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杉田庄一ノート89 「源田實氏の語る杉田庄一」

源田実氏は、明治37年に広島県に生まれ、海軍兵学校第52期卒業してから昭和3年に海軍飛行学生となる。以後、一貫して海軍飛行畑を歩み、戦闘機パイロットとして活躍、編隊アクロバット飛行チームをつくり源田サーカスと呼ばれる(ブルーインパルスの祖先だ)。昭和16年に第一航空艦隊参謀となって真珠湾攻撃での雷撃計画を作成している。以後、作戦参謀として海軍航空隊の作戦をたてるが、太平洋戦争末期に迎撃戦闘機による編隊空戦を専門とする三四三航空部隊を作って司令になっている。戦後は、防衛庁に入庁し、空将、航空幕僚長を歴任し、昭和37年に参議院議員になる。以後、四回当選し、平成元年に死去した。源田氏は、三四三空の司令だった時に菅野・杉田のコンビをまっさきに隊員として指名し比島の前線から引き上げている。

「海軍航空隊始末記」の中に何度か杉田をとりあげて書いている。杉田を紹介している文章は以下のようになる。昭和20年3月20日の松山上空大空戦のときのことである。
「真先に報告に駆けつけてきたのは杉田庄一上飛曹である。彼は、菅野大尉腹心の部下であり、闘志満々たる搭乗員であった。ラバウル、ソロモン、内南洋、比島と転戦し、海軍切っての撃墜王で、この時までに累計一二〇余機を、単独及び協同で射止めていた。」

杉田が戦死したときのことも記述されている。発進命令を出したあと...
「『間に合うか、どうか』と私も一瞬ためらった。離陸直後が最も危険である。敵機を見れば既に突撃態勢に入りつつあった。残念ではあるが已むを得ない。『発進止め、退避せよ』を下令し、全機了解したものと思っていたところ、二機だけは離陸滑走を始め出した。敵機は銃撃降下に移っていた。離陸中の飛行機を見逃すはずはない。数機が殺到して我が二機に銃弾を浴せ、一機は離陸直後、一機は離陸中にやられてしまった。その中の一機は、撃墜王杉田庄一上飛曹であった。情報入手時期が遅いのと、始めに邀撃可能だと判断したために、私の『発進中止』命令が機を逸したためである」
「杉田上飛曹は菅野大尉秘蔵の部下である。彼の落胆も思いやられる。私は杉田君の遺骸を前にして、菅野大尉に謝った。
 『菅野大尉、私の決心が遅れたために、杉田を殺してしまった。全く済まない。君もさぞ力を落したことと思うが、私は、天に誓って、杉田に劣らない程の操縦者を補充してやる。しばらく待ってくれ』
と。菅野大尉は、私の言葉は黙って聞いていたが、自分の隊員に対しては、
 『今日杉田上飛曹を殺したのは、自分が無理に離陸しようとして何時までも頑張っていたからだ』
と言っていた。」

実際に源田氏は杉田の戦死に対してショックと責任を痛感したようで、愕然としている菅野に対してすまないと思いをつげ、杉田の代わりに必ず武藤金義を連れてくるという。武藤と坂井三郎の交換は以前からの懸案事項だった。若い連中を代表する形での杉田と坂井三郎の間の確執は大きくなっていて、実戦にはむいていない坂井を出して武藤を交換する申し入れを横空にしていた。横空でも武藤を出すわけにはいかないと突っぱねていた。5月になっても6月になっても杉田の後任は欠員のままだった。菅野は源田氏に言う。
「杉田の代わりは、なかなか手に入れることが困難なようですが、もうこれ以上指令のお骨折りをいただくことが、私としても見かねますので、無理矢理にも武藤少尉を引き抜くことは、止めていただきたい。私は杉田君の後任なしにやっていきます。」
しかし、源田氏は杉田が亡くなった今、菅野だけは守りたい。菅野を失ったら隊は崩壊する。強権を発令しても武藤を連れてくることを源田氏は決意する。坂井にもう一人若手をつけて2対1のトレードで武藤を引っ張ってくる。しかし、武藤も初出陣で戦死してしまうことになる。まもなく菅野も戦死し、8月15日を迎えることになった。


昭和52年7月23日、靖国神社において三四三空の合同慰霊祭が行われた。その時の源田氏の挨拶のテープ起こしを行い、そのまま「三四三空隊誌」に載せられている。源田氏は、型通りの挨拶を行なっていたのだが、途中、隊員の思い出を語る場面になって言葉が詰まる。以下はその抜粋。
「洵(まこと)に私は当時のこの隊員の勇戦奮闘に、全く頭が下がる思いでございます。ところがこうして、本日ご遺族の方々のお顔を・・・・(暫し絶句)お顔を見ておると・・・・(絶句)
 私が!・・・・・・もっとしっかりしておれば!・・・・・・これほどの犠牲を・・・・払わなくても済んだ!・・・・・・・・と思うのです。私の指導がまずかったために!・・・・考えてみれば!・・・・・・・・何十人かの余計な人を殺してた・・・・・
 ご遺族の方々の・・・・・お顔を見ておると!・・・・・全く、自責の念で一杯で・・・・・・なぜもっとしっかりしなかったのだ源田は!
 例えば、杉田庄一君!私の危機感がもっと早かったならば、彼だって!殺さなくて済んだ・・・・・・」

源田氏は、3人の隊長の話の前に杉田の名前を出して、その戦死は自分の責任だったと嗚咽しながら挨拶で述べている。源田の剣と言われた三四三空の核は、菅野と杉田のコンビだった。

杉田も菅野も戦死後、全軍布告の感状をもらって2階級特進している。




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