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杉田庄一物語 その72(修正版) 第七部「搭乗員の墓場」 第二次ソ作戦

  六月八日、ラバウルの司令部で行われた「ソ作戦」後の研究会で二つの攻撃要領が確認された。宮野大尉による「分散同時攻撃」と「三隊による投弾後の艦爆護衛」の計画である。

 「分散同時攻撃」というのは、従来のような指揮官先頭単縦陣での一箇所急降下爆撃ではなく、中隊あるいは小隊単位での数個の目標に分散して同時に攻撃を仕掛けるというものである。単縦陣での攻撃だと敵に予測時間を与え後方の列機がねらわれやすくなってしまうし、零戦による直掩もうまくいかないケースが多くなったのだ。しかし、三機編隊の二五一空と比べてみると四機編隊の二〇四空の方が被害が少ないことがわかり、次回から二五一空でも四機編隊編成を採用することになった

 続いて、戦闘機による艦爆援護の方法について話し合われた。この時期の艦爆は、攻撃後の引き起こし時に上空から一撃されることが多く、対策が課題となっていた。そこで宮野は、「三隊による投弾後の艦爆護衛」の提案をする。零戦隊を三隊に分け、一隊は直掩隊として艦爆にかぶさる形で共に急降下して援護する、一隊は上空の敵戦闘機を引き受け、状況に応じて下方の戦闘に加勢する、一隊は艦爆隊の前に露払いとして目標付近の敵戦闘機を拡散制空するという艦爆護衛計画である。同席した艦爆隊の江間保大尉は、宮野大尉の説明を聞いて思わず顔を見たという。犠牲的なこの計画を説明し、宮野はさらに「この隊の指揮は私がとります」と淡々と述べた。そのため二〇四空では制空隊、直掩隊、収容隊の三隊が編成された。

 六月十二日、第二次「ソ作戦」が実施される。前回と同じくガダルカナル島航空撃滅戦である。前日には、二〇四空の零戦二十四機がブインに進出していた。

 編成は次の通りである。
第一中隊第一小隊
 一番機宮野善次郎大尉、二番機大原亮治二飛曹
 三番機辻野上豊光上飛曹、四番機中村佳雄二飛曹
第一中隊第二小隊
 一番機大正谷宗市一飛曹、二番機小林友一二飛曹
 三番機坪屋八郎一飛曹、四番機田中勝義二飛曹
第二中隊第一小隊
 一番機森崎武予備中尉、二番機浅見茂正二飛曹
 三番機中野智弌二飛曹、四番機田村和二飛曹
第二中隊第二小隊一番機 渡辺秀夫上飛曹、二番機人見喜十二飛曹
 三番機杉田庄一二飛曹、四番機日高鉄男二飛曹
第三中隊第一小隊
 一番機日高初男飛曹長、二番機黒澤清一二飛曹
 三番機神田佐治二飛曹、四番機中澤政一二飛曹
第三中隊第二小隊
 一番機鈴木博上飛曹、二番機渡辺清三郎二飛曹
 三番機白川俊久一飛曹、四番機小林正和二飛曹

 午前六時五十五分、二〇四空の零戦二十四機は五八二空の零戦とともにブイン基地を発進し、途中ブカ基地から発進した二五一空の零戦と合流してルッセル島に向かう。途中、落伍し不時着した二五一空の二機を除いても総勢七十五機の大部隊であった。

 八時二十五分、高度八千メートルで敵編隊と遭遇。敵は高度四千メートル、五千メートル、七千メートルの三層の編隊で接近しており、がっぷり四つに組む隊形になった。しかし、二〇四空の第一中隊第二小隊の四機(大正谷小隊)が右に急旋回し、全体の隊形をくずした。別動の敵機を見つけたのか、陽動作戦があったのかその詳細はわからない。そのため、編隊が乱れいきなり各隊個別の空戦になってしまう。八時三十分、五八二空がルッセル島西方海上で敵編隊と空戦。八時三十五分、二五一空がルッセル島東方海上で空戦。八時四十分、二〇四空もF4F、F4Uの編隊と空戦に入った。各戦闘は二十分程度行われ、ルッセル上空は敵味方の戦闘機が乱れ飛び、海上には撃墜された戦闘機の炎と黒煙がたちこめた。

 二〇四空の戦果は、宮野大尉がF4Fを一機、日高鉄夫二飛曹がF4Uを一機、神田佐治二飛曹がF4Fを二機(うち協同一機)、中澤政一二飛曹がF4Uを一機(協同)、鈴木博上飛曹が協同でF4Uを一機、渡辺清三郎二飛曹が協同でF4Uを一機、杉田もF4Uを二機(うち協同一機)、計六機を撃墜した。杉田は七・七ミリ機銃しか撃っていない。おそらく二十ミリ機銃が故障していたのであろう。この日、宮野大尉の指示のように小隊ごとに戦闘を行い、他の小隊が交互に警戒支援するという作戦をとった。そのため、被害は白川機の被弾十四発のみという軽微なものになった。

 二五一空は十一機の撃墜(不確実一)で松本勝次郎二飛曹、上月繁信二飛曹、末永博上飛が未帰還、小竹高吉二飛曹が海上不時着であった。五八二空では、十三機撃墜(不確実五)で野口義一中尉、沖繁國男二飛曹、藤岡宗一二飛曹が未帰還であった。

 二回にわたる「ソ作戦」によってルッセル島を舞台にした敵戦闘機との制空権争いは一定の成果を挙げたととらえられた。そもそも「ソ作戦」は、米軍が航空勢力を増強してきたことに対する日本軍の押し返し作戦である。米軍は、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を拠点として、ルッセル島に複数の前線基地を作り出していた。米国内での飛行機増産が軌道に乗り出し、新鋭機が続々とヘンダーソン基地に届けられ、それらが分散して前線基地に配置されていく。そうはさせじと日本軍も前線基地を叩きにいく。という図式である。まずは、「ソ作戦」によって増強された戦闘機を潰し、その後、戦爆連合部隊で拠点を叩きのめす「セ作戦」を実施するという二段構えの作戦であった。

 日本軍も新鋭機の零戦三二型や二二型を送り込んでいたが、その規模は全く違っていた。日本軍搭乗員もミッドウェイの生き残りのベテランと訓練期間を短縮して送り込まれ新人たちが交代なしで戦い続けている状態だった。

 「ソ作戦」では、そのような搭乗員たちとミッドウェイ海戦後に補充された米軍新鋭機、新人パイロットとの戦いだった。米軍では一定の出撃回数をこなすと休暇や本国帰還が与えられる。「ソ作戦」時での米軍側の弱みは、訓練不足と編隊空戦の戦術が未熟だったことだ。日本軍は、かろうじて戦果を上げたが、失った搭乗員や飛行機の補充は期待できなかった。米軍では、戦訓を生かして飛行機の改良を行い、編隊空戦の戦術を練り上げていた。

<引用・参考>


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