阪神タイガース、最強チームの組織論④―森下翔太、岡田監督が導いた日本シリーズ男への道―
前回の記事では、投手陣の負のスパイラルとその克服について、大竹耕太郎の超絶的なメンタル技術を中心に書きました。
負のスパイラルは、投手・野手にかかわらずすべての野球選手が少なくとも一度は乗りこえなければいけない大きな壁です。
今回は、阪神の打撃陣がどのようにメンタルモデルを克服してきたのか。森下翔太と佐藤輝明の「アイブラック兄弟」を中心に書いていきます。
データから見る、阪神タイガース打撃のキーマン
岡田監督「はっきり言うて」ランキング
先日、Numberから、岡田監督の口癖を分析した、大変に面白い記事が出ていました。
岡田監督の「おーん」「そらそうよ」は今や阪神ファン以外にも有名ですが、「はっきり言うて」という口癖も、同じぐらいよく出てきます。その対象が誰なのかを集計した分析です。
その「はっきり言われた」ランキングがこちら。
この記事では、単なる単語の集計ではなく、岡田監督のすべてのインタビューを読みなおし、岡田監督の思いを汲み取っています。
佐藤輝明に対する「はっきり言うて」の内容は、ほぼ叱咤でした。
それに対し、森下翔太に対して、当初は賞賛が多く、次第に厳しく叱咤する内容が増えてきていたのです。
たとえば、優勝を決めたあとの最終盤、森下に対して「そんなんもうお前、お客さんに見せられへんよ。はっきりゆうて。あんな姿」と言ってベンチに下げ、森下が涙を流していたシーンもありました。
森下・佐藤はキーマン
佐藤・森下に対して、岡田監督が不当な評価しているのではないかと懸念するファンもいました。でも、そうではありません。
CS/日本シリーズのキーマンは誰かと記者に訊かれたときに森下翔太の名前を挙げた理由について、週刊ベースボールのコラムで次のように書いていました。
佐藤輝明についても、6月に後半戦のキーマンとして岡田監督は挙げていたのです。
ここから考えると、「はっきり言うて」ランキングは、岡田監督の期待度ランキングでもあると同時に、チームの命運を左右すると監督が思っていた人のリストでもあるのです。
データから見る佐藤輝明・森下翔太のチーム貢献度
ここで、2人の活躍がどの程度勝利に貢献したのか、データで振り返ってみましょう。
以下は、阪神タイガースの平均得失点推移と貯金数のグラフです。
打撃と投手陣の調子と、貯金の関係が一目でよくわかる、大変に優れたビジュアライゼーションだと思います。
投手陣(赤)は、ほぼ安定した成績を残していますが、優勝直前には平均失点が1点台まで下がり、大型連勝の原動力になったことがわかります。
打撃陣は、五月の大型連勝は、爆発的な打撃力が牽引したもの。しかし、5月末から7月半ばまで得点力が大幅に低迷し、チームが停滞したことがわかります。そして7月下旬になって、打撃力が回復するとともに、再び貯金を増やしていったのです。
打撃陣の得点力は、はっきり言うて、佐藤輝明の成績と非常に連動していました。佐藤は5月に22打点を上げたのですが、6月・7月は打点一けた台と完全に失速。8月に入って調子を上げ、9月にはOPS1を超え、月間MVPを獲得するほどの活躍を見せました。
森下翔太のデータはこちら。開幕から悪化していましたが、7月・8月に打点・OPSともに大幅に改善していることがわかります。
森下翔太の勝負強さをデータで見てみましょう。殊勲打(先制、同点、勝ち越し、逆転となる安打)の数は16でチーム4位。一位の大山悠輔の22と、大きな差はありません。
しかし、森下が二軍で離脱していた時期があることを考えると、全打席4番を張っていた大山との差は以外と小さいです。そこで、殊勲打数を打席数で割った「殊勲打率」という指標を作ってみました。
殊勲打率では、森下はミエセスと並んでチームトップ。つまり、打席数に対して、チームへの貢献度が最も高いことがわかります。
森下翔太はなぜ不振になり、どうやってクラッチヒッターとして帰ってきたのか
肝っ玉ルーキーは背番号「1」を選んだ
森下翔太は、大学時代から勝負強いことで有名でした。中央大学では、一年生のころに、2学年上の牧秀悟とともに日米大学野球「侍ジャパン」に選出されています。その時から、「チームに貢献する打撃をする」選手になることを、彼自身の理想として思い描いていました。
2022年のドラフトで、外れ一位として阪神タイガースに入団します。岡田監督は指名あいさつ時に「クリーンアップ、1つ空いてるんですよ」と話し、主軸を任せる構想を話していました。
入団時の非常に興味深いエピソードがあります。森下翔太は背番号に「1」を選んだのです。単に「つけたことがないから」という理由だったそうですが、周囲はその肝っ玉に驚いたと言います。
背番号「1」をつけることで、ルーキーに多大な重圧がかかるのではないか、そのように吉野スカウトが心配したのでしょう。
過去に阪神でその番号をつけていたのは、鳥谷敬、トーマス・オマリー、野田浩司、吉田義男ら、レジェンド級の選手が揃っているわけです。森下が、自分がチームの中心となって活躍するという強い信念をもっていることがわかるエピソードです。
この良くも悪くも遠慮がない性格が、今シーズンの森下の不振の原因であり、また活躍の最大要因でもあったことを、これから見ていきます。
三振をしないルーキーが、突然バットを振れなくなった
春季キャンプこそ怪我の影響で出遅れた森下翔太ですが、オープン戦から大物感を見せつけました。17試合の出場で打率・314(51打数16安打)、3本塁打、8打点とチーム三冠を達成。岡田監督も、森下に対して、極めて高い評価を与えていたのでした。
実際、ペナントレースが始まってからも森下のバッティングは1軍レベルで十分に通用するものでした。チームは開幕4連勝でスタートしましたがその間に森下は13打数5安打5打点、打率.384という結果。チームを牽引する原動力になっていたのです。
特に、開幕から22打席連続で三振を奪われなかった技術力の高さに、評論家たちも驚愕し、この子にはスランプが存在せず、このままシーズン最後まで行くだろうと予想する人もいました。
ところが、4連勝のあと、チームの歯車が微妙に狂うのと歩調を合わせるかのように、突然まったくバットが出なくなったのです。
4月8日に初めてスタメンを外された森下は、4月16日に数試合ぶりにスタメンに復帰。しかし、3打数3三振という結果に終わります。
翌17日に登録抹消をされました。
スイング恐怖症の意外な原因とは
いったい何が起きていたのでしょうか。ファンの中には、4月6日に初めて受けたデッドボールの影響だと言っている人もいます。
しかし、私の見立ては違います。原因は非常に明確で、甲子園初戦、4月7日のヤクルト戦での最終打席にありました。
阪神は4連勝のあと連敗し、3連敗を阻止するべく甲子園初戦に望んでいました。9回裏、3-1で阪神は負けていて、2アウト1・2塁でバッターは森下。カウント1-2からハーフスイングを取られ、試合終了になったのです。ルーキー、22打席目にして初めての三振でした。
この試合後、森下は「試合に負けたので、何もないかなという感じです」いうコメントを残し、敗戦を1人背負い込んだのです(Sanspo)。
ただ、試合ハイライトを確認していただきたいのですが(5分から)、このハーフスイングはバットは止まっており、結果として三振・試合終了は誤審だったと私は思っています。皆さんの目にはどのように見えるでしょうか。
しかしこの試合を境に、森下は突然バットが出なくなったのです。自分が中途半端なスイングしたせいで試合に負けたという後悔が強く、バットを振ることに恐怖心を抱いてしまったのです。
もしかしたら、次の試合でスタメンを外されたことも、大きかったのかもしれません。監督としては疲労を考慮しただけだったのかもしれませんが、森下の自責の念に拍車をかけた可能性は否めません。
結局16日までヒットは一本も打てず、17日に一軍登録抹消をされることになりました。
立ち直るキッカケは、ミエちゃんだった
以上、森下翔太の突然の不振について、私の見立てを説明してきました。この推測が当たっているのだとすれば、心底驚くべきことだと思います。
森下翔太は、自分のバッティングや技術の壁にぶちあたったのではなかった。ルーキーが、開幕後わずか一週間でチームの不振を1人で背負いこもうとし、そして挫折したことになるからです。
「新人なんだからそこまでチームを背負い込むことない」というのが普通の感覚でしょう。しかし、今から見れば、この不振こそ、森下翔太の類い希なる大器の片鱗だったのだとも言うことができます。
しかし2軍に行った森下は、大変に意気消沈した様子でした。和田豊二軍監督は、「気持ちも重そうで、心の切れも落ちている」と評しました。
そんな森下を救ったのは、ミエちゃんことヨハン・ミエセスでした。
ある日、森下は気持ちの切り替えがうまくいかず、守備位置に就くのが遅れました。コーチからも怒られ、ベンチでうなだれていた彼に、「何で落ち込んでるんだ?」と声をかけてくれたのが、ミエセスだったのです。
ミエセスにその日の夕食に誘われ、陽気な会話にモヤモヤした気持ちが晴れたと言います。
そのように森下は述懐しています。そのころから森下はミエセスに、試合前に頭をマッサージしてもらうのがルーティンになっており、2人とも1軍に上がった今も、そのルーティンは続いています(asahi.com)
5月20日、森下は自分のバットで呪いを解いた
2軍で実績を残した森下翔太は、5月19日に好調の1軍に復帰、翌20日にスタメン復帰します。
試合前には「自分が入って連勝の流れが変わるのはやめたい」と話していた森下ですが、試合前円陣で声出しを担当します。
甲子園で迎えた広島戦は、大竹耕太郎と森下暢仁、両エースの投げ合いで、0-0で進行します。9回裏、2死ランナーなしで、大山悠輔が二塁打、佐藤輝明が四球を選びます。
二死1・2塁でバッターは、この日まだ無安打の森下翔太。運命の巡り合わせなのか、持って生まれた強運なのか。相手こそ違いますが、4月7日とほぼ同じシチュエーションでルーキーに打順が回ってきたのです。
その初球、やや真ん中甘めに入った初球を引っ張り、レフト前ヒット。二塁走者・大山が生還、阪神は劇的なサヨナラ勝利をおさめたのです。
この日から10連勝が始まった
試合後、森下はヒーローインタビューで、次のように言いました。
自分のせいで試合に負けた。そして、2軍で自分が活躍してチームを勝たせることをイメージトレーニングして、這い上がってきた。
こんなルーキーを見たことがありますか?(いやない)
この試合を期に阪神は10連勝、快進撃をスタートさせます。この試合で森下が円陣で声出しを担当していたので、連勝中はすべて森下が声出しを担当していたのです。
打撃不振から再び復活した
虎テレで解説をしていた金村暁・元阪神投手コーチは、このサヨナラ打で森下は呪縛から解き放たれた、明日から打ちまくるという予言をしていました。
金村氏もまた、森下の不振の原因を、大山・佐藤不振の中でチームの命運を背負い込もうとしたからだと見抜いていたのです。
しかし、金村氏の予言は残念ながらその時はあたらず、森下の快進撃は長く続きませんでした。打撃の調子は良かったように見えたのですが、打球がことごとく野手の正面を突くなどの不運に見舞われたのです。次第にメンタルから再び調子を落とし、6月9日に一軍登録抹消されます。
6月23日に一軍復帰したものの、調子が上向きにならなかった森下ですが、大きく成長するキッカケが2つありました。
1つは、7月8日、近本が死球骨折の影響で離脱したこと。森下は近本に変わるリードオフマンという役割を与えられました。
2つ目は、その7月8日に、岡田監督が森下に対して「俺ずっと我慢してるんやで、1割6分で。そんなの、(他に)おらんからのお」とコメントしたことです。
そのコメントを耳にして発憤したのか、森下は7月9日に初本塁打を放ちます。その後はヒット・打点を量産し、近本復帰後は3番バッターとしてほぼ不動のクリーンナップを担うようになりました。
7月9日からシーズン終了までの65試合の成績は、打率.315、本塁打10本、打点が41、出塁率は.405と、最高出塁率タイトルを取った大山に近い実績を叩き出しました。シーズンの成績では、打率2割4分弱ですが、後半戦だけを見ると、まさにクリーンナップにふさわしい活躍をしたことがわかります。
岡田監督が考える、シーズン終盤の不振の理由
最初にも述べましたが、森下がクリーンナップに定着して以後、岡田監督のコメントはより厳しいものになっていきました。
森下が10本目の本塁打を打った時には
と、新人で18本打った自分を引き合いにして、報道陣の大爆笑を誘いました。
リーグ優勝を決めた後、森下は調子を落としたました。9月28日に岡田監督は森下の「突貫工事」を予告。翌日、それでも3打数2三振と振るわなかった森下を5回の守備からベンチに下げ「お客さんに見せられへん、あんな姿」と酷評しました。(スポーツ報知)
なぜ試合に出せないと言ったのか。岡田監督は、次のように説明しています。
打者はボール球を振って、自分のバッティングフォームを壊し、調子を崩してしまう。というのが四球の重要性を説く岡田監督の持論です。そして、自分のバットで試合を決めたい思いが強い森下翔太には、この持論が特に当てはまるのです。
岡田監督は、森下翔太こそをCS/日本シリーズのキーマンと考えていました。
だからこそ、飴と鞭を使い分けることで、修正と成長を促したのです。そして、森下もまた、岡田監督の真意を理解し、短期間で修正していきました。
CSと日本シリーズ
広島とのクライマックスシリーズ第一戦、森下翔太は同点ソロ本塁打を含む3打数2安打と活躍します。しかし、第2戦・第3戦は安打が出ずに終わります。
日本シリーズでは、第2戦までに併殺3つ、打率.111と不振を極めました。岡田監督は、「結局ずっと森下がキーになっている。打ちたい打ちたいって、もうそれしかないからなあ」と苦言を呈しました(デイリースポーツ)。
スタメン剥奪も懸念されたのですが、翌日、岡田監督はクリーンナップを引き続き任せる意向を示したのです。同時に、第2戦ではエンドランで右飛を打ち上げるなど、結果を求めるあまりチーム打撃がおろそかになっている森下の姿に、親心を覗かせました。
以後、森下は急速に修正し、試合を左右する存在になりました。
1勝1敗で甲子園で迎えた第3戦では、5-1で負けていた7回裏、二死2・3塁でライト前に2点タイムリーを放ちます。この試合は負けますが、次の試合に良い状態を繋げることができました。
第4戦、初回1アウト2塁から森下が左中間に二塁打を放ち先制します。
5回裏には、ノーアウト1・2塁からショートゴロですが、結果的に進塁打になり、続く大山の内野ゴロで1点が入りました。これが、岡田監督が理想とするチームバッティングを見事に体現したのです。
結果、9回裏、大山のサヨナラ安打で劇的勝利を収めます。
第5戦の劇的逆転打
2勝2敗で迎えた第5戦、0-1の7回表に、森下は守備で痛恨のミスをします。2死1塁でセカンドゴロを中野が後逸。名手のエラーを予想していなかったのか、そのボールをライト森下が素手でボールを捕球に行きさらに後逸し、オリックスに追加点が入ったのです。
非常に嫌な流れで、通常ならばこのまま敗戦になってもおかしくない状況でした。しかし、8回表に、前日に復活した湯浅がオリックス打線を三者凡退に斬ると、甲子園のボルテージが最高潮に達します。
8回裏、今度はオリックスにミスが起きます。糸原・近本の連続安打で、阪神が一点を返します。続く中野がバントし、1死2・3塁で森下翔太を迎えます。
ピッチャーはWBC戦士の宇田川優希、3連投で制球が多少乱れていたとはいえ、150kmを超えるストレートとフォークに必死に食らいついていき、追い込まれてからもファールで粘ります。
7球目、低めのボールゾーンに宇田川が投げた152kmの球を、森下がすくい上げるようにはじき返します。これが逆転の2点三塁打になったのです。決して簡単な球ではなかったのですが、森下の執念が上回った結果でした。
この回一挙6点の猛攻で、阪神は大逆転勝利をおさめたのです。
チームメイトと岡田監督、歓喜の裏で。
森下が逆転打を打った瞬間、ベンチのチームメイトたちは喜びを爆発させました。岡田監督の目には涙がうっすら浮かんでいたことも、話題になりました。
その歓喜の裏には、こんなエピソードがあったのです。
試合後のインタビューで、岡田監督やチームメイトが声をかけ、何らかのアドバイスを送ったと話しています。
森下翔太のヒーローインタビューでは、すさまじい集中力で逆転打を産みだした心境について、次のように語っていました。
このインタビューからは、森下翔太の精神的な成長が読み取れます。
自分が迷惑をかけた、先輩方が自分にミスを挽回するチャンスをあげようと必死になってくれた。その気持ちが、彼に最後までボールに食らいつかせたのです。
森下翔太が、「自分が一人で闘っているのではない」「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というチーム精神を感じたことが、あの劇的な逆転打を産みだしたのでした。
今回のまとめ
森下翔太は、ルーキーでありながら、「自分がチームを勝たせる」ことを自らの理想像としている。
しかし、その思いが強すぎて、チームの敗戦を背負い込んだことで、序盤に大不振に陥った。
岡田監督はそんな森下翔太に大いに目をかけ、チームとして闘う技術と精神性を粘り強く教え込んだ。
日本シリーズ第5戦の森下の逆転打は、「一人がみんなのために、みんなが一人のために」というチーム精神に触れ、精神的に成長した証だった。
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