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上越立ち止まりスポット4(高田城址公園②)

今回は高田城址公園の南側にある忠霊塔付近を歩いてみる。その昔、高田が軍都と言われて仙台、会津若松、松本、新発田、村松などにあった連隊の第13師団の総本部が置かれていたことは前回書いた。高田城址公園の南側奥深くに大きな忠霊廟とそれをとりまくように様々な忠霊塔が建っている。忠霊廟あるいは忠魂碑は戦争で亡くなった軍人を顕彰する記念の建造物や石碑である。ヨローッパやアメリカに行くと同じような戦争のメモリアルパークが市の観光名所としてあるいは市民の憩いの場となっているが、日本では神社の片隅に建っていることが多く高田城址公園の中にある大きな忠霊廟は軍都の名残といえよう。

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もともと日清戦争や日露戦争、日中戦争などの戦死者の忠霊塔が在郷軍人会によって建てられていたが昭和18年に納骨施設を伴う巨大な忠霊塔(忠霊廟)を建て、5300余りの合祀がなされた。

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廟の横には戦没軍馬の碑も建てられている。これも昭和18年。

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忠魂碑。裏には一市八郡共同建立と刻んである。

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日清戦役の忠魂碑。

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日露戦役の忠魂碑。

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これも日露戦役。

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これはシベリア出兵時の忠魂碑。

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はずれまで歩くとこのならびにオーレンプラザがある。元に戻って東側に歩くと私立図書館がある。

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この辺りは江戸時代、二ノ宮御殿が建てられていたとプレートに書かれている。4台藩主松平光長時代に光長の姪、二ノ宮の寝殿があったのだそうだ。二ノ宮は、光長の妹の子で、高松宮家に嫁いでいる。二ノ宮は高松宮家の皇女になる。皇室と関係のある場所だったんだ。寝殿の遺構がそのまま土中にあると説明されている。

今回の散歩は、駐車場から忠霊塔を回ってきただけであるが歴史の長さをたっぷり味わえた。

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