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書ききる大切さ

書き切ることが大事。書き切ることが大事。
そう念仏のように唱えながら、今日1つ童話を書いた。
2300字。原稿用紙8枚。公募用に書いたので、原稿用紙5枚まで削らないといけない。短く書いて長くするのがどうにもむずかしく、いつも長く書いて短くする作業になってしまう。

途中でこれ本当におもしろいのか?とか、最初に出てきた人物の意味がないから後半に出てきた人物と統一したいなとか、書き直してテーマを見直したいとか、いろいろ考えることはあるけれど、まずはひとつの作品として書き切る。それが、大事だとわたしが十数年前に大事に想っていた師匠に言われたことを思い出す。

つまらなくても、おもしろくなくても、やる気がでなくても、書き切る。
師匠の言葉はどれもこれも心に深く刺さっている。
どこまでも創作に純粋で、正直で、真面目で、
本当に大事な言葉をたくさんくれた人だった。

明日修正しよう。
そうして、今日はまた、エッセイもひとつ書こう。

最近原稿用紙2枚とか3枚とかの課題や公募に積極的に応募しているが、枚数が少ないからといってもちろん簡単なわけではない。
少ないなかに必要な情報を詰め込んで、自分の書きたいことを入れこまなければならない。
どうしても書いているとテーマを2つ、3つ入れたくなるので、この短さが自分にはいい練習になっている。
短いからこそ、テーマは1つしか書けないからだ。


物語のタネがみつからなくて悩んだり、うまく書けなくて唸ったり、がんばって机にしがみついたって、自分が今はこれに向き合うんだというタネがなければどう頑張ったってそこから先には進めない。
創作にはタネさがしがいちばん大事。個人的にはそう感じる。
そしてそれは、ここじゃないどこかに出向いていかないと手に入らないのだ。

昨日、久しぶりに前職の同年代の人とランチをした。
自分はもうビジネスマンにはなれないなと思った。
もう誰かと机を並べてコミュニケーションをとりながら、誰かのミッションに賛同して、愚直に邁進していくことに楽しみを感じることはできないと思った。
自分のミッションのためだけに、残りの自分の人生を全部使っていきたい。
そう思って退職したのだから、彼らと違いを感じて当然なのだけれど、それがなんだかとても寂しく思えたのだった。
違う道を進むことへの不安や焦りはそれほどない。自分の選択を誇らしくさえ思う。だが、なぜか途方もなく寂しかった。
と、同時に、この寂しさと自分の大事にしているミッションは、自分だけのもので、他人には理解できないし、共有しなくてもいいものなんだと思った。
そう思うと、すこし楽になった。
自分だけの感情を大事に大事に育てて、それを作品として昇華していけばいい。他の誰かも同じ気持ちなんだという気休めも安心感もいらない。

創作というのは、自分の中の欠けたものを補おうと抗ったり、欲しがって叫んだり、欠けている自分を認めようとする作業なんだと思う。
少なくとも、自分にとってはそうだ。

だから、いつまでも失い続けるこの世界で、満たされることがないことに安堵しながら、自分の欠落を受け入れて、砕け散った欠片を拾っていくように、書いていきたい。

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