観音裏の迷宮 第27話 昭和20年の浅草・3

 昭島和子には「家庭」というものの記憶がほとんどない。
 小学校の同級生に聞くと「家庭」とは『ただいま』と帰るところで、母親と父親がいて一緒に食事をして寝るところだという。
 彼女にとってそれは、教会の司祭館に併設された孤児院であり、父と母はアメリカ人の牧師とその妻の、青い目の牧師夫人。兄妹は同じ孤児仲間の子供たちだった。
 そういう意味では彼女に悩みはなかった。
 『本物の家庭』とやらを知らないので、憧れる事も羨むこともなく現況を受け入れてきた。

 だが周囲は、自分達より一段低いものを見る、やや蔑んだ目で彼女たちを見た。
 母親と父親が結婚し、母が産んだものが「正しい」子供だ。
 街角に捨てられ、拾われたお前達は正しい子供ではない。
 しかも保護者は異人だ。そう言われて、小学校の帰りに石を投げられたこともある。
 そのたびに和子たちは孤児院の子同士で固まり、町の子とケンカしないように逃げ帰ってきた。
 勝気な孤児院の男の子がなにくそと歯向かった時があった。
 だが町の子達に取り囲まれて散々殴られた挙句、大人たちに

「孤児の癖に町内の子に喧嘩を仕掛けるとは、おさとが知れる」

 と罵られた。

 それでも、院外に出なくて済む幼い頃はよかった。
 金髪青い目のアメリカ人牧師と牧師夫人は子供たちに愛情を注ぎ、資金繰りに苦労しながらも、外国からの援助や信者の寄付で子供たちに職業教育を施し、男女の隔てなく職業人の卵として世に送り出した。
 昭和の初め、天涯孤独な女の子は遊女になるしかなかったが、牧師たちは裁縫や髪結いといった『手に職』を憶えさせ、自活できるように育てた。
 和子は縫製工場で働き孤児院で小さい子の世話をしつつ、彼らに大層感謝した。
 だが、ようやく大人になりかけたころ、戦争というものの足音が近づいてきた。
 アメリカ人の牧師夫妻は母国に強制送還され、教会には日本人の年老いた牧師がやってきた。
 規模が縮小され、活動にも様々な制限が加えられると同時に孤児院は閉鎖された。
 育てていた赤ん坊や幼児たちは、警察や役所の手で他の救護院に送られた。
 年長の院生は孤児院を追いだされた。
 和子も仕方なしに粗末な長屋に一人で住み、工場に勤め始めた。

 隣の工場で度々見かける、出征しない痩せこけた青年の存在は、和子の工場でもたまに話題に上った。

「あの人肺病なんだって。だから兵隊にもとられなかったらしいよ」
「今は良くなったとは言うけど怪しいもんだね。あの痩せこけ方は」
「戦争に行かなくても遅かれ早かれぽっくりいきそうだよね」

 夫や男兄弟、親戚を兵隊にとられた工場勤務の奥さんたちは、憤懣をぶつけるように口々に平田をこきおろした。
 だが和子は黙っていた。
 ひょろっと背ばかり高く、薄い体を丸めて歩く平田というその男は、見えない敵から逃げるようでもあり、周囲から容赦なく小突かれ続けているように見える。
 だからと言って、彼が自分と同類だとは思わなかった。
 平田氏は「ちゃんとした家の人」だから、自分のような者は「普通の人」を支え助けなければならない、そう和子は思っていた。

 彼女には自分を認め大事にするという感情が、すっぽりと抜け落ちていた。
 人様のお役に立たないと、自分には何の価値もない。
 そう思っている彼女にとって、女を一人前の働き手、銃後の力として必要とする「戦争」という時世は、悪くはなかった。
 毎日どこかで爆撃や空襲があり、身分にかかわらず人が死んでゆく。
 それは苦しく恐ろしかったが、死は平等だった。

 路地で発作を起こして苦しんでいる平田を見た時は、夢中でお手伝いをしたし、無事家に送り届けたかった。
 孤児院でも同様の咳をして、息が詰まって死んでしまう子が何人もいたからだ。
 だから途中で拒否された時は悲しかったし怖かった。
 職場近くの共同井戸で言葉を交わした時はホッとした。

 3月8日、和子と平田は何となく互いの工場の終業時間を合わせて通りに出たが、やや離れて歩いた。
 知り合ったばかりの男にのこのこついていく自分は『ふしだら』と思われないだろうか。でも、食料は欲しいし。
 20歳の若い和子はいつもお腹を空かせていた。
 反対に平田も同じ思いを抱えて悶々としつつ歩いていた。
 自分はお礼がしたいだけで、食が細く食べきれない分の配給品を分けてあげようと思っただけだ。
 なのにこれでは、食糧で若い女を釣って家に誘い込む卑劣漢に見えるではないか。
 いやいや、自分は決してそんなつもりはない。ただ正直にお礼がしたかっただけだ。
 だがもう一つの自分の声が聞こえた。
 お礼をしたいだけなら職場に豆を持ってきて、人目に隠れて譲ればいいだけではないか。なぜわざわざ若い娘を家に案内するのか。それは邪心満々だからではないか。

 女すら満足に抱けない丙種の癖に。

 平田は思わず立ちすくみ、木枯らしに顔を伏せてついて来た和子は、ドスンとその背中にぶつかった。

 工場のある花川戸から平田の家まで、歩くとけっこうな距離である。だが若い二人は黙々と歩いた。
 路地を抜けて日当たりの悪い木造の長屋に着いた時、二人の手も足も、頬も冷え切っていた。
 ちょっと寄ってお茶など、と言いたいところだが、平田の部屋には茶葉もない。

「お湯でも……飲んでいきますか?」
「はい。ご馳走になります、お湯……」

 その前にこれですと、平田は布の配給袋を手渡した。中には決して多くない、干した大豆が入っていた。

「こんなにいりません。平田さんこそ食料はお要りようだと思います。私より力がないじゃないですか」

 平田はマッチを落としそうになった。

「あの、何もいらないですから」

 和子は狭い流しにすっ飛んで行った。
 気が付かなかったが男の人に湯を出してもらうなど、何と罪深いのだろう。

「……肺病もちの人間の沸かした湯は飲めませんか?」
「いえいえ、だったらお豆さんを譲ってなんかいただきませんよ。でも男の人にそんなことさせられません」
「どうして? 自分も白湯を飲もうとしていたんだし、二人分沸かすのも同じだろう?」

 一人暮らしの長い平田は『人にやってもらう』という考えは持たない。
 相手がたとえ男でも女でも。

「じゃ私要りませんから」
「……変なこという人だなあ」

 暖かい湯を一杯飲ませる心づもりだった平田は、いきなり頭の中の台本が狂ってしまい、あわてた。
 やはり女を家に上げるべきではなかったか、このご時世だし。

 一方和子の方も心の中であたふたしていた。
 狭い四畳半の、擦り切れ日焼けした畳の上に座って待つなどできない。
 豆を貰ったらさっさと戸口から引き返して帰るつもりだったのに、お湯でも飲んでいけだなんて、どうにも調子が狂って思わずハイと言ってしまった。

「あの、やっぱり帰ります」
「あの、やっぱり送ります」

 二人は同時に言い出して、吹いた。

 せっかくもらった豆をひったくられてもまずいから、という言い訳をこねくり回して、和子は貧しい自宅まで送って貰う事にした。
 実際の戦時下の東京は隣組や警察の見回り、相互監視が厳しく治安はよかったから、ひったくりはほとんどない。
 送ってもらうための方便である。

「昭島くんの家はどのあたり?」

 ぎこちなく、やや離れて歩きながら平田は尋ねた。
 薄い国民服の生地を通して寒さが身に染みる。
 二人とも首をすくめ背をかがめて、浅草の裏通りを歩いた。

「浅草寺の、観音様の裏辺りです」
「なんだ、そうしたら花やしきも近い?」
「今はそうでもないけど、子供の頃住んでいた教会の孤児院は、すぐ近くでした。お金がないから遊べなかったけれど」
「奇遇だね。俺は花やしきの動物園で、飼育員をしていたんだよ」

 平田の弾んだ声に昭島和子はパッと顔を上げた。
 冴え冴えとした月明かりに、その丸い顔がやけに美しく映える。

「そうしたら、そうしたら象や虎や、鳥にエサをあげていたんですか?」

 それまでやたらと固く、よそよそしかった和子の声が弾んで聴こえ、今度は平田が驚いた。

「そうだよ。貧乏だったから小学校を出たらすぐ動物園の厩舎に入ったんだ。糞や残飯の始末をするのは臭かったけどね」

 うんうんと楽しげに頷いて聞く和子に、平田も嬉しくなった。
 いつ死ぬともわからないご時世だが、おかしな形で知り合った者同士とはいえ、思いがけない接点が見えるのは嬉しい。
 だがその花やしきは、今は閉園になっている。
 戦火が国内にも及び、目立つ遊園は敵の標的になりやすいため遊具や園舎、野外ステージなど全て軍の指導の元破壊してしまった。
 孤児院の窓から見上げた、空に伸びたタワーがくるくると回転する、歓声でいっぱいの娯楽の園はもうない。

「大人になったら、絶対に自分で稼いで遊びに行くんだって決めていたのに、もうないなんて残念」

 悔しそうに呟く和子の、あどけなさを残した顔にふと浮かんだ暗い影に、平田は思わず答えた。

「じゃあこれからちょっと立ち寄ろうか。あんたの家ももう近いし」
「え、でもそれはいけないんじゃ」

 とたんに和子は、全身に警戒心をみなぎらせた。
 まあ当然か。平田は己の単純さに苦笑した。

「巡査が見回りに居たらすぐ帰ろう。居なかったら……どうなってるか、少し見て行かないか? 俺も気になるんだ」
「居たら捕まりますよね」
「だからこっそりとだ。見つかったら全力で逃げるぞ。あんた足は早い方?」
「逃げ足では孤児院一番だったわ」
「じゃ心強いな。俺は弱っちいから捕まるかしれん」
「だったらおんぶして逃げるから。平田さん軽いし」

 和子はようやく笑顔になった。

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