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クビシメロマンチスト(人間失格・零崎人識)を読んで|人の命を考えてしまう

今日はこちらの、クビシメロマンチストを読んだので、本書のご紹介です。

選んだ理由は、おすすめに出てきたから・・・。

何そんな理由?と思われるかもだが、ちゃんと従う理由がある。本題とそれけど少しお付き合いを。

以前にも書いたかもしれないけど、ぼくが自由に分け隔てなく選んだものは、思いっきり偏見に満ちて選ばれている矛盾をかかえている。

どうしても、自分フィルターでものをみて、取捨選別をしている。自分で分け隔てなくしているということは、自分基準でおもいっきり選別しているという矛盾がある。

その自分基準があるからこそ、今の自分があるわけで。変わろうとしたらその基準を外す必要があるので、そのために自分以外のふるいである「おすすめ」に最近頼っている。のです。


この作品は、前編がありそう|しかし本編からでも楽しめる

この作品には、前の作品がありそうである。主人公の「いっくん」は、前編の物語からなんとか帰還して、今の大学生として生きているようだ。

この主人公目線と変な感覚の自己分析とともに物語が展開する。人を好きにならない主人公、人を好きにならないからこそ、会った人のことさえ記憶しない性格の主人公の「いっくん」の物語展開がおもしろい。

ちなみに、前編はこちらである。

それでも人を愛すること

この物語は殺人事件ミステリーである。主人公いっくんにかかわる人がダイイングメッセージを残して次々亡くなっていく。

人の死などの慣れているはずの主人公。彼にかかわる人が亡くなり、彼も人としての優しさが残っている一面をうかがわせる。

思うこと:万人に好かれる人などいない

少しネタバレになるけれど、本書を通じて学んだことは、万人に好かれる人などいないこと。

この物語は、人に恨みを持たせず誠実に生きていた人が殺されてしまったりする。恨みを買わない生き方をしていても。それでも恨みを買うことがあるのだなということを学んだ。

例えば、友達を作ることを考えてみる。友達を作るということは、その人を何人かの中から選ぶことを意味する。選ぶ裏にはたくさんの選ばなかかった人たちがいる。その人達から見て、自分はどう映るだろうか。

恨み0%の状態でいられることはあるのだろうか。

0%にはできない。ただ0%に近づけることはできる。それは選ばないこと、関係を持たないこと。つまり友達はつくらないこと。しかし、人は周りに頼って生きている。一人では生きていけないという矛盾をはらむ。

おもしろい考え方:日本の大学生の頭は小学生なみ

本書の中で物は良いようだねと思ったことがあったので、ここでご紹介。

日本の大学生の頭は小学生なみ。現実でもそんな風に言われていることもある。しかし、考え方を変えると、日本人は小学生にして大学生並みの知識を持っている。なのに、何の目標も持たず大学に行っても日本を経済大国を維持させている日本はすごい。

物はいいようであると思った。だがこれは屁理屈でもあります。笑

まとめ:読んでいくほどにミステリー引き込まれる物語

この記事を書いている時点でまだ途中である。だからまだ真犯人が誰かわかっちゃいない。自分は、この手のことは鈍感ですので、犯人など全くわからない。でも読んでいて楽しいので、続きが気になってます。

そして、これを読んだら、前作を読んでみたいと思う。

#3行日記  : なぜか書評・レビューは読んでいる途中が書きたくなる

読んでいる途中になぜか書評や本のレビュー的なものは書きたくなってしまう。不思議である。そうでもないか・・・。読んでいる最中は本書に影響されて人に伝えたいって思ってしまうから。

ただ、その状況で書くと、すごいとか、おもしろいとか抽象表現が多くなて、どこの何がどのようにがなくなっていく。

本レビューもおなじかな。読みづらくなっていたらすみません。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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