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飛行機の本#32『嵐の生涯』_飛行機設計家ハインケル(E・ハインケル/J・トールヴァルト)

ドイツの初期の飛行家で、飛行機設計家、航空機製造会社の経営者として活躍したエルンスト・ハインケルの自伝である。

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ハインケルは鋳物工場などの職人であったがツェッペリン飛行船の事故を見て刺激を受け、空気より重いが鳥のように飛ぶ飛行機を自身で作り始める。ギムナジウムを出たエリートではなくレアルシューレ(実科学校)を出た職人からスタートしたのだ。飛行機をつくるためにと工業大学に入学する。墜落事故などを経て、次第に設計の方に傾いていく。飛行機設計や制作を重ねる中でその才能を発揮し、イタリアのカスティリオーニという富豪から援助を受けることになる。第一次世界大戦、複葉機全盛の時代から単葉機にこだわり、独自のデザインが時代をリードしていくことになる。また、飛行艇の技術を得ようとしていた日本にも技術協力を行い、第二次世界大戦が終わるまでその関係は続く。ドイツ再軍備時代からドイツ空軍を担う優れた飛行機を作り続けるが、ライバルであるメッサーシュミットがナチスとより政治的連携を強めているため採用されないことが多くなっていく。世界初のジェット機や戦争末期に無敵の活躍をした高速夜間戦闘機 He219を開発した。戦後は、マイクロカーの開発などに関わり、1958年に亡くなった。かいつまんだハインケルの生涯だ。

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共著になっているのですべて自分の文章ではないのであろうが、本当に細かいところまで記録されていて驚く。しかも、技術的な話よりもさまざま人との出会いや当時の時代を客観的に観察した話を軸とした物語になっている。そのため彼の生き様や考え方がよくわかる。現場感覚をもったユニークな航空機デザイナーなのだ。

日本の同時代の飛行家で飛行機設計を行い、航空機製造会社を作ったところまで同じである中島知久平と重なるところがある。中島知久平は途中から政治家になり、飛行機設計は早々に手を引いてしまうのだが。

日本人が好きで、すき焼きを好み、自分でもつくっていたというエピソードもある。





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