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心と体は遠くはないよ。

学ぶことが好き。

いわゆる民間資格というものであるなら、カラー、リンパドレナージュ、ストーン、取得しているものが幾つかある。

占い師なのだから、メンタル面だけ扱っていてください。
某占い会社に所属していたときに、経営者から言われた言葉を時折思いだす。確かに、心だけ扱っていればいい。だけども、辛くて動けない。そういう相談をお受けしたときに、何もできない、知識もない自分が情けなかった。

呆然とした。
辛いというひとに、声をかけるしかできない。「占い」で括れないものが、そこにはあって。とても遠い岸の向こうで、あがくしかできなかった。
何かできたらいいのに。そう思うのに、「知識」そして、占い師としてあった「自負」みたいなものが遠く遠くに逃げていった気がした。

心だけじゃなくて、体も扱いたい。ボディに関するワークを習ったり、石を使った様々を学びはじめたりしたのは、何もできない自分がきっかけでした。

このときに、講習続きで依頼を満足に受けられず、経営者は、そんなボディなんて勉強しなくていいから、目先の依頼を受けてください。という意味で言ったのだろうと思う。確認していないから真意はわからない。フリーになった今、連絡先も知らないから、聞くこともできない。
でも、今ならわかる気がする。

心と体をわけた方がわかりやすい。
仕事もしやすいと思う。

でも、と思った。
心が傷ついていたら、体も動かない。
どっちかだけが元気でも、どちらも元気がなくても、しんどいのかもしれない。
しれないじゃない。辛い。

そう。
心と体は、違う名前がついているけれど、とても近い。

だけども、別々の音というかリズムを持っているとも思う。
忙しくなると、どっちの音も聞きにくくなるし、片方だけを聞いていればいいというわけでもない。そして、どちらも属する音階が違うから整っているならポポポンという心地いい和音が。
そうでなければ、ギザギザした不協和音が生まれるのかもしれない。

だから時々、耳を澄ますことができたらと思う。
距離を縮めていくこと、耳を澄ますことはきっとできる。そういうきっかけを
もしお渡しすることができたなら。
でも、その方法は?

結果。私は、経営者の言葉に反して、せっせと民間資格の取得に精をだした。
石が好きだったから。それも、もちろんある。どこにでもあるものだということ、小さい時にポケットに満タンに詰めた石ころたち。そういう気持ちをだいじにしたくもあったから。
とても近い、お友達のように感じていた石たち。ワークを学ぶなかで、ああ、
このために生きてきたのだと思う瞬間もありました。

話を戻します。

心と体は、近いと、「自分」が少し楽になる気がする。
とはいえ毎日わたしたちは忙しい。
病院に行く時間もなかったり、面倒だったり、理由はいくつもあるし、理由がたくさんある時代に生きているのだと思う。これは、所在が明らかになりやすいからにも繋がる気がする。ライン、メール、リマインド。みんなみんな、忙しい。電子音が近くなりすぎて、見えなく、聞こえなくなる音、感じにくい色が多くなったの
かもしれません。

どうしたら、近くすることができるのだろう。
このヒントのひとつは旬と季節だと思っています。
今日は中秋の満月です。
お団子を買い逃したわたしは、心の声の代わりに秋の虫の音に耳を澄まして
まんまるの月をみあげます。

また改めて。民間資格と反対側の資格についても、かけたらいいなと思っています。

読んでくださってありがとう。


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