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杉田庄一物語 その59(修正版) 第五部「最前線基地ブイン」 潜水艦による補給物資輸送

 三月二十日、二〇四空は、早朝五時から「遭難潜水艦上空哨戒」任務に三小隊九機の零戦で出撃している。おそらく米軍に襲われた潜水艦の救助要請によって出動したものと思われる。指揮官は、野田隼人飛曹長。潜水艦を発見できず、敵とも遭遇せずに九時五十分に基地に戻っている。

 前線への補給物資輸送は潜水艦の任務になっていた。本来は、米軍の本国からの戦線への補給物資輸送を断つことに働かねばならないはずの潜水艦が、輸送艦のような任務のために動かざるを得なかった。このことは、戦略的にみれば潜水艦作戦の大失敗である。米軍にとっても日本より遠距離での補給を確保しなければならず、南方作戦での最大の弱点であったはずである。「ニミッツの太平洋海戦史」(チェスター W.ニミッツ 著, エルマー B.ポツター 著, 実松 譲 翻訳)の中で太平洋艦隊司令官ニミッツ提督は驚きを交えて日本軍の戦略的な失敗と述べている。

「連合国軍が飛び石戦法をとりはじめるや、絶望的になった日本軍は、何を血迷ったか、次善の策である艦隊攻撃という目的さえ放棄してわき道へそれてしまった。日本首脳部は陸軍の主張によって、孤立した守備隊に補給するため潜水艦を貨物輸送線として使用しはじめた。
 連合国軍部隊は、ますます本国基地から絶えず増大する距離を行動し、かつだんだん日本側基地に、より近く作戦しつつあったにもかかわらず、日本潜水艦は活躍の場を失うことになった。
 古今東西の戦争史において、主要な兵器がその真の潜在威力を把握理解されずに使用されたという稀有な例を求めるとすれば、それはまさに第二次世界大戦における日本潜水艦の場合であろう
」   

「ニミッツの太平洋海戦史」(チェスター W.ニミッツ 著, エルマー B.ポツター 著, 実松 譲 翻訳)


 開戦前に山本五十六も潜水艦の運用については次のように海軍経理局長の武井に述べていた。

「とにかく南洋に潜水艦をうんとばらまいて、相手に蜂にたかられるような思いをさせることだ。蜂にブンブンやられたら、牛でも馬でも、参りはしないが、閉口するだろう。・・・」

「山本五十六」(阿川弘之、新潮社)


 しかし、ガダルカナル島への補給物資輸送を最優先せざるを得ない状況ですべての策が封じられてしまう。米海軍は日本の潜水艦の行動について暗号を解読してつかんでいた。そして、駆逐艦によるハンターグループを組織し、つねに日本潜水艦の動きを追いかけ攻撃をしかけていた。輸送作戦中に撃沈された潜水艦は十八隻に及んだ。

 日本よりも遠距離から補給物資を運ばねばならない米軍であったが、日本軍の潜水艦が手薄になったこともあり、豪州とのシーレーンはしっかり確保され、ガダルカナル戦の一大補給基地が築かれていた。「大本営参謀の情報戦記」(堀栄三、文藝春秋)によれば、米軍の補給は弾薬、兵器、糧食、衛生用薬品などを戦場近くに四十五日分を保持しておくのが最小限であったという。対して日本軍は現地調達を前提に進軍した。食糧となる動植物の一切ないガダルカナルにおいてもである。

 三月二十二日、二〇四空は、この日も二直交代で「潜水艦上空哨戒」任務についているが、潜水艦を発見できなかった。一直三機は朝五時から八時まで、二直三機は七時三十分から十時十五分までである。どの直も敵とは遭遇しなかった。杉田も編成に入っていない。

 三月二十八日、この日、二〇四空は二五三空とともにニューギニア東部海岸のオロ湾に集結している敵艦戦を攻撃する五八二空の艦爆隊十八機の護衛を命ぜられた。二五三空の零戦十七機と二〇四空の零戦十二機が午前八時二十分すぎに出撃した。二〇四空指揮官は、みなぎる闘志の川原中尉だった。二番機は川岸次雄飛長で、やはり十二月に着任して日が浅い。三番機の大原飛長はすでに半年以上をラバウルで過ごしていて、空戦の場数を相当踏んでいた。指揮官の川原は出撃前のラバウル基地で大原に「俺は戦場がよくわからないから、カバーしてくれな」と声をかけている。杉田は第二中隊第一小隊三番機だった。

 凄まじい対空砲火をかいくぐり、艦爆とともに川原中尉は突っ込んでいき編隊もそれに続いた。艦爆をねらって待ち構えていた敵戦闘機と水面間近の低高度での空戦となった。艦爆隊は巡洋艦一隻、駆逐艦一隻を撃沈した。また大型輸送船も一隻大爆発させている。五八二空では、指揮官の宮坂雄一朗大尉ほか三機が撃墜された。二〇四空は、約三十機の敵機と交戦し、六機を撃墜し被害はなかった。

<引用・参考>


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