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お米の神様 ?

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昭和の暮らし、家族、ごはん。そんなものを書いてみました。 一部会話が山形県南部・西置賜弁ですが共通語字幕を入れたから大丈夫(のはず)  筆者がご近所や祖父母、両親、見聞きしたお料…
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#家族

お米の神様?  第32話 お米は神様・2(最終話)

 兄とゲームに興じ、父のパソコンを直してやる息子を観ながら、私と母は台所に立った。  既…

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お米の神様?  第31話 お米は神様・1

 私が東京に嫁いで20年ほどたったころ、山形の実家では建物を解体して建て直すことになった。…

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お米の神様?  第30話 我が家の味

 1991年春、私は大学の同級生の愛するオタクと結婚した。  山形の両親が望む、大学4年間を…

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お米の神様?  第28話 山の向こうに大都会

 じじちゃが『合格しろ』と言い残した高校に入学した私は、ほどほどにぬるい高校生活を送った…

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お米の神様?  第27話 春まだ遠き

 兄と私は「学業第一」とくぎを刺され、あまりじじちゃのお見舞いに行かせてもらえなかったが…

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お米の神様? 第23話 父とこたつみかん

 我が家は基本的に一つのこたつ、テレビ、そしてそれらがある茶の間を中心に形成されていた。…

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お米の神様?  第24話 祖父と「ちーずけーき」

 幼いころは祖母にとんでもない料理もどきを試食させていた私だが、小学校高学年からいっちょまえにお菓子作りに熱中するようになった。  バレンタインデーには手作りチョコも作ったし(妹と一緒に食べたというS木くん、お元気ですか) 以前このエッセイに登場した年上の従姉妹達からもらった雑誌も、都会的なデザートへの憧れをかきたてた。  1970年代の『ノンノ』である。  軽井沢の別荘やフォークロアファッション、そしてハーフのモデルさんが作る『近頃はやりの甘くないデザート、白いチーズケーキ

お米の神様?  第25話 じじちゃに桃のシャーベットを

 私が中学二年になったころ、祖父はちょくちょく検査と称して何日か入院することがあった。 …

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お米の神様?  第26話 真冬のアイスクリーム

 祖父のいる静かな生活と、兄の腕白な、学校に親が呼び出される高校生活、そして部活を終えた…

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お米の神様?  第21話 かさかさ ぎしぎしのおうち

 祖母の死後、慌ただしい野辺の送りと納骨、初七日、四十九日の法要と済むころにはすっかり春…

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お米の神様?  第20話 花とおばあちゃん

「お兄ちゃん、かやちゃん、買い物さしぇでってけっからな(買い物に連れて行ってあげるからね)…

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お米の神様?  第18話 フルーツパフェと祖母のサヨナラ

 3月31日。  この日は父方祖母の命日だ。  生まれて以来「おばあちゃん」と呼んでずっと一…

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お米の神様? 第16話 お雑煮とセリ

 2017年12月現在、私が働いているのはスーパーマーケットの青果コーナーである。  売り場に…

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お米の神様?  第14話 ストーブスープとおこた甘酒

 急激に寒くなって来たので、一度昭和45年の秋の山形県から離れて、季節を冬に移す。  子供の頃はエアコンなどなかったので、家でも家の棟続きの織物工場でも、主力は大きな石油ストーブだった。  高校三年に山形の実家を後にするまでそうだった。  大きな縦型の石油ストーブとこたつ。  こたつは幼児の頃は練炭の掘りこたつ、後に電気こたつになった。  そのストーブやこたつは寒い地域の調理道具でもある。  父方祖父と両親は織物工場をやっていたから、工場には一階にも二階にも、昔の映画で見