見出し画像

党首選で政策を競い合う意味が分からない枝野さんへ―民主主義と全体主義、勘違いしてませんか?―

枝野代表の衝撃発言「党内選挙で政策を競い合う意味がわからない」

9月23日、立憲民主党の枝野代表は、自民党総裁選について次のような批判を行ったと報道されました。

そもそも党内の選挙で、政策を競い合っていること自体が、政党として成り立ってないんじゃないのと。基本的には大きな方向性が一緒だから同じ党であるはずなので、ちょっと意味が従来からわからない

以下のリンクから、ニュース報道の動画をぜひ見てみてください(2分48秒から)。


同じ23日に、福山幹事長はTBSの番組で同様の発言をしています。

政策でこんなにばらばらだったのかとびっくりした

この10年で進まなかった政策は自民党内がばらばらだった結果だ。誰が首相になっても、この政策のばらばら感をどう収れんし、選挙で訴えるのか

立憲民主党執行部は、「自分たちは政策で一致しているから政党として優れている」「相手はバラバラだから政党としては劣っている」と認識しているようです。

党内選挙で政策を争う意味についてこれらの発言は、朝日新聞FNNなどでも広く報じられました。

この発言に対して、Twitterを見る限り野党支持者の反応はなぜか希薄です。ですが、各種ニュースサイトなどへの反応を見る限り、心底あきれている一般有権者が多かったことは確かです。

ちなみに私はこんな皮肉を言いました笑。

「政策を争う」のは民主主義の基本のキでしょ?

枝野代表は、本気で「代表選で政策を争う意味がわからない」のでしょうか?

代表選は、支持者が党の決定に参加する、最も重要な手続きです。そこで政策が争われ、異なる政策を訴える候補がいるからこそ、党員は自らが支持する政策を反映できるよう投票するわけです。

逆に言えば、代表選で政策が争われなければ、どのようにして支持者は、自分の意見を党に反映させたら良いのでしょうか?

このプロセスこそが「ボトムアップ」であり、民主主義なのではないでしょうか。

こんな低レベルなことをわざわざnoteにかかなければいけないという時点で、個人的には超うんざりしています。こんなこと、一般有権者や支持者なら、誰でもわかることでしょう。

「報道が総裁選一色に染まっているから、批判して目立ちたかっただけじゃないか」と擁護する人もいるかもしれません。そうだとすると、ボトムアップを理念としている野党第一党党首が、民主主義に対する無理解を露呈する発言を、国政選挙直前に行って悪目立ちしてることになるわけです。やってることは、もはや迷惑系YouTuberと同レベルです。

旧立憲民主党の解党は、民主的な手続きを経なかった

さて、上の発言は、本気なのか、目立ちたかっただけなのか、どっちなのでしょうか?

枝野氏が代表選をどのように考えているのかについては、新旧立憲民主党の代表選を振り返れば見えてくるはずです。

2017年9月に結成され、2020年6月に解党した旧立憲民主党ですが、その間、一度たりとも代表選は行われませんでした。

枝野代表の任期が3年だから当然だと思う関係者もいるでしょう。その考えが、公党としてそもそも間違いです。

本来ならば、結党直後に選挙を行った上で、党の代表と執行部を党員・支持者が選ぶという手続きが必要なはずです。そうでなければ、党の代表および執行部は、一度たりとも正式な手続きによって任命されていないことになります。

もちろん、結党直後に代表選を行えば、極めて高い確率で枝野氏が選ばれたでしょう。それでもなお、党員や支持者が自分たちで代表を選択し、権力を仮託するという手続きが重要なのです。それが民主主義というものです。

立憲民主党は、「ボトムアップ」を謳い文句にしていたその結成当時から、デュープロセスをいきなり踏み外したのです。

その後も、代表選は行われることがありませんでした。代表選規約が決定されたのは、2020年6月という遅さでした(NHK)。それも結局のところ実施されることがなく、同年9月に解党となったのでした。

旧立憲民主党が産まれた経緯を思い出してください。

民進党の前原代表が希望の党への合流を一方的に決めたあと、「排除の論理」によって排斥されたリベラル系議員が糾合してできたのが、立憲民主党です。そのとき、結党の原動力となったのは、疑いなく「枝野立て」と促した世論の力です。この世論の背景には、前原ら「民進党内の与党補完勢力」に対する多大な不信感があったのです。

結党の時、枝野代表は有権者に対してなんと言ったのか、ご本人は果たして覚えているでしょうか?

「立憲民主党はあなたです」

その政党が、一度たりとも代表選を行うことなく、一方的に解党し、希望の党の流れをくむ旧国民民主党と新党を結成したのです。解党も合流も、党員やパートナーズに広く諮って決定すべき最重要事項です。まして、「立憲民主党はあなたです」が結党精神ならば、その手続きは決して踏み外してはいけないのではないでしょうか。民進党の前原代表がやったのと全く同じ事を、旧立憲民主党の枝野代表が、支持者に対して行ったのです。

なお、20年9月に実施された新・立憲民主党における党首選では、一般党員はもちろん、地方議員にも投票資格は与えられなかったことも付け加えておきます。

新旧立憲民主党において、一般支持者が参加する代表選は、これまで一度たりとも実施されていないのです。

コア支持者の8割が「党運営は民主主義的ではない」

新旧立憲民主党および枝野代表のこうした姿勢を、支持者はどのように評価しているのでしょうか。

「がんばれ立憲民主党の会」が主催したアンケート結果は、旧来からのコアな支持者の考えを知る上で、非常に参考になります。

総務省が公表している立憲民主党への寄付者(2017-19年)2181人に対してアンケートを送り、有効回答数はなんと50%を超えていました。

その第一問とその回答が以下です。

•設問:① 立憲民主党は立党時、「立憲民主党はあなたです」というスローガンで誕生しましたが、その後現在に至るまで、支援者の声を反映しボトムアップでの機関運営がなされていると感じますか。

画像1

「ボトムアップの党運営がされている」に「強く思う」と答えたのはたったの1%、「そう思う」と答えた人は18%、両方併せても20%いなかったのです。

コアな支持者の80%以上が、党運営が民主主義的ではないと判断している、これが立憲民主党の現状なのです。

「全体主義ってなんだ?これだ!」

先の枝野発言で、個人的にもう一つ気になっていることがあります。

「基本的には大きな方向性が一緒だから同じ党であるはず」という言葉です。これは、「政策を競い合っていること自体、政党として成り立っていない」という言葉の直後の発言です。

この言葉を聞いて、ゾッとした人は私だけではないはずです。

たとえばの話ですが、「家族であるなら意見の違いはないはず」と公言する父親がいたら、あなたはどういう印象を受けますか?

家族と一体になっている良きパパでしょうか?

それとも、「俺の家族なら黙って俺に着いてこい」という父親像でしょうか?

私は、断然後者のイメージです。家族を一人の個人として認めていないとしか思えません。

枝野代表の発言は、この独断専制的な家父長に近いものがあります。

1つの政党ならば同じ方向性を向いているという考えは、党内における異論の存在をそもそも把握していないということです。さらに言えば、方向性が一致していない人間は、党から出て行くべきだということさえ含意しているようにも思われます。これでは、小池百合子の「排除の論理」との違いがまったくわかりません。

さらに言えば、枝野代表の発言の背後には、組織に対する貧弱なイメージがあると私は思います。すなわち、個人が組織を形成しているのではなく、組織そのものが政策や方針の決定主体であるというイメージです。ここでは、党を組織する多様な個人の存在そのものが認められていません

これは文字通りの意味において、全体主義です。

全体主義的政党には、政策立案能力がない

全体主義的な党運営は、かならずその党が提案する政策の質に影響してきます。

枝野氏が言うように、同じ党において「大きな方向性が同じ」だとしましょう。その場合、党内のすべての人間が、同じ政策を出すことになるかと言えば、決してそうではありません。

なぜなら、個々人によって専門分野も違えば、現状認識についての観点も異なるからです。1つの政策を行えば、その副作用が別のところに起きる。その副作用をどう防ぐのか、それを考えることが政策立案能力なのです。

たとえば、被害者救済のために強制性交罪の暴行脅迫要件を撤廃すべきだという方向性で一致していたとしましょう。「書面での同意がない性行為はすべて強制性交とみなす」という形で刑法を改正する、というのが党の方針になったとします。しかし、現実問題として、すべての性行為において、その合意範囲をも含めて、書面で契約を行うのは非現実的です。結果的に、多くの冤罪が発生することが考えられます。そうした悪影響を未然に防ぐために、あらゆる角度からシミュレーションを行って、より副作用の少ない法案を練り上げる、それが政策立案能力なのです。

そうした検討を行わない政策は、たとえ良いことをやったつもりであっても、社会に思わぬダメージを引き起こすことでしょう。

政策は、決して思想から一直線に導きだされるものではありません。社会問題が存在し、それに対するあらゆる角度からの現状認識の検討があって、それに対するソリューションとして導き出されるものです。それを集合知として行うのが民主主義なのです。

枝野代表の発言は、彼が民主主義についても政治についても、今や本質的な事は何一つ理解できていないことを、図らずも露呈してしまいました。元々そのレベルの政治家だったのでしょうか。それとも支持者や取り巻きたちがそのようにしてしまったのでしょうか。

もしかすると、枝野氏が切り捨てたのは側近だけではなかったのではないか、という気もします。

最後にネタバレ

えっと、本記事のタイトルは、、旧立憲民主党の2019年参議院選挙公式Webサイトのパクりです。

画像2

この時からすでに、立憲民主党のトップダウン的な姿勢は明らかになっていました。

全体主義と民主主義を勘違いし、「政党内で政策を競い合う意味がわからない」枝野さんは、こちらの一連の記事を熟読することを心よりオススメします。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?