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[読書ログ]「みつきの雪」

著: 眞島 めいり
絵: 牧野 千穂
出版社: 講談社
   

あらすじ

信州の村にすむ小学五年生の少女・満希は、都会からの山村留学生、行人と気の合う友人へとなっていく。
やがてふたりは同じ高校に進んだが、満希は地元で農家を継ぐことになり、行人は遠くの医大への進学を希望していた。
卒業式前日、中学時代にふたりで訪れた村の図書館で、行人は山村留学を選んだ理由を初めて語り始める。「第21回ちゅうでん児童文学賞」大賞受賞作品。
(絵本ナビHPより)


感想 

※ネタバレあります。ご注意ください。

とにかく描写がうまい。
最近読んだ児童書のなかでみても、際立っている。

丁寧な描写こそがこの物語を高尚なものにしている要因のひとつだと思う。

だけど、それだけではない。
主人公の満希と、幼馴染の行人。基本的には、満希の回想というかたちで、ふたりの関係性が淡々と描かれていく。

ふたり以外の登場人物はほとんどおらず、掘り下げられることもない。
雪がしんしんと降り積もるように、淡々とふたりの時間が経過していき、淡々とふたりの思い出が積み重なっていく。
そうして、主人公と幼なじみの男の子は、あした、高校を卒業して離れ離れになる。

リアリティのある描写が、読んでいるこちらの手先も冷たくするような、とても美しい物語だった。

章立ては全部で12章で、小学4年から高校3年まで書かれている。
描写のすばらしさとして、一部引用してみる。


ちっちゃな郵便局、コイン精米所、食品とか日用品とかをごちゃっと売る店が二軒、コミュニティカフェ、そして農協の支店。駅前通りに並ぶ店舗はそれくらいで、役場や学校なんかはここから少し離れている。
面積のかなりの部分が山林で、加えて田畑や果樹園が多いから、それらと緑と茶色に取り囲まれながら建物がぽつぽつ点在してるっていうのがうちの村だ。
携帯電話の電波は人家のある地区すべてでちゃんと通じるけど、山際に白い鳥居がそびえる嶽熊神社の周辺だけはなぜか入りが悪い。カミサマが強力な結界を張ってるからだよ、という大人たちの真面目なホラを、みんな七歳くらいまでは信じてしまう。

『みつきの雪』第5章駅に着いて より一部引用


<9類 文学>の棚のあたりはとくに日陰で、つま先から冷えが昇ってくる。コートを着続けたせいで凝ってしまった肩をぐるぐる回す。校庭に面した南側の明るい窓へ近づいていったら、気づいた行人も手にしていた本を棚に戻してついてきた。
淡いレモン色に光るガラスの表面をじっと見ると、ぞうきんでタテヨコヨナナメに勢いよく拭いたとわかる跡が残っている。

『みつきの雪』第12章春が来る より一部引用


今まで読んできた描写のうまい人は、時として延々と描写のみで推し進め、ストーリーの面白みよりも、文章の美麗さに価値を見出そうとしている作者の意図を感じやすくて、読んでいて胸やけすることもあった。

だが、本書はストーリーの大きな起伏こそないが、満希と行人の心の動きが丁寧に描かれていて、ストーリーも飽きずに、心地よく一気に読んだ。

本書を読んでいるときの感覚が印象的だった。
バイオリンの弦に指をずっと押し当てているような、
ピンと張り詰めていて、強く弾くと音が響くのにそうしない静けさがあって、そのなかで常にグッと指先に差し込まれるような感覚。
これは、他に何と表現すればいいのだろう。

いつか離れると分かりながら、でも一緒にいた時間も大事にしたい。
このテーゼとアンチテーゼの間で揺れ動く葛藤のような想いに明確な答えは提示されない。
だけど、この葛藤と、こころの揺れ動きこそが児童”文学”として確かに成立している所以のように感じる。

美しいけれど、美しいだけじゃない。
丁寧だけど、丁寧なだけじゃない。
切ないかというとそうでもないし、感動的かというとそうでもない。
掴めそうでつかめない。
シンプルで分かりやすそうで、
いや果たしてそうだろうか、と一歩立ち止まらせるような。

雪国に住むリアルな少女の心の有り様が、読んでいてとても心地よかった。


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