原作と原作者について見逃されがちなこと

漫画家さんが亡くなった件については、原作を読んでおらず、テレビ番組も見ていなかったし、関係者に知人もいません。
なので「誰が悪い」については、世間の多数派と同じ意見です。
たぶん「原作者に誠意を尽くしたところで上から命じられた数値目標を達成する足しにはならねえ」みたいな、社会のどこにでもある問題が発生したんだろうと想像するのみです。

ただ私は現在「至れり尽くせリ」で薄倉さんの原作を元にゲームを制作しており、前作「カルドラシル」にて独牙さんのシナリオ原案を元に、炎上気味のプロジェクトにプロデューサーが介入するという名目でいろいろ手を加えたりしました。

他人事ではないです。
下手すると悪者の側になりかねません。

作品は我が子のような物

「漫画の原作者に取って作品は我が子のようなもの」という表現を目にしました。
言い得て妙です。
人は我が子を愛するあまり、客観的に評価できないことが多々あります。
そのメカニズムについて解説していきます。

イデア或いはアイディア

0から1を作り出すような創作が行われる時、作者の頭の中には必ず「理想の作品」の姿があります。

原作者の葛藤

しかしながら、それを小説とか、絵とか、連載漫画とか、映画とか、ゲームとか、テレビドラマに落とし込むにあたっては、無数の制約があります。

作品づくりは妥協の連続です。

そうして完成した作品A'は、熱心なファンにとっては聖典になるかもしれません。

しかし原作者の聖典はあくまで理想の作品Aです。
なんなら、作品A'の中にAを幻視している原作者も珍しくはないでしょう。

で、A'を別のクリエイターが加工して派生作品Bを作る場合、さらなる制約が無数にあって、再び妥協の連続によって完成に至ることになります。
事故の予感がしますね。

原作者としては妥協で仕方なく入れたA'の小さな恋愛要素がファンに刺さっている、みたいなケースも多いでしょうし、そこを膨らませられてしまうこともあるでしょう。

編集者の仕事

現実の作品A'を元に、派生作品Bを作るのが脚本家等だとして、よく考えると私はその立場ではないですね。
作品A'として完成していない段階で関与していますので。

理想の作品Aから現実の作品A'を作るために妥協を手伝うのは編集者の仕事に近い気がしてきました。

まあでも、今回のニュースを見て、自分で原作から書くほうが安全だろうなとも思いました。


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