見出し画像

石積みキャラバン4 愛媛県三崎半島

明浜に行った後、九州へ渡るため、愛媛県の西の端の三崎半島に行ってきた。ここでは石積みを見ただけで積んでいない。

名取、井ノ浦の集落を見に行く。名取の集落は急傾斜地に密集して家が建ち並んでいる。下の港に行くと船がなく漁の気配がない。また近くには小規模なみかん畑が広がる程度で土地に根ざした産業の痕跡が少ない。強い風と細い柱の上に建っている家があって生活環境はとても厳しそうだった。九州と四国が一番近くなる半島だから地政上つくられた集落なのかもしれない。あとで調べると、宇和島の伊達藩の関係で宮城県の名取から移住してきたらしい。

石は堆積岩で長い石が多く、積みやすそうな石が多かった。石積みの師匠がいる徳島県吉野川市美郷高開の石と似ているので地質図をみると、三波川変成岩で同じ地質だった。この石は脆くて形を整えやすく、石の面を見分けやすいので空石積みの練習をするのには最適だと聞く。整形して薄い石を置けば布積みもできるが、矢の羽積み(谷積み)がやりやすい。

井戸の周辺には加工した石で積んだ石の塀が立っていた。水が出るところにある石の祠は他の地域でもみたことがある。洗濯物を干すための棒を差し込むために穴が空いている石が突っ込まれているところもあった。

井ノ浦にある石積みは、防風のための独立壁が多かった。畑の土が飛ばないよう、潮風が直接畑にあたらないように防風壁を畑にもつくったのだと思う。イギリスには土が飛ばないように牧場に低い空石積みがよくある。さて、この石積みをみると、そこまでして労力をかけて畑を守るのかという驚きと結構適当に積んでいるなという親しみが湧く。

農地は山裾につくるほうが労力がいらないし、日の当たりがよく、水はけもよいし水の確保も容易なように思えるが、近くの海岸線沿いに立ち並ぶ建物を見ると、漁業や貿易の関係でここに畑をつくる必要があったに違いないと思う。もう少し歴史をみてみたい。

よくみると石はしっかり考えて置いているわけではなく、なんとなく置いているだけという石が多い。しかもところどころ石が落ちているところもある。しかし、なんとか石の壁の役割を果たす程度には保たれている。この適当さは、空石積みの最も大切な価値の一つを示している。石積みの労力と丈夫さはある程度関係があるが目的によってコントロールすることができる。この場所は可能な限り労力をかけないで積むのが合理的であるならば、丈夫さはある程度捨てても良い。石が落ちたら置き直せばよい。職人としての一部の人の極められた技術も大切であるが、多くの人が扱える簡単な技術も大切である。そもそも多くの人が携わっていなければトップの技術レベルは高くならない。このルーズさは単に、積み手の技術レベルが低かったからという可能性もあるが、それはよく分からない。石の面が前にでているか、積み石のお尻が下がっているか。そのあたりから判断するしかない。完成したものはその制作プロセスを推測することが難しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?