『1998年の宇多田ヒカル』/宇多田ヒカル本②
『1998年の宇多田ヒカル』は、1998年にデビューした女性アーティスト――宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみ、Kiroro、鈴木あみ、モーニング娘。――などが日本の音楽シーンに与えた影響を深く掘り下げた一冊である。1998年は、CDの売上が史上最高を記録した年であり、この年の記録を塗り替える年はもちろん二度とやってこない。
『1998年の宇多田ヒカル』は、単なる音楽史の振り返りにとどまらず、1998年の「奇跡の年」を通じて、現代の音楽シーンに奮起を促すメッセージも込められている。1998年における彼女たちの登場がどれほどのインパクトを与え、いかに特別な存在であるかを音楽ジャーナリストの鋭い視点で述べた一冊である。
個人的には、本書の最もエモーショナルな部分は、デビュー当初はライバルと目されていた宇多田ヒカルと浜崎あゆみの関係が、時の流れとともに変化していった点である。
2000年前後、宇多田と浜崎はそれぞれのスタイルで日本の音楽シーンを牽引し、対比される存在であった。宇多田はその革新的なR&Bサウンドと洗練された歌詞で、音楽シーンに新風を吹き込み、一方、浜崎は強烈なビジュアルイメージと感情豊かな歌詞で若者たちの心を掴んでいた。しかし、十数年の時を経て、浜崎あゆみのライブでのスタンダードナンバーに宇多田ヒカルの『Movin' on without you』が取り入れられるようになる。この部分は胸あつである。
ちなみに本書には一か所だけ、作者の事実誤認と思える部分があった。
日清カップヌードルのCMタイアップ曲『KISS&CRY』で、もともとはあった「娘さんのリストカット」という歌詞を、食品のコマーシャルにそれはちょっとということで変更したのである。
「お父さんのリストラと/娘さんのリストカット/お母さんはダイエット」
となっていた歌詞を、「と」で韻を踏みながら家庭の暗部(のようなもの)を羅列していくという点を崩しはせずにだが、
「お父さんのリストラと/お兄ちゃんのインターネット/お母さんはダイエット」
に変更したというわけだった。
で、問題はこのあと。
「みんな夜空のパイロット/孤独を癒すムーンライト/今日は日清CUP NOODLE」
と続くのだが。
宇多田はのちに、この部分の変更は(身内のスタッフから助言は受けつつも)あくまで自主的なものでありかつ職業作家として肯定的な変更だったと誇らしげに語っているのだが(そのインタビューを宇野維正氏は読んでいるのだろうか?)、著者の宇野氏は、この「日清CUP NOODLE」という歌詞が、歌詞の変更等に対する一種の当てつけだと推測していて、その証拠の一つが、「と」が続いたあとに当てつけのように韻を乱している「カップヌードル」(「る」)というわけなのだ。
しかし音源を聴くとわかるが、ここは「カップヌードル」ではなく「CUP NOODLE」と発音している(つまり最後の一文字は「る」ではなく、「ど」に近い発音)。要するに韻を踏んでいるのだ。これは宇多田の歌唱の特徴でもあるのだが、このように英語やカタカナが出てきたときには、英語発音にするかカタカナ発音にするかをその都度その都度適切に選び取っていちいち決断しているのだ。それを聴き逃していることに関しては、ちょっと信頼感がゆらいでしまう。音楽批評において、論理の破綻はどうでもいい。しかし音を聴いていないのは、かなりかなり問題があるだろう。音は聴かないと。
しかし私は宇多田ヒカル研究の本のなかで、今のところ本書がダントツで一番好きである。発売日に買って一気に読んだし、読む用一冊と貸す用二冊で計三冊が家にある。
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