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ブリュースターF2Aバッファロー(1937)

 ブリュースター社(ブルースター)は1932年に発足した新興の航空機メーカー。アメリカ海軍が行った1935年の次期艦上戦闘機のコンペティションに、モデルB139で参加した。モデルB139の特徴は全金属単葉と引き込み式脚である。ずんぐりむっくりした胴体に、広く視界の良い大きな操縦席を設けている。航空母艦に乗せるために短い胴にしなければならず、不時着水したときに浮力となるように胴体は太くしたため、独特のずんぐりむっくりの姿になったという。

 コンペティションにはグラマン社やセバスキー社も参加したが、このB139がXF2A-1として採用される。このときグラマン社は複葉機XF4F-1で参加し、いくらなんでも複葉機ですか・・・と落選した。グラマン社は、そのあと懸命にXF4Fの単葉機化を図り、XF4F-2として採用されることになるのだが、それは後日の話。

 初飛行は1937年、制式採用は1938年である。F2A-1として54機が発注される。しかし、海軍はこのあとの発注を控え、納入されたほとんどの機体をフィンランドに売却してしまう。単葉機として復活を遂げたグラマンのXF4Fがどうやら高性能を発揮することがわかったこととブリュースター社が大量生産体制をとれないでもたついていたためらしい。

 F2Aは、改良型のF2A-2やF2A-3などが発注されたが空母ではなくアメリカ海兵隊に配備される。イギリスやオランダ、ベルギーからも発注され、イギリスではこのF2Aにバッファローと命名する。しかし、ドイツ機との戦闘には太刀打ちできないと考え、太平洋戦線に配備される。米海兵隊も太平洋戦争の初戦時(ミッドウェイ海戦まで)はこのF2Aを配備していた。なめたもんで日本機にはこれで十分と考えていたらしい。だが、太平洋戦争初戦時の零戦の強さは天下無敵であり、さらにベテランパイロットの操縦によって、F2Aはまったく歯が立たず、惨敗であった。ミッドウェイ開戦後は、アメリカ海兵隊ではグラマンF4Fやチャンスボート・コルセアなどが配備されF2Aは早々に姿を消す。

 ダメダメであったF2Aであるが、フィンランドでは活躍した。フィンランドはソ連と戦争(冬戦争)をしており、このF2Aは大活躍をすることになる。国を救うような働きを示し、多くのエースを輩出した。ソ連機とのキルレシオ(1機で相手機を撃墜する数)は1対21という脅威的な強さを示した。F2Aを巧みに乗りこなしてしまうパイロットが続出する。フィンランド人というのは「操縦技術」に卓越してるのかもしれない。モータースポーツ界で活躍するフィンランド人は今でも他国より突出して多い。

 大活躍したF2Aは「空の真珠」としてフィンランド人に讃えられた。アメリカから供与されたF2Aはたった44機であったため、コピー版バッファローまで作られた。戦後も現役を続け、退役は1953年である。

 一方、本家ブリュースター社は生産工場を整備することにもたつき、アメリカ海軍の管理下に入ることになる。以後は、コルセアの生産会社となり独自開発から撤退した。

F2A
全長 7.92m
全幅 10.67m
全備重量 2,640kg
発動機 ライト R-1820-34 9気筒空冷星型エンジン (940hp)
最高速度 520km/h
武装 12.7mm機銃×4

> 軍用機図譜



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