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話の結論あるなし

誰かのnoteやブログを開いて読んでみると、ある疑問をテーマにした記事が多いのですが、大きく分けて

①なんらか結論が書いてある記事
②『何でだろう?』終わっている記事

の二種類があることに気がつく。

②の記事に出会う時は、同じ疑問を持っていたりして、何かの答えを教えてくれるんじゃないか?と期待して、、

勝手に裏切られたりしている。


その筆者は『答えが書いてあるよー』なんて一言も書いてないのに。笑

勝手に裏切られている自分を認識するのは、悲しくなる。


『あー、無駄な時間を過ごしてしまった』なんて思うこともあるけど、じゃあその無駄時間が無かったら何をしていたんだ?と問われると、
たぶんボーッとTwitterでも眺めていたんだろう、ということが容易に想像できる。

むしろ同志が居ることを知れたわけで、なにもしないより生産的だったかもしれない。

そんなつまらない自分を認識するのは、悲しくなる。


僕だったらもっと良い記事が書けるはず!と意気込んでみても、ぜんぜん筆が進まない。

なんだか、悲しくなる。


結論:結論のない記事を読むと自己嫌悪に陥る(被害妄想)


あー。
また、つまらぬものを書いてしまった。。


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