黒澤明監督「わが青春に悔なし」感想
黒澤明監督1946年作品「わが青春に悔なし」モノクローム作品会員投稿
2021年1月4日 記 石野夏実
昨年末、東京新聞夕刊2面から「民主主義の意味を問う」と書かれた大きな活字と、原節子と藤田進の横顔のポスターが目に飛び込んできた。
それは、黒澤明監督の1946年作品「わが青春に悔いなし」の映画案内であった。
半年前に、モノクローム作品「竜馬暗殺」の感想を投稿した時と同じく「あの頃映画があった『再発見!日本映画』」の立花珠樹氏の映画紹介コラムの日なのだった。
早速プライムビデオを検索し、有料で視聴した。おそらく何本も観た黒澤作品の中で、この作品は私の琴線に最も強く触れた作品ではないかと、画面を観ながら進行形で痛感した。
敗戦で自由になったとはいえ、翌年1946年のあの混沌としていたであろう時代に、女性の強さと自立を描いた日本映画はほとんどなかったのではないだろうか。さすが、黒澤監督である。
映像美は、映画を評価する上での最重要要素の一つではあるが、それひとつでは訴えるものが片手落ちだと思っている。
はっきりとしたテーマを持ち、歯切れよく進行する画面と主役の原節子のはつらつとした容貌を最大限に生かしたこの映画は、世界のクロサワと呼ばれる以前の敗戦翌年公開の記念すべき映画なのであった。
そして観終わった時、原節子の代表作はこの作品が一番相応しいのではないかと思ったほどだ。
とはいえ、原節子の出演した映画を何本も観ているわけでもなく、小津安二郎監督の紀子三部作「晩春」「麦秋」「東京物語」の彼女が演じる娘役や亡き息子のお嫁さん役くらいしか比較ができないのであるが。。。
大きな瞳、鼻も口も共に大きく、健康そうな体躯は活動的な役でこそ生かされ、受け身ではなく積極的に生きる役の方が、その容姿に相応しいと感じた。控えめな日本人女優というより自己主張が似合う欧米的な女優に近いと思った。
さて戦後の女優ナンバーワンを高峰秀子と競う原節子であるが、小津の死後は95歳で亡くなるまで、一度も公の場に現れることもなかった伝説の女優でもある。
私たちは当時165センチという大柄でハイカラな美しさを備えた彼女を、たまにニュースの隠し撮り以外知ることもなく、ミステリアスな存在として、生涯のその名を記憶した。
小津作品での原節子については、後日「東京物語」などで書きたい。
さて「わが青春に悔いなし」であるが、大河内伝次郎が滝川事件を題材にした京都大学の教授役、その娘の幸枝に原節子、教え子で幸枝と結婚するがスパイ事件(ゾルゲ事件)で獄死する青年野毛を藤田進、その野毛の実家の農家の母役を杉村春子で固めている。
もうひとり、幸枝に対する野毛のライバルで後に検事になり、野毛とは全く違う人生を歩く糸川が要所で登場する。志村喬が刑事の端役で出ていた。
実在の京大事件もゾルゲ事件も映画に取り込み、しかし彼らが主人公ではなく、娘として恋人(妻)として自立していく女性を原節子で描いたところにこの映画の魅力がある。
大学教授のお嬢さんの幸枝は、学生たちのあこがれの的でもあり彼らと京大裏手の吉田山にハイキングに行くところから映画は始まる。
美しい紅一点の存在は、男心を翻弄するようなところもある。最初、彼女の本心が誰に向いているのか、よくわからなかった。
自活すると宣言し、京都から野毛のいる東京へ行くと決めたひとり娘をきちんと送り出す両親もさすがである。
それなのに、すぐには野毛の事務所にも飛び込む決心がつかない幸枝であった。心を通わせた束の間の幸せな暮らし。
しかし野毛は逮捕され獄死する。幸枝は妻として野毛の実家(農家)に行き、事件によって村八分にされている両親と共に、この村で生きる決心をする。
田んぼで泥だらけになり日に日に逞しくなる幸枝。
戦争が終わり、幸枝と仲間達を乗せたトラックが走り去る一本道のラストシーンに黒澤は万感の思いを込めた。
やっと女性の自立する時代が、民主主義と共にやってきたのだ。
GHQの占領下での民主主義啓蒙の宣伝映画ともいわれているが、原節子には、このような主人公役が最も相応しいと思った。