あれから35年、日航機墜落

1985年8月12日6時56分、羽田空港発、伊丹空港行きの日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。垂直尾翼が吹き飛んだあとも30分以上もパイロットによる懸命な飛行をしたことがフライトレコーダに残されている。墜落を覚悟したメモがたくさん残された。乗客乗員520人が犠牲となった。

同日夕刻に、私と妻は成田空港国際線の発着ロビーにいた。初めての海外旅行で緊張感とともに一時間以上前から手続きをすませ発着ロビーでTVを見ていた。TVには臨時ニュースで、日航ジャンボ機が行方不明と流れていた。まだ墜落のニュースではなかった。緊急事態発生の連絡が入ったまま無線が途絶えたというニュースである。墜落したらしいが場所が特定できない。次々と入ってくるニュースに気もそぞろのまま、初めての海外旅行のジャンボ機に登場した。

当時は直行便がなかったので一旦給油のためにアンカレッジに降りた。しかし、ニュースを得ることもできずそのまま出発。翌日の夕刻にパリ国際空港に着陸した。そこで知ったのが墜落、写真を載せた新聞が売られていた。

あれから35年。いつかは御巣鷹山に行ってみたいと思っていた。退職した今年はチャンスだと思っていたが、コロナ禍で果たせなかった。

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