区議会議員として地元の町会の盆踊り大会やその練習会に参加。
今年は3年ぶりの盆踊りです。
 さて、今回は3年のブランクですが、皆さんはもっと長い期間、盆踊りができなかった時期が過去にあったことはご存知ですか?

 盆踊りのルーツは平安時代に浄土教の空也が始めた、宗教舞踊から始まりました。そして、鎌倉時代に時宗の開祖一遍は、鉢を打ち鳴らしながら「南無阿弥陀仏」と唱える「踊り念仏」を行い、時宗の「信仰の有無を問わず念仏を唱えれば、誰でも極楽浄土に旅立てる」との考えと踊りが、うらぼんえ(盂蘭盆会)の行事と結びついて、現在の盆踊りに繋がったと言われています。
 これが庶民に定着し、江戸時代には、幕府や藩が一揆へつながることを警戒し、踊る時期や場所を制限したりしつつも、庶民にとっては、難しい理屈やストイックな信仰を抜きにして、華やかな“非日常”を楽しみながら、極楽浄土に行ける踊りを楽しむようになります。

 ところが、明治時代になると、1874年に岐阜県で盆踊り禁止令がでるなど、「盆踊り禁止令」が全国各地で出されます。これは、男性の女装、女性の男装、そして派手な化粧が見られたり、男女が夜通し騒ぐといった盆踊りに対して、近代化を目指した明治政府が「盆踊りは近代化に逆行する風紀の乱れ」と捉えたことによります。
 その後地域ごとに歌詞や踊りが公序良俗に反するものは除かれるなどし、大正時代頃にようやく盆踊りは復活するに至ります。

 そして、現在では各地で市町村などの地域ごとの盆踊りも作られ、学校の体育の授業で取り扱われることも多く、地域住民としての一体感やアイデンティティ涵養にも役割を持ち得るものになっています。

 踊りは複雑でない動作の組合せとその繰り返しで構成されていて、誰もが参加しやすいものになっています。とはいえ、意外と難易度の踊りも多く。。。 
 私にとって、「東京音頭」は何とか人並みには上手に踊ることができますが、「中野音頭」は最中に何度も間違えながらも前方の踊りの上手な人の動きをお手本にしながら踊るという域をなかなか脱することができません。

 また、単純に動作が正しいかだけでなく、如何に見せる/魅せるかということもあります。
 練習会では、先生をされている方から「(踊り手の圧倒多数が女性でも)この曲は男踊りだからテキパキと」、「この曲は(女踊りだから)女の人は色っぽく!あっ、男の人も色っぽくね!!」なんて言われながらの練習をしました。
 それでも、当日は飛び入りで参加をされる人の方が勿論多いわけですし、練習会に参加をしてきた人が間違えても咎められたり、嫌な顔をされることもない。(とはいえ、「よさこい鳴子おどり」の練習では、曲が始まってから、踊りの動作が始まる前までの間に、私を含む何人かが、鳴子を鳴らして、拍子をカウントしてしまい先生から、「鳴子をそういう風に使わない!」と、叱られるなんてこともありましたが (^^;;; )
 
  男・女の捉われなく、上手・下手や、どんな気持ちで踊りに臨んでいるのかに関わらず、踊る人を幸せにする盆踊り。コロナ禍を経て、一層、人々の不安を拭い、幸せを与える盆踊りが展開されていくようにあるとよいなと思う時間となりました。

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