見出し画像

ノースアメリカンP-51マスタング(1940)

 私が子供の頃(昭和)は、ムスタングが標準的な表記だった。フォードで出したスポーツカーもある時期までムスタングになっていた。いつの間にかマスタングに変わっている。すでに令和の時代だから、そういうこともあるだろう。

 P-51は、第二次世界大戦中に作られた戦闘機では比類なき存在であることに異論はないだろう。回りくどい言い方だけど、ダントツ1位ということだ。性能だけでなく生産性や戦術的エピソード、そして戦略的な意味からもだ。

 P-51が作られた経緯にもよく知られたエピソードがある。まだアメリカがヨーロッパ戦線に参戦していなかった頃、イギリスではドイツとの戦いのためにフル生産で戦闘機やら爆撃機やらを作っていた。それでも足りないのでアメリカから軍事支援を受けることになった。しかしまだ本気に戦争準備できていなかったため、アメリカにはP-40というポンコツ戦闘機しかない。しかも、アメリカも本気出して戦争準備をしなければならんかった。カーチス社はP-40を大増産しているがイギリスに回す余裕なんてない。そこで、名もなく貧しい新興メーカーのノースアメリカン社にP-40のライセンス生産を依頼する。しかし、鼻っ柱だけは強いノースアメリカン社の社長ジェイムス・キンデルバーガーは、「俺らの方がいい飛行機つくれるぞ」と提案する。具体的には「我が社は、同じアリソンエンジンで、もっといい飛行機を、短期間で作ることできる」というものだ。おかかえの設計士、エドガー・シュミュードは、このプロポーザルを実現し天才という評価を得る。実際には、ほぼ9ヶ月で初飛行している。

 初飛行したNA-73(まだ正式名称がついていないので)は、求められた性能はほぼ満たしてはいたが、高高度性能はヨーロッパの激戦でしのぎをけずっている戦闘機には及ばなかった。低空域での性能は良く、大容量の燃料を積載できることが特徴となり、イギリスに輸出されマスタングという名称もついた。初期のマスタングは、偵察や地上攻撃で活躍することができた。しかし、高高度ではドイツ空軍の戦闘機にはとうていかなわなかった。それは、アリソンエンジンに起因する。
 イギリスには世界に誇るロールス・ロイス「マリーン」エンジンがある。別にメーカーとのしがらみのないイギリス軍ではマスタングに「マリーン」を換装した。すると、この「マリーン」マスタングは、大化けしたのだ。出力アップしただけでなく、機動性、航続性、そして苦手だった高高度性能も抜群になったのだ。こうして、マスタングは、米英独の混血児として第二次世界大戦最優秀機となったのだ。実は、設計をしたシュミュードはドイツからの移民であった。ドイツ人によって設計され、アメリカで生まれ、イギリスで育ったということだ。

 マスタングはアメリカ陸軍P-51という制式機となり、大増産がはじまる。初期のB型やC型は戦略爆撃のエスコート役(ボマーエスコート)ととして活躍する。D型では、涙滴型キャノピー(風防)になり機銃も増強された。ヨーロッパ戦線だけでなく、太平洋戦線でも活躍した。第二次世界大戦後は、新生アメリカ空軍の制式機となりF-51と名称変更をしている。朝鮮戦争でも使われ、アメリカ軍を退役したのは1957年である。しかし、中南米の国々では長く現役機として使われ、1969年にエルサルバドル空軍機として最後の空中戦をおこない撃墜されている。しかも、相手はホンジュラス空軍機のF4Uコルセアだった。また、エアレース機として現在も現役で飛んでいるマスタングが存在する。

<P51D>
全長 10.15m
全幅 11.28m
全備重量 3,964 kg
発動機 ロールスロイス「マリーン」
最高速度 703 km/h(高度7,600 m)
武装 7.7mm機銃×6
爆装 爆弾積載 最大907kg

> 軍用機図譜


『タスキーギ・エアマン』
黒人だけによるマスタングのボマーエスコート部隊「レッド・テイルス」を描いた。ジョージ・ルーカスが長年の夢として映画化した。


『ミッキー・マウス』上・下 
ドイツへの爆撃を行うB-17を援護するマスタング戦闘機部隊を描くレン・デイトンの大長編小説。レン・デイトンはスパイ小説で有名だが、『爆撃機』などの戦争小説も書いている。