で強靭な絹糸が渡してある。
 男はその板に和紙に書いた極彩色の下絵を引き、筆と絵具と削った木のへらで、上に渡した絹糸に図案を引き移していた。

「だめだ。こんなへぼ画じゃ野暮ったくてどうしようもない……」

 男は下絵を版から引き抜くとピリッと真っ二つに破ろうとして、途中でやめた。
 もうすこし、工夫して書きこめば粋なものになるかもしれない、破ってしまうのは惜しいかもしれない。
 ああ、でもすっきりとしていない。どうにもごてごてし過ぎで、着物に仕立てた時に煩くなるのが目に見えている。

 男は絣織物の職人だった。
 正しくは布になる前の糸の状態で、張り巡らせた縦糸に図案を書き移し、2寸四方くらいの糸のパターンを作る職人だ。
 その大きさで作った縦糸に刷り込んだ図案は、糸染めされて、連続した絣の織物全体の絵柄となる。
 平田成典はその図案絵師兼版絣り職人である。
 実家は鶏肉屋の言う通り、三代続いた鷲神社の氏子で生粋の浅草生まれだが、両親兄妹共に上州の田舎に引っ込んでしまい、現在は一人暮らしだ。
 奥浅草の千束町の横丁で、昼夜なく江戸小紋の図案書きや絣の絵付けをして暮らしている。
 どこの工房にも属していない一匹狼で、筆一本でどうにかこうにか糊口をしのいできた。

 本当は上野の美術学校に入って本格的に油絵を学び、画家になりたかったのだが、父親が友人の借金の保証人になり遁走された挙句全財産を失ったので、中学を出るとすぐに絵付け師に弟子入りし、働き始めた。
 近所づきあいもほとんどない。
 仕事に入れ込むと何日も風呂に入らず着替えもせず、物も食べないほどに集中するので、周囲から変人とみなされている。
 食べるものもまた偏っていて、台湾人から習った安くて栄養のある鶏の脚の煮込みと、鶏の頭の照り焼きが気に入って、そればかり作って食べていた。
 米は食べず、家の裏庭で作った野菜や大豆、カボチャやイモ類が主食だ。
 春になると時々、隅田川の土手で野草やつくしを摘んで、その美しい草姿を愛で、スケッチをしてから食べる。
 着るものにも無頓着で、年中垢じみた同じ浴衣を着ていた。
 擦りきれたり汚れが度し難くなったら棄て、新しいものを下ろす。
 冬場はネルの下着の上に、夏場は麻か木綿の上に、紺地に白の男物の浴衣をだらしなく着て、くたびれた角帯を締める。
 そして一日中座卓の前にあぐらをかき、長身を猫のように丸めて、瓶底眼鏡の顔を卓上の画板に近づけて作業をしていた。
 その姿は江戸時代の戯作者のようだ。集中すると明け方から夜中まで寝食を忘れて打ち込む。
 ゴミだらけ、埃だらけの長屋。
 彼、平田成典は孤独そのものだが、きままに時間を使える一人暮らしは、まんざらでもなかった。

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