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木村三浩「ヤルタ・ポツダム(YP)体制から脱却し、日本の主権の完全回復を」

「米意(あめごころ)」に侵食される日本


── 戦後七十八年が経ちましたが、日本人は独立国家としての気概を取り戻せないまま、アメリカへの追従を続けています。
木村 現在の日本は主権国家とは言えません。「アメリカの属国」と言われても仕方のない状況です。多々指摘できますが、その象徴として、わが国の主権を踏みにじっている日米地位協定があります。同じ敗戦国のドイツと比較すれば一目瞭然です。また、わが国は自主的な外交を展開することもできず、ひたすらアメリカに追随しているだけの状態です。外交の問題にとどまりません。わが国はアメリカの要求に沿った経済政策を推進し、その結果社会に様々なひずみが生じています。
 かつて本居宣長は儒教思想をはじめとする中国文化の影響を「漢意(からごころ)」として批判しましたが、いまや日本は「米意(あめごころ)」に侵食され、日本人としての誇りを失っています。独立自尊で漢意を批判した叡知は素晴らしいですが、なぜ米意を批判しないのか不思議です。日本があたかもアメリカの五十一番目の州のように扱われているのはまずいでしょう。

—— 日本政府はアジア近隣諸国やロシアなどに対しては声高に主権を主張しますが、アメリカには何も言えません。
木村 いまこそ、「米意」による非独立心を退け、対米自立に向けて動き出すべきです。
 かつて「大東亜解放」をスローガンに米英と戦った日本人は、なぜ戦後「アメリカの従順な犬」になってしまったのでしょうか。なぜいまなお、日本の権力中枢は、アメリカの意に沿わない自国の政権を追い落とすほどにアメリカに忖度するのでしょうか。その原点にあるのは、占領期間中に形成された、アメリカに対する過度にへりくだった敗北感情です。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』ですね。

—— アメリカが日本人に従属感情を植え付けることができたのは、GHQの占領政策が巧みだったからでしょう。
木村 まず挙げられるのが、WGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)と呼ばれる「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」です。
 GHQは、戦前の日本を軍国主義として糾弾しました。「この戦争は、軍部が独走してみんなを戦争に駆り立て、無謀な作戦をくり返し遂行し、その結果多くの人が犠牲になった」と。このように指導者たちを厳しく糾弾する半面、「一般国民には罪はない」と、日本国民を懐柔したのです。その上で、アメリカ文化に対する憧れを醸成し、「米国は先進的な国で、自由と民主主義がある」ことを日本人に巧みに刷り込んでいったのです。
 WGIPの方針に沿って、連合国側の一方的な歴史観に基づいて書かれた「太平洋戦争史」の連載や「真相はかうだ」のラジオ放送が開始され、すべてを日本の軍国主義的な指導者の責任とするような歴史観が浸透していったのです。

—— 連合国の立場から日本の指導者たちを断罪するために開かれたのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)にほかなりません。
木村 GHQは武装解除(Disarmament)、軍国主義排除(Demilitalization)、工業生産力破壊(Disindustrialization)、中心勢力解体(Decentralization)、アメリカ型民主化(Democratization)という5D政策などで日本弱体化を進めました。しかし、日本の「民主化」は建前に過ぎず、その目的は弱体化です。そうした初期占領政策を歓迎し、「解放軍万歳」と叫んだのが日本共産党でした。
 ところが、GHQは昭和二十二年には日本共産党主導の二・一ゼネストに対して中止命令を出すなど、反共的な姿勢を強化しました。そして、東西冷戦が勃発すると、日本を反共の防波堤にするという政策に転換しました。その結果、日本弱体化に重点を置いた初期の占領政策は棚上げされましたが、戦前の体制を破壊し、日本をアメリカに敵対しない国にしておくという方針は一貫していたと思います。

GHQに協力した日本人の存在


── アメリカは日本を軍国主義から解放し、民主化すると宣伝しましたが、実際には厳しい言論統制を敷いていました。
木村 GHQは、昭和二十年九月十九日に「プレス・コード(新聞規約)」を発令し、GHQや連合国を批判するような言論を事実上、禁じたのです。ただ、当初は原爆についての報道も許されていたのですが、終戦から一カ月後、「原爆投下は国際法違反であり、戦争犯罪だ」との鳩山一郎の発言を朝日新聞が掲載すると、GHQはそれを二日間の発行停止処分にしました。以降、GHQは原爆に対する報道を統制するようになりました。
 一方、GHQは占領政策に最も抵抗するだろうと考えた政治家、職業軍人、右翼団体の人達を公職追放しました。追放された日本人は二十万人以上に上ります。

—— しかもアメリカは、すでに戦時中から戦後の対日占領政策の準備を進め、日本人についての研究を進めていました。
木村 日本人の抵抗を受けずに占領政策の目的を達成するためには、日本人の行動についての理解が不可欠だと考えたからです。例えば、『菊と刀』で有名になった、文化人類学者のルース・ベネディクトは、アメリカの諜報・プロパガンダ機関「戦時情報局」に招集され、昭和十七(一九四二)年から、対日戦争と戦後の対日占領政策に関わる意思決定を担当する日本班チーフに就いていました。『菊と刀』のもとになったのは、彼女が日本人の行動パターンについてまとめた報告書でした。
 GHQによる占領政策がうまくいったのは、GHQに協力した大勢の日本人が存在したからでもあります。当時、外国語を話せる国立大学の教授たちは生活に困窮していました。彼らの多くはGHQから報酬をもらい、占領軍の翻訳の仕事などをしていたのです。こうした人たちは、GHQに言いたいことがあっても口をつぐみ、GHQに協力せざるを得ませんでした。広島大学教授の雑賀忠義氏もその一人だったのだと思います。

—— 広島と長崎に原爆を落としたのは、トルーマン大統領をはじめとするアメリカの指導者たちです。
木村 原爆の威力を試す実験だった感は否めませんが、「フラ作戦」(Project Hula)によるソ連参戦への抑止が理由にあるでしょう。ですが、どんな理由があれ、投下の責任を厳しく追及するのが、日本人としての務めのはずです。ところが、雑賀氏が原爆死没者慰霊碑の碑文として撰文・揮毫したのは、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉だったのです。
 これに対して、東京裁判の判事として戦勝国の報復裁判的な法的根拠を批判して被告人全員の無罪を主張したラダ・ビノード・パール博士は、昭和二十七年十一月に広島を訪れて、「過ちは 繰返しませぬ」の主語は日本人を指すことは明らかだとして、「誰が原爆を投下したのかは明らかだ」と批判しました。

── アメリカの意図によって、わが国と近隣諸国の間の領土問題の火種が作られたという見方もあります。
木村 連合国側は、ポツダム宣言において、日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国が決定する諸小島に局限すると決定し、連合国最高司令官覚書(SCAPIN)によって、日本政府に対し、政治上または行政上の権力の行使を停止すべき地域や、漁業など制限する区域を指令してきました。そして、竹島もまたそこに含まれることになったのです。

—— 一方、ロシアとの北方領土問題はヤルタ協定に起因しています。
木村 昭和二十年二月、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長がクリミア半島のヤルタで会談し、ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦する見返りに、日本領だった千島列島と南樺太をソ連に引き渡すという密約を交わしていたのです。
 しかも、ヤルタ協定の直後、米ソは極秘軍事作戦を実施していました。アラスカのコールドベイで、ソ連軍の将兵一万五千名の上陸訓練が行われていたのです。これが、先ほど話した「フラ作戦」です。ソ連の北方領土上陸に際して、アメリカはレンドリース法で艦船もソ連に貸与していました。このフラ作戦の存在は、小代有希子日本大学教授の『1945 予定された敗戦 ソ連進攻と冷戦の到来』(人文書院)にも詳しく記述され、また戦後七十年に際し「北方領土遺産発掘・継承事業」に取り組んできた根室振興局北方領土対策課の手によっても明らかになりました。

親米反共から対米自立へ


── アメリカは一貫して日本の右派勢力を無力化しようとしてきたように見えます。
木村 民族派もまたアメリカの占領政策の中で生きていかなければなりませんでした。その中で、国体護持という目標を最優先し、反共に力点を置くことによってアメリカと歩調を合わせ、しかるべき時期が来れば、日本の自立を目指そうと考えた人もいるでしょう。しかし、アメリカに追従した結果、独立心と主権回復を後回しにしてしまったのかもしれません。

── こうした中で、反共右翼からの脱却を目指す「新右翼」が台頭しました。
木村 日本の戦後体制を克服していかなければならないという主張が少しずつ表に出てきました。日本の真の主権を回復するために、日米安保条約を破棄し、自主防衛に転換していかなければならないという主張が説かれるようになりました。しかし、米ソ冷戦時代には、「目に見える敵が存在する」という点で反共運動にはリアリティがあったのです。そのため、一九六〇年の安保改定頃までは、対米自立を主張する声は広がりませんでした。
 それでも、戦前から愛国運動に挺身してきた人たちの中には、占領体制の打破を訴える声がありました。例えば、小島玄之さん(護国団顧問)は反共一辺倒だった民族派運動とは一線を画し、主要な敵は「占領政策」だとの立場をとっていました。全学連の樺美智子さんが警官隊との衝突で圧死した時にも、民族派陣営には様々な意見がありました。
 昭和四十五(一九七〇)年に入ると、民族派学生団体の中から「核拡散防止条約批准阻止」を目指す運動が展開され、その頃から民族の生存をアメリカに依存していていいのかという声が少しずつ高まっていきました。やがて、「ヤルタ・ポツダム(YP)体制打破」がスローガンになりましたが、「祖国再建を阻んでいるのはYP体制だ」と主張していたのは、平泉澄門下の田中卓先生です。
 そして、昭和四十五年十一月の三島事件、昭和五十二年三月の経団連事件などによって、対米自立を求める「新右翼」運動が注目を集めるようになったのです。
 鈴木邦男さんは、早稲田大学の学生時代に生長の家学生道場に入り、生長の家学生会全国総連合(生学連)の書記長を務めていました。当時鈴木さんは、ヤルタ・ポツダム体制の象徴の一つである占領憲法の解体を唱えていた、生長の家の谷口雅春先生の影響を強く受けていたのです。

米国に葬られた「樋口レポート」


── 米ソ冷戦の終結は、日本外交を転換する絶好の機会でした。しかし、それを活かすことはできませんでした。
木村 ただ、冷戦終結後、新たな外交防衛政策を模索する動きはありました。例えば、平成六(一九九四)年に、冷戦後の国防を検討するために、細川護熙首相の私的な防衛問題懇談会が組織されました。座長を務めたのは、アサヒビールの樋口廣太郎会長です。同年四月、細川首相は退陣しましたが、懇談会がまとめた報告書『日本の安全保障と防衛のあり方』は、同年八月に村山富市首相に提出されました。
 この樋口レポートには注目すべき点がいくつかありました。レポートには、アメリカの軍事的・経済的影響に組み込まれることなく、自立した日本の立場で軍縮に向かい、アジア諸国との協調を図るという考え方が示されていたのです。
 レポートは「冷戦が終わり、かつての両超大国の影響力が相対的に後退するにつれて、若々しい活力に満ちたアジア諸国がより自主的な安全保障政策を追求し始めたとしても、不思議ではない」と述べ、多角的安全保障の必要性を訴えました。こうした考え方に危機感を抱いたアメリカは、樋口レポートを葬り、新たな日米同盟強化に舵を切ってきました。米軍のトランスフォーメーションです。その中心にいたのが、ジャパン・ハンドラーのジョセフ・ナイ国防次官補です。ナイらは一九九五年二月に「東アジア戦略報告」(ナイ・レポート)を作成し、米軍の補完的勢力として自衛隊をグローバルに展開していくという路線を推進したのです。こうして日米の軍事的一体化が急速に進展していきました。

── 自主的な外交を展開しようとしたわが国の指導者たちは、アメリカに潰されてきました。
木村 日中国交正常化を実現した田中角栄総理は、キッシンジャーの逆鱗にふれ、ロッキード事件で失脚しました。橋本龍太郎総理もアメリカから快く思われていなかったと言われています。橋本総理は、クリントン政権時代に通産大臣として、ミッキー・カンター米通商代表とタフな通商交渉を展開していました。彼は、メディアの前で「我々はアメリカの法律に従って交渉するのではない。世界的なルールの中で、誰が見てもおかしくない話し合いをしたい」と公正、公平を求める発言をしました。
 最近では、鳩山由紀夫政権も外務官僚の文書捏造によって倒されています。普天間基地の移設について「最低でも県外」という公約を実現するため、鳩山総理は徳之島への移設を模索していました。ところが、平成二十二(二〇一〇)年四月十九日に、鳩山総理のもとに、外務省が作成した「極秘文書」と押印された文書が届けられたのです。
 文書には、米軍マニュアルにはヘリ基地と訓練場との距離は「六十五海里(約百二十キロ)以内」との基準が明記されていると書かれていたのです。つまり、徳之島は移設先として条件を満たしていないということになります。この文書を受け取った鳩山総理は県外移設を断念せざるを得なかったのです。そして、あの「抑止力が……」との発言にいたります。ところが、時の政権の最重要課題を左右し、首相退陣の引き金となったこの文書は、官僚による捏造だった可能性が極めて濃厚なのです。

米国のイラク侵略を支持した言論人たち


── 日本の「親米保守派」は一貫して対米追従外交に賛同してきました。
木村 平成十五(二〇〇三)年三月、アメリカのブッシュ政権は、イラクが「大量破壊兵器」を保有しているとして同国に侵攻しました。当時の小泉政権はアメリカの行動を支持しました。
 この時、日本のほとんどの保守派論客が小泉政権の決断を支持しました。私は、「イラクは大量破壊兵器を保有していない」と朝生テレビでも主張し、アメリカの侵略戦争に断固抗議する姿勢を示しました。しかし、「木村はとんでもないことを言っている」と同調圧力でバッシングを受けました。
 結果は、イラクが大量破壊兵器を保有していなかったことが明らかになりました。西部邁さんや小林よしのりさんも、私と同様の主張を展開していました。当時、アメリカのイラク侵攻を支持した日本の言論人は、デタラメ発言の責任を認識してきちんとけじめをつけるべきでしょうね。
 私は、ロシアのウクライナ侵攻に対するメディアや言論人の立場にも強い疑問を感じています。戦争勃発当初は、アメリカのプロパガンダに乗せられ、日本のメディアは一斉にウクライナ寄りの報道をしました。私は当初から、ロシアの論理についても理解を示し、ウクライナ寄りの報道に異を唱えていましたが、いまやフランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッドさんとジャーナリストの池上彰さんが『問題はロシアより、むしろアメリカだ』(朝日新書)を刊行するなど、状況は大きく変化しています。

── 一水会は、ヨーロッパの愛国勢力とも積極的に交流してきました。
木村 二〇一〇年八月には、「世界愛国者会議東京大会」を開き、当時のフランス国民戦線党首のジャン・マリー・ルペン氏をはじめ、八カ国二十人の国会議員、欧州議員、政党人を招きました。最近でも、私が交流を深め連帯をしているマリーヌ・ルペン氏がフランス大統領になる日を待ち望んでいます。私は、マリーヌ氏の主張をまとめた『自由なフランスを取り戻す』(花伝社)も刊行しました。
 ヨーロッパの愛国者と接して感じたのは、アメリカを恐れず、自分たちの考え方を明確に主張しているということです。フランスに限らず、ベルギーやオーストリアの愛国者たちも自らの主張を明確にし、国民の支持を獲得しています。しかも、ヨーロッパの愛国者には親ロシアの姿勢をとる人が少なくありません。世界支配の構造原理をわかっているからでしょう。メディアからの批判も、誰がそれをやらせているかわかっているのです。

── 現在、保守派メディアは対中脅威論一色に染まっています。
木村 このような状況に危惧を抱いています。アメリカには、台頭する中国に自らの覇権を奪われないように、中国と日本をぶつけようという思惑があると思います。それに乗せられてはいけません。日本はいまこそ外交的知恵を絞って日中間の対話を進める必要があります。
 ところが、外務省北米局がアメリカ国務省の出先機関になっていて、対米外交の基軸だけで、主体的に動こうとしません。それぞれの国にはそれぞれの国益・国是があります。わが国には、損得だけでない「和を以て貴しとなす」の大和の精神があります。「地政学的役割、歴史的使命、世界貢献」を示していくべきです。

〝国上の奸〟を是正させ日米合同委員会の協議内容の国会開示を


── 一水会は一貫して対米自立を主張し、日米地位協定を厳しく批判してきました。
木村 沖縄などで米兵による凶悪犯罪が繰り返されてきたのは、米兵に対する日本の捜査権、裁判権が著しく制限されているからです。
 主権国家として極めて重要な出入国管理も、地位協定によって侵害されています。トランプ前大統領に続き、バイデン大統領が米軍横田基地から日本に入国することが罷り通る状況になっています。しかも、日本政府は米軍関係者が日本に何人入国しているかさえ把握できないのです。地位協定第九条には「合衆国軍隊の構成員は、旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される」と規定されているからです。私は、まずこの第九条の改正に手をつけるべきだと訴えています。

—— さらに、日本の航空機が日本の空を自由に飛ぶことさえできない状況にあります。
木村 米軍横田基地や米軍厚木基地に離着陸する米軍機などを管制する「横田空域」は、米軍が管理しているからです。その範囲は、東京、埼玉、群馬、栃木、神奈川、福島、新潟、長野、山梨、静岡の一都九県にまたがっています。
 「横田空域」をはじめ、米軍の特権は日米合同委員会の合意によって定められています。ところが、合同委員会での合意事項は日米双方に拘束力を持つにもかかわらず、協議は非公開で、その内容は日米双方の合意がなければ公表されず国会への報告も行われていません。だからこそ、合同委員会は運用の改善と称して国民に知られたくない日米の「密約」を結ぶ場として機能しているのです。まず、合同委員会の協議内容を国会にきちんと報告させるところから始める必要があります。そうでないと、日本の主権の及ばない〝国上の奸〟として存在し続けることになります。

── 対米従属派に対抗するためには何が必要ですか。
木村 対米自立の主張を発信し続けると同時に、そうした問題意識を持っている人々と連帯する必要があります。我々が四十年ぐらい前に対米自立を主張し始めたときと比較して、対米自立という考え方を共有できる人は確実に増えてきています。
 運動家だけではなく、アカデミズム、ジャーナリズム、国会、地方議会などにも働きかけを強め、対米自立のうねりを拡げていかなければなりません。さらに、国内に限らず、アメリカの人々とも議論していく必要があります。
 世界百五十九カ国、七百五十カ所に米軍基地があり、十七万三千人の米軍人・軍属が派遣されています。これらをすべて引き揚げさせるというロバート・ケネディ・Jrの主張には大いに賛成です。米軍は世界秩序を守る警察官でもないのです。軍を派遣しているから国際的なルールの例外規定が許されるというものではなく、アメリカの既得権益を公平、公正な利益均衡システムに転換させるべきです。その意味でも、世界の人々との意見交換は必須なのです。
(聞き手・構成 坪内隆彦)

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